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悲しみよりも信仰を優先する人々。

遺灰の顔

シリアスなタイトルとは異なり、こちらはコメディです。

時は、イラン・イラク戦争の真っ只中。クルドの人々も、イラク軍として徴兵され、多くが犠牲となりました。そんな中、戦死したとされる遺体が、クルド人自治区のムスリムの一家に戻されるが、その遺体には割礼の痕がなく、取り違えではないか、近所のクリスチャンの家の息子ではないか、いや、ウチの孫も割礼をちゃんとしたっけな、し忘れたとしたら、やっぱりウチの孫じゃないかと大騒動になるストーリー。

有事というのに牧歌的というか危機感はあまりなくて、それがある意味、現代におけるあらゆる争い事を皮肉っていると感じました。

映画祭公式サイトの解説によると、イスラームでは、火葬は禁じられており、それでもなお、"The Face of The Ash"、このタイトルにしたのかと言うと、私たち人間を一瞬で灰にしてしまう戦争の愚かさを表現しているとのこと。

このストーリーの中で、小人症のボルボル、でっぷり大男のハマーのコンビが絶え間なく笑いを起こすんだけど、どうやら見ていると、その風貌や出で立ちから、肉親からは見放されて、幼い頃から世話になっているのが、その渦中のムスリム一家で、恩義を感じているから、他人が嫌がるような少し面倒なことも請け負ってるんです。で、それがこのストーリーのミソにもなっている。彼らの存在で、笑いをとり、シリアスな問題をおかしみで和らげているなぁと。

この「亡くなった」とされる当人の顔は写真ですら一切出てきません。また、途中から、遺体の奪い合い(ウチの孫だ、いや、ウチの息子だ!と)みたいになるんですが、火葬もされていないんだから、顔で判別できないのかとも思うんだけど、「戦死」しているのだから、見分けもつかない状態だってこと、忘れてた…。何か肝心の悲惨さすら感じられないくらいドタバタ劇で。

戦争は悲惨だ、犠牲となった人々、特にクルドの人々の気持ちを慮れば、とてつもなく辛く悲しくなるものだと結論づけるところを、ブラックユーモアも含めて、笑いをとることで、自虐というのか、ギリギリのところで、その悲しみをひた隠しにして、「涙目で笑っている人」を連想せずにはいられなかった。

それに、「遺族」である彼らは、孫や息子を失った(かもしれない)事実より、己の信仰に重きを置くんだなと。そこに悲しみは一切見られなくて、その後どうするか(埋葬の仕方も全然違うし)に終始していて、笑えたけど、素直には笑えなかった。

とはいえ、遺体が戻ってきたことで、おじゃんになってしまった冒頭の結婚式のダンスシーンとか、鮮やかな衣装を纏う女性の姿や音楽も良かったし、全体的にエミール・クストリッツァの世界観と似ているなぁと感じました。

これで、イスラーム映画祭で見た映画のレビューも終わりです。見るだけでは何も変わらないかもしれない。だけど、見て、知ることのできた人々の数々の日常があって、それを深掘りしていきたいという気持ちになりました。また、次の機会があれば、是非見に行きたいです!

2018年43本目。イスラーム映画祭6本目。元町映画館にて。

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