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『スーツ=軍服!?』(改訂版)第89回

『スーツ=軍服!?』(改訂版)連載89回 辻元よしふみ、辻元玲子
 
※本連載は、2008年刊行の書籍の改訂版です。無料公開中につき、出典や参考文献、索引などのサービスは一切、致しませんのでご了承ください。

靴に名を残したワーテルローの2人の英雄

ナポレオン戦争の時代、軍靴の構造に不満を持つ兵士たちが多く、足を包み込むように、つま先から脹ら脛まで、きりりとヒモで締め上げられる靴はないか、と考えた人物がいた。本書にもたびたび登場した、ナポレオン戦争当時のプロイセン軍総司令官、ブリュッヘル元帥である。そこで生まれたのが、ヒモを外側からしめつける外羽根式のブルーチャー式ヒモ靴で、ブルーチャーとはブリュッヘルの英語読みだ。また英国では、アウトドア用の形式ということで、競馬場の名前からダービーとも呼ぶ。
乗馬用のブーツは、乗馬用の燕尾服が流行した十七~十八世紀に普及したが、装飾過剰で派手な折り返しや刺繍などが施されていた。今でもアメリカのウエスタン・ブーツなど装飾過剰だが、もともと乗馬身分の人は目立ちたがり屋なものである。また実際には、装飾が施されている方がブーツ本体とあぶみが擦れて皮革が傷むのを防ぐ、ともいう。
が、いずれにしてもそれでは量産は出来ず、大軍による激突の時代を迎えたナポレオン戦争の時代にはもっと簡略で扱いやすいブーツが求められた。こちらを有名にしたのが英国の名将ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー元帥である。このため、英国では今でも単にウェリントンというとシンプルな長靴の意味である。特に現代では、英国ハンター社の雨天用ゴム長靴がウェリントンの名で呼ばれることが多い。
ワーテルローの戦い(一八一五年)でナポレオンを破って、その時代を終わらせた二人の将軍が、共に靴に名前を残しているというのは興味深い。

ブーツと水との果てしなき戦い

今日では、冬場の履物、と認識されることが多いブーツ。しかし、乗馬が生活の中心で、道路事情も悪かった十九世紀より以前、むしろ靴と言えばブーツが主流だったと考えていい。
先ほど書いたように、十九世紀初めのナポレオン戦争時代に、現代のブーツの原形が出来た。この戦争の後、平和な時代を迎えた英国の貴族は、それまでの臨戦態勢を解いて、狩猟や釣りを田舎で楽しむようになる。そんなカントリーライフに最適な靴として生まれたのがカントリーブーツ。基本は戦争中にプロイセンのブリュッヘル元帥が考案したブルーチャー式(外羽根)のヒモ靴。英国の羊飼いたちが古くから履いていた労働靴の意匠である、メダリオン(飾り穴)がたくさん、開いている。これは水に濡れた際に水分が抜けやすいように、また傷が目立たないように、といった配慮で、一八二〇年代からこういうブーツを作り続ける英国の老舗トリッカーズのブーツはつとに有名だ。
一八三〇年代、当時としては画期的な新素材、ゴムを用いることで、自在な伸縮性と、水防性能を高めたサイドゴアブーツが英国で誕生した。これはヴィクトリア女王に雨の日用のブーツとして献上されたが、一目惚れしてしまったのが夫君のアルバート公で、専ら彼が愛用したために、アルバートブーツの異名を取った。
公は礼服などにもこの靴を合わせたため、十九世紀後半にはフォーマルな靴、という扱いになり、礼装に合わせるものとなる。戦前に日本の官吏や軍人が宮中の儀式で着た大礼服でも、足元はこのブーツが正式だった。下って一九六〇年代、ビートルズのメンバーがこのブーツを履いたことで人気再燃、ロンドンのロックの中心地の名を取って、チェルシーブーツという新たな渾名が登場した。
ブーツと水との戦いはまだ続く。皮革製のブーツではどうしても防水性に限界がある一方、オールゴム製では耐久力がない、と考えたアメリカのレオン・レオンウッド・ビーンは、ラバーの下部と革製の筒を組み合わせたビーンブーツを一九一二年に考案。狩猟用ブーツとして大人気を得た。その後、極地探検でも使用され、現在でもビーンブーツはL・L・ビーン社の主力商品である。
チャールズ・ベックマンが米ミネソタ州レッドウイング市で創業したレッドウイング社は、一九五〇年代に画期的な狩猟ブーツ「アイリッシュセッターブーツ」を発売した。その名は狩猟犬アイリッシュセッターの毛色にちなみ、赤みの強い皮革を用いたブーツだが、かかとのないフラットソールという靴底が評判となった。接地面を大きくして足音を消すための工夫だったが、履き心地がよく労働用にも最適、ということで一世を風靡した。日本でも七〇年代に大ヒットしたアメリカを代表するブーツだ。
今日、もっともカジュアルなシューズとして好まれているのは、チャッカ・ブーツだろう。大抵は起毛したスウェード皮革で手入れが楽であり、ブルーチャー式の外羽根に四個のアイレット(鳩目)があり、必要最小限の靴ひもでシンプルに縛る形式と、長すぎないアンクル丈、という仕様だ。扱いやすさと手軽さで、タウン用のブーツとして人気がある。この名前であるチャッカというのはポロ競技の時間の計り方で、一チャッカは七分間を表す。しかし、実際にポロの競技にこういうブーツが使用されていた、というよりもイメージ的な命名のようだ。


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