113.町

2022.3/26.0:53
こんばんは。
ずいぶん前に落合陽一を始めとするいわゆる”インテリな大人たち”が気の弱い司会者を囲んで建築と東京についてあれやこれやと議論するという不気味な動画をYoutubeで見つけました。あまり気持ちの良いものじゃないけど、そろそろ東京に行くからこの機会にと見直してみたのでそれについて思ったことを少し。建築の良さ(悪さ)って、誰にでもなにかしら言えちゃうとこだと思う。

そもそも、議論と言うよりかはおしゃべりと言ったほうが適当だと思いますが、番組側が議論という言葉を使いたがっているようなのでそういうことにしときましょう。
議論のテーマは、簡単に言うと「都市・都市づくりにおける問題意識」と「東京の面白さはどこいった?」でした。
ワタリウムの和多利さんが、都市・東京の問題点は、経済的合理性に基づいてゼネコンに丸投げしたせいで画一化した都市の姿で、それに気づかせるのがパビリオン東京の目的の一つだと言ってました。まず「都市の問題点」→「都市は経済の中心」→「ゼネコンに任せてキッチリ整備されてしまった」→「面白みがない」という論の運びは素人目から見ても安直過ぎるのではと思わされるところがある。プロフィールを見て、和多利さんの一歩引いた視点を期待していた視聴者は多かった気がする。
パビリオン東京について言い忘れてたけど、要するに東京の色んな場所に建物やらオブジェやらを置いてみようという試みだそうです。和多利さんは、”変な人が変なことをしている変な場所”が、東京にかつて存在していた面白さであると語っていて、それをパビリオン東京で再現したかったようです。でもそれは「東京から失われた面白さ」に対する正しいアプローチなのか?東京の様々な場所に面白いパビリオンを設置して、新しいランドスケープを生んでみようという企画自体は面白いと思うけど、それとこれとはまた別の話じゃないだろうか。パビリオン東京によって東京に増えるのは「面白いパビリオン」であって、「東京の面白さ」ではない。東京に面白いパビリオンを置いてみても、それは減ったものを増やしたことにはならないんじゃないの?東京が持っていた面白さは、独特な都市構造やそれを取り巻く外的な環境と、それを生み出すための人間らの営みが副次的に生み出した「歪み」であるはずだ。東京をただ単に変なパビリオンの容れ物として扱ってみても、東京の面白い歪みには気づかない。だから、和多利さんの目的に対するパビリオン東京の有りようは、それはそれで的はずれな気がしてしまう。それゆえか、パビリオン東京に出展された9つのパビリオンにしてみても、和多利さんが都市に向ける問題意識とは少しズレた趣旨で建てられたパビリオンが殆どで、殆どの作品が和多利さんの目的とは違う次元にあるように見えた。歪みのない東京の現状(そんな現状が本当に存在するのかは分からないが)に意識を向けさせる作品が一つでもあったなら見てみたかった。
あと、出演していた建築家やインテリはさも当然かのように、ゼネコンは経済の合理のみを追求したつまらないたてもの製造機であるという考えを前提にして喋っていて、それってちょっと危険なんじゃないの?と思ったのは僕だけじゃないはず…。確かにゼネコンの建物がキチっとしすぎていて面白くないとか楽しくないとか言いたくなる気持ちは分かるけど、つまらない意匠設計にこだわって粗末になった建築だって腐るほどあるでしょうよ。そもそもこの議論の場にゼネコンのエンジニアが呼ばれてないのが不公平だよなと、ちょっともやもやする。

そんなわけで動画を一通り見終わるわけですが、建築のけの字も知らない人間がごちゃごちゃと考えてもなにも理解できないし、生産性がないので早く寝ようと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?