2023年、プライド月間、私とAro/Aceスペクトラム

 さて、去年こんな記事を書いていました。


 そしてまた6月。プライド月間です(今グーグルでプライド月間と検索したら画面がとても賑やかになりました)
前述した記事の終わりに「継続してnoteを更新していくのであれば来年また何か書く」と息巻いていましたので、また書こうと思います。現時点での私の記録を。

 この一年で痛感したのは「セクシャリティは流動的である」ということに尽きるような気がします。文章の上では知った気になっていたのですが、すごく身近に感じた一年というか。つまるところ若干変わりました。そして、ちょっとすっきりしました。

 私はどうやら恋愛指向はアロマンティックに分類されるっぽいです。
 去年の記事にも書いたのですが、昔は恋愛感情は持っていました。昔は。
 さて今はどうなのかと考えたところ「あっ、わからなくなってる」と気づいたのが何ヶ月か前。そしてセクシャリティは流動性だ、という言葉が今まで以上に自分の中に響き自認するに至りました。

 アロマンティック。これ結構表現に悩むんですよね。無を証明するみたいなものなんですから。ドーナツの穴に似たものを感じてなりません。「いつかまた恋愛感情を持てる日が来るかもしれない」と思いながらも私は今日もこわごわアロマンティックを自称します。
 自認するに至るまでまあ色々ありました。その間恋愛至上主義の社会に何度か中指を立てそうになったこともあります。心の中ではめちゃくちゃ立ててたかも。
 恋愛をしようとしても出来ない、触れようとしても触れられない。世間で言うところの当たり前がままならないことに何度か悲しい思いをしたり。
 映画の中で「今まで生きていたのに突然幽霊になってしまい、人に触れられない、誰もが自分を認識できない。これまで当たり前のように人に触れて会話もできていた生活が変わってしまった」という展開がよくありますが、だいたいこんな思いをしています。

 ちなみに恋愛指向以外のSOGIと呼ばれる体の性、性自認、性的指向、表現する性は変わらず。私は私。

 アロマンティックを自認するようになってからAro/Aceスペクトラムについて色々調べました。
 Aro/Aceスペクトラムというのは恋愛感情を持たないあるいは持ちづらいアロマンティック、性的感情を持たないあるいは持ちづらいアセクシャル、そしてその周辺に漂っている「持つ、持たない」に関わるセクシャリティの総称です。

 驚きました。非常に幅が広い。グラデーションと言っても過言ではないな、と。人の数だけセクシャリティがあるのだと改めて痛感しました。
例えば親しい間柄になってはじめて恋愛感情を抱くデミロマンティック、その逆で親しい間柄になればなるほど恋愛感情を持たなくなるフレイロマンティック。ロマンティックをセクシャルに置き換えたデミセクシャル、フレイセクシャルもいます。ちなみに私もフレイセクシャルです。
 架空の人物にしか恋愛感情や性的感情を持たないフィクトロマンティック、フィクトセクシャル、ネガティブな出来事が要因で後天的にAro/Aceを自認したリクィロマンティック、リクィセクシャル。
 色々挙げましたがこれらは氷山の一角に過ぎません。そしてこれから言語化されるであろうセクシャリティも、きっと沢山あります。

 どうしてこんなにもセクシャリティを表す言葉が存在するのか、それは何故か。
「言語化することによって存在を証明できるから」だと私は思います。
 前述した通り、Aro/Aceスペクトラムはマイノリティであり、無を証明しなければならない者です。そのためには説明のための、ラベリングのための名前が必要である。「私たちはここにいるんだ」と掲げる旗が必要なのだと。

 ちょっと熱く書き過ぎたような気がします。
 これからも日常の些細なことを書き綴っていきたいですが、今後もこういったLGBTQ+やAro/Aceスペクトラムについても発信していきたいなと思います。
 私たちはここいにいるんだ、いてもいいんだ、と自分を許せる人が少しでも増えるように。

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