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ねこばあさんの旅立ちと新入り子猫



1・出会い


 ぼくはある日知らない家に突然連れていかれた。
 すると、大きな大きな見知らぬ猫がゆっくりと近づいてきて、ぼくに顔を近づけてきた。



 ぼくはその大きな猫が怖くてふるえていると、
「フゥッ!!新顔はちゃんと鼻と鼻をくっつけて自分からあいさつするもんだよ!!」
って怒られた。


2・二日目


 二日目は新しい家に慣れてきたので、大きな猫に近づいてみることにした。
「ねえねえ」
「フゥッ!なんだいあいさつもしないでなれなれしいよ!」
 やっぱりこわかったのでふるえた。


3・三日目


 また大きな猫に近づいてみることにした。
「なんだい、またお前か」
「きみはとても大きいね」
「そりゃ、あんたより長く生きてるからねえ。ちゃんと目上としてうやまうんだよ、坊主」

「うわあ、すごいね。いっしょに遊ぼう」
「あんたのようなガキと違ってこっちは遊びたくなんかないんだ、あっちへお行き」
「やだやだ遊ぶ遊ぶーー」
「じゃれつくなコラ!フゥッ!!」


4・四日目


四日目は大きな猫と遊ぶことにした。
「大きなねこ、遊ぼうよ」
「私はガキじゃないから遊ばないって言ってるだろ、私はもうおばあちゃんであんまり動く元気もないんだ」
「どうしてー。遊んで走るの楽しいし、たくさん動いて疲れたらぐっすり眠ればまた元気になるよ」
「若いうちわね。年を取ると少しずつそれが出来なくなっていくもんだ。私もそうだったし、お前もいずれそうなる」
「えー、嫌だな。じゃあ、今のうちに遊ぼう、ねこばあ」
「しょうがない子だねえ」

 ねこばあは仕方なくふさふさの尻尾を大きく振って、ぼくはそれに喜んでじゃれついた。


5・夕暮れ


「ねこばあはいつも遊ばないでなにしてるの?」
「私はねえ、お気に入りのベッドで寝たり、ご主人と一緒にくつろいだり、ごはんをもらったり、風に当たったり、夕日を眺めたり、雨の音を聴いたり、お前の相手をしたりしているよ」
「ふーん、楽しいの?」
「まあね。どれ、丁度良い風と夕日だ。一緒にベランダで外でも眺めていようか」
「うん。こういうのもいいね」
「そうだろう、こういうよさがわかるのも歳を取る意義ってもんさ」
「ほかに歳を取るとどんないいことがあるの?」
「そうだね……たくさんの思い出と大事なことが胸の中に増えることだ。あと、お前のような若いのに話をしてやれるな」
「ぼく、ねこばあといっしょにいるの楽しいよ」
「そうかい。……いい風と夕日だね」


6・寿命


「ケホケホっ」
「ねこばあ、変な声」
「これはセキ。調子が悪いんだよ」
「だいじょうぶ?どうしたらなおる?背中なめてあげようか?」
「これはもうどうしようもないねえ。私は長く生きた。そろそろ寿命なのさ」
「寿命ってなに?」
「いのちが続く時間のことだ。私にはそれがもうそろそろないのさ」
「えー。どうすれば寿命は増えるの?」
「ああ……そうだね、減る速さを少し遅らせることは色々出来るし、人間なら美容やら薬やら色々やることだろう。私もときどき病院に連れて行かれるが、もう、残りがないもんはないんだ」
「寿命がなくなったらどうなるの?」
「死ぬのさ」
「死ぬってなに?」
「いのちが消えてこころもからだも動かなくなることさ。お前とこうして話したり遊んだりも出来なくなるね」
「そんなの嫌だよ!どうすればいいの?!」
ねこばあは穏やかにほほ笑んだ。



7・ミーねえ


「お前が家に来る前はミーねえがいた。いつもケンカばっかだったけどね。あるときから、ミーねえは離れたところから主の顔や私の顔を愛おしそうにじっと眺めて、それを何度も繰り返すようになった。
どこか妙な気がしたもんだ。ある日、ミーねえは何かを決意した顔で外へ行った」
「うん」
「ミーねえがずっと帰らなかった。私はご主人に『ミーワー!』『ミーワー!』と鳴いて訊いたよ。その頃になってようやくご主人は、ミーねえが二度と帰らない旅に出たことを受け入れたように話してくれたよ」
「うん」
「今なら、ミーねえがなにを考えていたか、判る気がするよ」

 ねこばあはぼくの顔をじっと見つめた。

「そのおねーちゃんはどこへ行ったの?なんで帰らなかったの?」
「それがミーねえの寿命で、自分が悔いを残さない準備をして、自分で決めた幕引きの仕方だったのさ。さて、そろそろご主人を呼んでごはんをもらおうかね」
「えー、ねこばあ食いしん坊だね。さっき食べたばかりじゃないか」
「動けるうちにしたいことを存分にやっておくのさ。後悔しないようにね



8・冷たい身体


 ねこばあと出会って三か月くらい経ったある日のこと。
 ぼくはいつものようにねこばあに組み付いて押さえつけた。
 ねこばあは「まいった」と言ってそのまま力を抜いて押さえつけられていた。ご主人があわててぼくを引き離した。

「ねこばあ、元気ない?」
「まったく、お前は加減というものを知らんね。力じゃもうお前には敵わんよ。さて、私は今から主にたっぷりと甘えるから、邪魔するんじゃないよ」

