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[ためし読み]『二度の自画像』「訳者解説」から①

アジア文学の新たな息吹を伝えるシリーズ〈物語の島 アジア〉からお届けする第五弾は、韓国文学において確かな存在感を示す作家、全成太(チョン・ソンテ)による短編集『二度の自画像』。時の流れのなかで懸命に人生と向きあう人々をとおして、韓国の現在と過去の記憶を、丁寧なまなざしで映し出します。

本書の訳者、吉良佳奈江が記した「訳者解説」から、全成太の来歴や主要な作品を紹介した部分を公開します。ぜひご一読ください。

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【目次】
日本の読者へ

遠足
見送り
釣りをする少女
えさ茶碗
おもてなし
『労働新聞』
墓参
望郷の家
白菊を抱いて
消された風景
桜の木の上で
物語をお返しします

訳者解説
 作家来歴 ←公開
 主要作品 ←公開
 境界と記憶を描く ―『二度の自画像』

◇   ◇   ◇

訳者解説

 本書は全成太(チョンソンテ)の四作目の短編集『二度の自画像』の全訳であり、二〇〇九年から二〇一四年までに発表された短編、十二編を収録している。短編集のタイトルは作家の登壇二十年を意識したものだが、日本の読者には現代韓国の姿を映す韓国の自画像ともいえるのではないだろうか。特にこれまで「他者」だと考えていた者たちを受けいれ、戸惑いながらも向き合い、意思疎通を図ろうとする韓国人の姿は、韓国と日本両国の寛容と不寛容を考える契機を与えてくれる。

 全成太は、最近では国内外の文学イベントに韓国の代表的な作家として参加することも多く、英語、ドイツ語、タイ語で韓国文学を紹介するアンソロジーに短編が翻訳されているほか、三作目の短編集『オオカミ』が二〇一七年にアメリカで翻訳出版されている。日本で翻訳されているものは本短編集にも収録されている『遠足』(小山内園子訳、クオン、二〇一八)のみである。こちらのシリーズは日本語と韓国語のバイリンガルで読める作品なので、全成太に興味を持った読者には彼の端正な韓国語もぜひ味わってほしい。

作家来歴

 全成太は、一九六九年に全羅(チョルラ)南道高興(コフン)郡に生まれた。全羅道は古くから朝鮮半島の中央政府によって冷遇され、経済開発が最も遅れた地方である。特に南海(ナメ)に突き出した半島と多くの島からなる高興は「結婚前に婚約者を連れ帰ると帰省を嫌がって逃げられる」と言われていたほどの僻地であり、その一方で晴天が多いことから宇宙開発センター羅老島(ナロド)がある美しい土地でもある。自身の少年時代を描いた散文集『ソンテ、マンテ、プリブンテ』(チョウセンガク、二〇一〇)には、全の幼少時代、つまり一九七〇年代になっても薪を拾う日々や、練炭を初めて見て驚く話、同郷のプロレスラーの活躍によって半島に電気がひかれた話などが描かれており、韓国における近代化、開発の地域差を物語っている。三人の兄と姉ひとりの後、五番目に生まれた全成太は、末弟の子守のために小学校入学を一年遅らせたという。そして自宅を出て順天(スンチョン)で高校生活を送ったのち、作家を志し一九八九年、中央大学芸術学部の文芸創作科に進学した。中央大学進学後は学生運動に根差した文学サークルに所属して創作活動を行うが、入学した年の夏に中央大学の総学生会長が変死体で発見される事件が起こり、死因究明のために全学ストライキとなるなど、学生時代を混乱の中で過ごした。当時の経験が全の文学に与えた影響は〈日本の読者へ〉に書かれたとおりである。その後、三十ヵ月の兵役を終え復学後、三年生在学中の一九九四年に季刊文芸誌『実践文学』新人賞に入賞してデビューした。

