【cinema】レディ・バード
「レディ・バード」
めっちゃ共感した!!!というレビューで溢れかえっていて、これは見なきゃ!と思って見に行ったのがこちら。
カリフォルニア州のサクラメント。閉塞感漂う片田舎の町でカトリック系の女子高に通い、自らを「レディ・バード」と呼ぶ17歳のクリスティンが、高校生活最後の年を迎え、友人やボーイフレンド、家族、そして自分の将来について悩み、揺れ動く様子を、みずみずしくユーモアたっぷりに描いた。(映画.comより転記)
彼女と全く同じじゃないけど、そこから抜け出したくて、根拠のない自信に満ち溢れてて、親の愛情を素直に受け取れなくてって、マジで、過去の自分を見ていたかのようだった。
私はクリスティンのように、行動には移せなかったけれど。
あー、あったよなーと思ったのは、彼女が今自分のいる立ち位置を見て、色んな基準でもって境界線を引くところだ。
一番仲の良いジュリーは見た目がイケてない。私はイケてるグループに入る!高校卒業までに、イケてる彼氏も作る! だからジュリーとは距離を置く。イケてるグループで、取り残されないように、お金持ちの家を自分の家だとまで偽って。
そのあがき方を見ていて、私は何だかとってもやりきれない気持ちになった。クリスティンに共感する部分もあるけど、すごく人のイヤな部分を目にしたような気がしたからだ。
イケてるグループ、イケてる男子、彼ら彼女らがヒドイんじゃなくて、「そっち側」に行こうと、これまでの人生を否定するかのように、境界線を引こうとあがくクリスティンが一番醜いんじゃないかと。
私もそんなふうなこと思ったり、したことがあったなぁって思うと、やっぱり懐かしいと思うより、直視できないところもあった。なんだって人はそうやってあらゆる境界線を引っ張って、自分自身を苦しめるんだろうなって。
とは言え、「自分らしく」「素の自分のままでいられるのが一番」とか言うけど、それがわからないからクリスティンは必死だったんだと。
私は自分探しって言葉があんまり好きじゃないけど、たしかにコレは、クリスティンの自分探し物語だと思う。
学校という場は、クリスティンにとって、一つの「乗り越えるべき」ステージで、また、この作品は家族、特に母と娘についても、そういう場面を描いている。
娘がサクラメントから遠く離れたニューヨークの大学に行くことを嫌がる母。そんな母をウザいと思う娘。父はその間に挟まれる。決して荒んだ家庭でもなく、親は親なりに惜しみない愛情を子に注いでいるのに、「中流家庭の、平凡でうだつの上がらない」親に嫌気が差した娘は、事あるごとに振り切ろうとした。そういう彼女を見るのもなんか嫌だった。
そう、私はクリスティンの気持ちはわかるけど、それ以上に見るのが辛かった。いろんなものに線を引いて、抜け出そうとあがく彼女の姿は、前向きというより後ろ向きな感じがしたからだ。多くの人は共感したみたいだけども。
彼女には、自らをレディバードと名乗り、奇抜で、ちょいダサでも我が道を進み、とにかく突っ走っていってほしかった。途中、そのイケてるグループに入りたいがばかりに寄り道してしまった彼女は、突っ走り具合が足りなかったんじゃないかな。
少し否定的なレビューになったけど、出てくる人たちは皆温かくて、特にクリスティンの家族のやりとりや、クリスティンとシスターとのやりとりを見ていると、フフッと笑えたりして、良い映画だったよ。
※どんなレビュータイトルもしっくり来なくて、クリスティンがレディ・バードって名乗ってた意味も考えて、今回はフツーに映画タイトルにしました…。
2018年60本目。TOHOシネマズ梅田にて。
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