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悩める仔羊の私

今朝
こちらの習慣応援家shogoさんの
記事を読ませて頂き

「そう言う事か!」

と、スッキリとしました。
コメント欄にお礼のメッセージだけでは収まらず(😆)
記事にさせて頂きました。


実はここ数日、モヤモヤしていた事がありました。

そのモヤモヤとは…

あるzoom講座に出ました。

スケジュールや予定を可視化して行く内容でした。

そうやって考えて行くのか!
なるほど!

と、とても勉強になる内容だったのです。

そんな中
モヤモヤの原因は
その先生の言葉でした。
コンサルタントもされていたので仕事きっちりです。

ただ私には、ちょっとわかり辛いんです。
きっと私だけがわからなかったと思います。
皆さん、スラスラ答えていらっしゃっいましたからね。

先生は
「では、やりたい事をできるだけ沢山書き出して下さい」

数分後
書き出したものを発表して行きます。

発表者さんに先生は
「え?それだけ?」
とか
「時間が余っちゃうよ」
とか、サラッと言うんです。

私は、答えられなくなりました。
答えるのが怖い。
考えた事を否定される
と、思いました。

先生からすると
もっと時間を有効に使いましょう。
もっと楽しみましょう!

だと思うんです。
先生は正しいんです。

所が
ダメじゃん、私😞
と、どんどん落ち込む…

この講座、私には合わないなぁ。
難しく感じるのは何でだろ?
やっぱり知識がないとこんな思いになるんだなぁ。
なぜこんなに
寂しく悲しい気持ちになるんだろう?…

後半、私は、すっかりシャッターが降りてました。
早く、この講座終わらないかなぁ。
なんて思ってしまうほどでした。

結局、私は発表せずに終わりました。

それからここ数日
正しいしとても合理的な内容のハズなのに、受け入れられない私がいました。
せっかく教えて頂いた内容を試そうとしません。
なぜかわかりませんでした。


そこで今朝出会ったshogoさんの記事から

ももまろさんの記事を読ませて頂くと

正論は正しい主張に関わらず
悩める仔羊の心へ届かない

ももまろさんの記事より引用


に、これだ!
これです!
と、思いました。

悩める仔羊の私(笑)の心には届かない。

正論が悪いわけではなくて
私の心には届かない正論だった。

と、いう事です。はい!

すっかり元気になりました。

ももまろさん
ありがとうございます♪


そしてshogoさんの

正論には、言われた相手にも
反論の余地を与えないほどに
強力な言葉の刃を持ち合わせます。

shogoさんの記事より引用


だから、落ち込んだのね。
そっかそっか…。
私が無知だから…できないから…
情け無い自分に落ち込んでいたけど…

「言葉の刃」
に悲しい気持ちになっていたのだと思いました。

先生が受講者の皆さんにかけている言葉に私が勝手に反応してしまったのです。
「そんな言い方しなくても…」と。

そして

正論自体は嫌われない
正論を言う人のデリカシーのなさが
正論を悪いもののように思わせている
わたしには、そういう風に見えた

ももまろさんの記事より引用

デリカシーのなさ。
これは、とても考えさせられました。
先生は、どんな前提で私達を見ていたのか
参加者に正論以外に何を伝えたかったのか…

そう考えると、(機会があれば)
この先生をもう少し観察したくなりました。

もし次に、この様な方にあっても
今度は落ち込まずに対処できる自信があります。


伝え方って大事なんですね。


そしてshogoさんは

あなた自身がデリカシーを守る
素晴らしい人かどうかを判断するのは、
あなたではなく”周囲にいる人”です。

shogoさんの記事より引用


とてもドキっとしました。

私も気をつけようと思いました。
自分の中の正論はとても大事。
だけど

マウントを取るためのものではない

という事もハッキリしました。

正に、shogoさんの記事の題名

『正論の使い方を間違ってはいけない』


のです。

ももまろさん
shogoさん

とても謎だったモヤモヤがスッキリとしました。


ありがとうございました。



🔸🔸🔹🔸🔸


読んで下さり、ありがとうございます🍀








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