 ねこばあは長い時間、ご主人のそばでゴロゴロと言っていた。

「ああ、今日はよく眠れそうだ。お前もお眠り。しかし、今日は寒いね」

 ねこばあの体温は、出会ったときと比べてかなり冷たくなっていた。


9・そばにいるよ


 そして翌朝。

「ねこばあ、ねこばあ」
「……」

 ねこばあの身体はすっかり冷たくなり、手足はガタガタと震えていた。

「ご主人、ご主人!」

 ご主人はねこばあに毛布とカイロをかけてあげた。

「……」
「ねこばあ、動かないね。ねこばあ、話さないね」
「……」
「ぼく、そばでじっとしているね。ご主人もそこにいるからね。さみしくないよ」

「……」
「……」
「……」

 ぼくとご主人とねこばあは、じっとそのまま何時間も過ごした。
 ご主人は途中から静かに音楽を流した。よくねこばあと一緒にいるときに聴いていた曲だ。
 ねこばあの耳は、音楽の流れるほうに向いていた。

「……、……、……」

 ねこばあは無言で鳴いた。何度も何度も鳴いた。みゃあ、みゃあと鳴くような、穏やかに愛情を伝えるときの鳴き方だった。
 声は聞こえなかったけど、その言葉は確かに聞こえた気がした。

『ありがとう、さいごまで、ありがとう……』

 何度も何度も、何かを優しく語るように、なんども何度も口を開いた。

 それからしばらくして、ねこばあは「ウーッ」と苦しそうにうなり声を上げて、ごほごほとせきこんで水を少し吐いた。

 ご主人はそれをふき取って、今までしてきたようにねこばあの鼻をなでた。
 ねこばあはご主人に鼻をなでられるのが好きだった。

「フゥ~……」
 
 それから、ねこばあは大きく息を吐いた。
 ねこばあはとてもおだやかな顔をして眠っていた。
 ご主人はねこばあのお腹に手を当てて、耳を当てて、声を上げて泣き始めた。



10・別れ


 ねこばあはきれいな白い布に包まれ、箱の中に入れられた。
 周りには好きだったカンヅメや花が飾られていた。

「ねこばあ」

 ねこばあの言った通りだ。
 終わったいのちはもう身体が動くことも、こころが動くことも、話すことも遊ぶこともないんだ。
 いつもみたいに、「まったく、遠慮のない坊主だね」「まったく、力ばかり強くなって」と渋々相手をしてくれることはないんだ。
 ご主人はとてもつらそうな顔をしていた。

 ご主人はねこばあのごはんの時間に煙の出る棒をそなえるようになった。
 何度も何度もきりがないくらいごはんをねだるねこばあにご主人は面倒そうだったのだけど、今はねだられることもない棒をそなえている。

 ぼくが遊びに行くと、ねこばあはめんどくさそうな顔をしていつも相手をしてくれた。
 めんどくさいことを続けることは、愛情の証なんだ。そのめんどくさいことは、実はしてあげる側を支えるものでもあるんだ。


11・ガラスに映る


 それから三日して、ご主人がねこばあの身体をどこかへ持って出かけたと思ったら、ねこばあの代わりにきらきら模様の包みを大事そうに抱えて帰ってきた。
 そして、ねこばあの身体を置いていた場所にその包みを置いた。
 そのとき、閉められた雨戸の内側にある窓ガラスになにかが映った。

「ねこばあ!」
ぼくはそれをじっと見つめた。


12・夢


 ぼくは夢を見た。
 とても大きくて、あったかかくて、やわらかくて、優しくて、すごく安心するなにかに包まれて眠っている夢。
 ぼくはずっとそうしていたかったけど、兄弟猫たちが遊びだすのを見て、自分も遊びたくなった。
 だから、ぼくはそのとても大きくてあったかいものから離れなくてはならなかった。
 気が付くと、ぼくの視線のずっと向こうに、ねこばあが歩いていた。
 ぼくが急いで追いかけようとすると、ねこばあは振り向いて、出会ったときのように「フゥッ!」とうなった。そしてまたいつもの優しい顔立ちに戻ってから、再び歩きだした。
 ねこばあが向かう先は、ぼくがさっきまでいたのと同じ、とても大きくて、あったかくて、やわらかくて、優しい、安心するものだった。




13・さみしくないんだよ


 ねこばあのいのちは終わって、からだもこころも動かなくなってしまった。もう話すことも遊ぶことも出来ない。
 けれど、ふと気が付くと、この家の中に、ねこばあの気配を感じることがある。
 いつも一緒に寝ていた部屋や、遊んだ廊下、風の吹く夕暮れに。
 ねこばあのからださえ今は無くなっちゃったけど、全部消えちゃったのかな。
 ねこばあは、なんでいのちが減っていって、からだが動かなくなっていったのに、なんであんなに穏やかで幸せそうだったのかな。
 たぶん、答えは全部ねこばあに教えてもらっている。
 だから、ぼくは寂しくないんだよ。



あとがき


 実話をもとに、猫同士が会話出来たらこんな風だったんだろうな、と想像して作った作品です。
 猫同士が猫語で何かを深く語り合うということはきっとないんだろうけど、マーがねこばあの最期にずっと寄り添っていたり、斎場から帰ってきたときにじっと何かを懸命に見ていたり、ねこばあやミーねえの死期の前の変化は実際にあったことなので、人間が知らないところで猫たちが「大事な何か」を感じ取ったり理解していたのは確かだと思います。
 もう何年も前の話なので、子猫はすっかりデカくなりました。

 蛇足ですが、ペットの斎場は市役所に電話して紹介してもらったところにお世話になりました。悪質な業者も多いので注意して信頼できるところを選びましょう。
 また、混み具合によっては何日か先延ばしになることがあります。保冷剤を用いるか、安置してくれるペット葬儀業者などを利用しましょう。


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