 全成太がデビューした『実践文学』は、一九八〇年三月に自由実践文人協会が主体となり発行したムック誌『実践文学』からスタートした文芸誌である。当時は軍事独裁統治下で文芸活動の多くが制限されていた。大部分の文芸誌が強制廃刊・休刊となり、そのため単発的なムック誌が多く刊行されたが、その中でも実践文学社が発行したムック誌は労働詩人パク・ノヘを発掘するなど八〇年代の労働文学に大きな役割を果たしている。また、最近まで韓国作家会議(当時は民族文学作家会議)とのつながりが強く、作家会議理事長が実践文学社の社長を兼任するのが慣例とされてきた。『実践文学』でデビューした全成太もまた、二〇〇一年より二〇〇三年まで玄基榮(ヒョンギヨン)理事長のもとで同会議の事務局長を務めている。

 作家として活動しながらも二〇〇八年からは母校の中央大学で後進の指導にあたり、平行して二〇一〇年からは同大学院修士課程にも在籍し、二〇一五年八月に修士学位を取った。中央大学での教え子には二〇一九年の現代文学賞を受賞したパク・ミンジョンらがいる。二〇二一年より故郷に近い国立順天大学人文芸術学部文芸創作科で専任教授のかたわら創作を続けている。

主要作品

 全成太は寡作な作家である。小説に限って言えば、デビュー後二十年で短編集四作と長編一作しかない。ひとつの短編集には五年ほどの間に複数の文芸誌に発表したテーマも作風も異なる作品が収録されることになるが、それらの中でも「韓国人とは何か」を問い続ける姿勢は一貫している。

 デビュー作となった「鶏追い」(『実践文学』一九九四年、秋号)は、若くして死んだ友人の葬儀のための鶏に逃げられ、追いかけるエピソードを中心に、開発されていく都会との格差、地方にいる若者の閉塞感を地方色豊かな方言で諧謔的に描いた作品である。初の単行本となった短編集『埋香』は、一九九九年に実践文学社から出版された。内容は農村と都市の階級的な格差を描いた作品が多く、地方を背景としているだけあって方言が効果的に使われており、実践文学社は「豊かで土俗的な文体で新しい農村文学の典範を作り上げた」と紹介している。韓国朝鮮文学者の三枝壽勝は、韓国の伝統的な歌唱劇であるパンソリについて、真剣な物語でもサブストーリーとして滑稽な語りが必ず挿入されており、その諧謔性、おおらかな笑いの精神が韓国文学に引き継がれていること、また特に全羅道の方言はユーモラスに聞こえ、金芝河(キムジハ)、李文九(イムング)ら全羅道出身の作家にこの気質が受け継がれていることを指摘しているが、全羅道の方言を多用し、農村風景を描いてデビューした全成太は、まさにこの系譜に属していると言える。

 二作目の短編集『国境を越えること』(チャンビ、二〇〇五)にも、川で牛を拾った農夫のわずかな希望とふがいなさを息子の目を通して描いた「牛を拾う」、少女をとりまく世界の残酷さと閉塞感を描いた「歓喜」など地方の農村を舞台とした作品はあるが、一方で表題作である「国境を越えること」では、韓国人青年のパクが旅行者として国境線を越えることと、日本人女性との肉体関係を通して精神的な国境を越えようとする試みが二重写しに描かれ、海外に出ることで韓国人とは何かを自問する新しい視点を得ている。

 短編集『国境を越えること』と同じ年に発表された長編『理髪師の女』(チャンヘ、二〇〇五)では、主人公は日本人女性である。彼女は終戦直後に身重の体で子供の父親である朝鮮人の男性について韓国に渡る。死ぬまで韓国で過ごした日本人女性の生涯は、日本統治時代に村人同士の諍いから日本へ強制労働に送られた朝鮮人男性の目を通じて語られる。正式な結婚をしていなかったために子供を奪われ、不当に扱われながらも韓国で生きぬく姿は、日本と韓国との関係の中でどちらが加害者なのか、絶対的な加害者などいるのか、と問いかけている。

