【つながる旅行記#247】天筒山展望台から敦賀を眺める
前回は金ヶ崎の退き口について思いを馳せて、コンビナートが凄かった。
では引き続き山を歩き、天筒山の展望台を目指そう。
なんだか戦いに関する掲示物が思いのほか多い。
実は前回は金ヶ崎の退き口のことにしか触れていなかったが、ここは南北朝時代にも戦場として使われたのだ。(→金ヶ崎の戦い)
やはり戦いに有利な場所は異なる時代でも使用されるようだ。
さて、展望広場はこの階段を登った先だ。
しかしこの階段、なんだか稚内の墓地への階段を思い出すような……?
(と思って#2を見てきたら全然似てなかったので気にしないでほしい)
そんなこんなで展望広場に到着。
ではさっそく緑の塔に登って敦賀の街を眺めるとしよう。
ハァ……ハァ……!!
なんかもう本当に旅行って体力勝負だよなと思う。
そして見えた景色は……!?
すごい湿地帯だった。
まずは敦賀の街が見えると思ったので衝撃である。
これは中池見というらしい。
中見池ではない。中池見である。
この場所は袋状埋積谷(まいせきこく)とのことで、谷地形に40mもの泥炭が積もっているとのこと。
なんだか泥炭と聞くと凄いものが埋まってそうだ。(人とか)
方向を変えて海の方を見ると、遠くに水島が見えた。
話によると、水島は『北陸のハワイ』と呼ばれているらしい。
自分の汚れた心では「いや絶対盛ってるだろ」と思ってしまうが、動画を見ると確かに綺麗!
行けるのは7月と8月の2ヶ月間だけだという。
なかなかにレアな場所だ。
そしてこんな話をしたあとに紹介するのもどうかと思うが、水島の左奥にあるのは敦賀原子力発電所である。
なんというか、火力発電所があるのに海を挟んだ10km先に原子力発電所まであるものなんだな。
いや、考えてみればどちらも水を蒸気にして発電するので、建築する場所が被りがちなのかも。
そんな敦賀原発の歴史は古く、運転開始は1970年3月14日。
そしてその日作られた電気は同日に行われた大阪万博の開会式会場に送電され、「人類の進歩と調和」の象徴となったという。
なんだか思ってた以上にすごい歴史を持っている原発だったようだ。
……だが皆さん御存知の通り、東日本大震災の後に日本中の原発が発電を停止した。
その後安全基準も引き上げられたことで、敦賀原発の1号機ともんじゅは廃炉が決定し、3号機と4号機の計画も凍結されたそうだ。
……ん?
もんじゅ……?
『高速増殖炉もんじゅ』って敦賀にあったの!?(無知)
いやはや、いかに自分が土地の情報を意識せずにニュースを見ていたかがバレてしまった。
そうか、もんじゅは敦賀半島にあったんだなぁ……。
というか、福井県自体が日本一の原発保有数(廃炉含め15基 )なのだ。
大阪万博で電力供給したのは伊達ではないらしい。
だがそんな原発も今では停止し、現在検査中の2号機に関しても活断層が云々で再開は厳しそうな雰囲気。
この土地はなかなか難しい問題を抱えているようだ。
思わぬ学びを得たところで、近くにあった謎の建物も見ておこう。
なんだか締め切りつつも外の光を取り入れまくりな休憩スペースだった。
他ではあまり見ない斬新なデザイン。
それでは少し移動して、さっき展望台から見た中池見へ行ってみよう。
人と自然のふれあいの里らしいので、何かしらあるだろう。
こういう突然の追加イベントも旅の醍醐味。
それに今の自分は徒歩なので身軽だし、問題はない。
これがもしレンタサイクルを借りていた場合、敦賀港で駐輪して山に登り始めただろうし、自転車を取りに行く手間を考えて中池見に行くのは諦めたかもしれない。
やはりあのときの選択は正解だった……!?
そんなわけで、中池見湿地を目指して歩いていこう。
丈夫な足をくれた親に感謝を。
次回へ続く……!
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