 また、二〇〇六年にはパク・ヨンヒ、オ・スヨンとの共著でルポタージュ『道で出会った世の中 ―大韓民国人権の現住所を探して』(ウリ教育)が出版されている。ここで、取材の対象となっているのは、外国人労働者、未婚の若い母親、上級学校に進学しない若年労働者、アジアからの結婚移住女性とその子供たち、ハンセン病患者、日本人妻、衣料品工場のミシン工など、韓国にいながら様々な面で人権が必ずしも保障されていない弱者たちである。

 この二作品は主に短編小説を書いてきた全にとっては例外的な著作であり、自身に近い農村の若者の視線で世の中を見たデビュー時の作品から、自分自身ではない他者を描くことに転換する時期に重なっている。社会の片隅で生きる者たちの声を丁寧に拾う作業は、全のリアリズム作家としての姿勢に通ずるもので、取材したテーマの中には、その後、全の作品のモチーフとなったものも少なくない。

 二〇〇五年から二〇〇六年にかけて、全成太は韓国文化芸術委員会が実施した作家海外レジデンスプログラムで家族とともに半年間モンゴルに滞在している。このモンゴルでの経験と思考が反映された作品が収録されているのが、短編集『オオカミ』(チャンビ、二〇〇九)である。この短編集は十編中六編がモンゴルを舞台にしており、全にとってモンゴルが特別な場所だったことがうかがえる。作家にとってモンゴルは朝鮮半島の分断を思い起こさせる土地のようだ。収録作の中でも「木蘭食堂」「セカンドワルツ」「南方植物」では、韓国人と北朝鮮の人との出会いが描かれる。「興味深かったのは、社会主義から市場経済へと移行するモンゴル社会であり、不思議なことにそれは私たちの社会を逆さに映す鏡にもなった」と後書きで述べているように、モンゴルに滞在することで作家は資本主義の意味を問うことになる。表題作の「オオカミ」において、その問いは共産主義と資本主義、伝統と近代の関係として幻想的に描かれている。

 また、北朝鮮からの離脱民を連想させる「川を渡る人々」、韓国人らしからぬ外見の青年が自らアメリカ系の混血を名乗って英語教師として生きる姿を描く「イミテーション」の二作からは、境界を越える人々、さまざまな境界線上にいる人々への関心を見ることができる。

 全成太が描くのは華やかな世界ではなく、むしろ見過ごされがちな社会の片隅の存在である。そこでは劇的な出来事は起こらない。人々の日常に寄りそい、こまやかに描く世界は悲劇的な状況であっても不思議と曇りがなく、温かい。

【著者紹介】
チョン・ソンテ
​1969年、韓国全羅南道高興郡に生まれる。中央大学芸術学部文芸創作科在学中に、都市と地方の間に横たわる問題について方言を効果的に用いて描いた「鶏追い」(『実践文学』1994年秋号)で実践文学新人賞を受賞し文壇デビュー。以降、着実な創作活動を続け、2008年より中央大学で後進の指導にあたる。2021年より国立順天大学文芸創作科教授。本著は作家の四作目の短篇集にあたり、収録作「釣りをする少女」で現代文学賞(2011年度)、短編集として李孝石文学賞、韓国日報文学賞(ともに2015年度)を受賞した。
【訳者紹介】
吉良佳奈江 

東京外国語大学大学院総合国際学研究科博士後期課程在籍中。法政大学講師。専門は韓国近現代文学。主な翻訳にチャン・ガンミョン『韓国が嫌いで』(ころから、2020年1月)、チョン・ミョングァン「退社」『たべるのがおそい』7号(2019年7月)など。
【書誌情報】
物語の島 アジア『二度の自画像』
[著]チョン・ソンテ [訳]吉良佳奈江
[判・頁]四六変型判・並製・420頁
[本体]2800円+税
[ISBN]978-4-904575-88-8 C0097
[出版年月]2021年5月12日発売
[出版社]東京外国語大学出版会

※肩書・名称は本書の刊行当時のものです。

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