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人魚歳時記 如月 前半(2月1日~15日)

1日
やはり暖冬なのか、日中はストーブつけずとも過ごせそうだ。前日との寒暖差が激しいために、強風が唸りをあげている外へと、恐る恐る出てみる。鳶が撃ち落されたみたいに風の勢いで空を下降していった。記憶にある二月の、あの凍てつく空気はどこにもない。やはり暖冬なのか。

2日
朝、窓を開くと向かいの屋根で、鵯が咥えた金柑を雨どいに落としてチョンチョンと遊んでいた。木立の中を歩くと、落ち葉の中から雀の群れが空気を震わせて飛び散った。畑の脇の石仏に、誰かが供えた昨日のお握りは、彼らの食事となって、お米粒を数粒残して今日は消えていた。

3日
節分。夜、窓から外へ大豆を投げて鬼を追い払う。暦では明日から春だから、災いを外に追い出し、新しい季節を迎えようと先祖が続けてきた事を私も行う。静かで寒い今夜、家々から追い出された厄災という鬼が何匹も外を彷徨いているのか。年齢と同じ数食べる豆が、また一粒増える。人魚歳時記 如月三日

鬼払う窓辺で香るヒヤシンス  鬼逃げた窓辺に香るヒヤシンス

鬼逃げてヒヤシンスただ香る窓辺  (もう少しどうにかならないものか)

今年のヒヤシンスは青色


4日
朝の逆光の中、裸木の細々とした枝に、たくさんの、お腹の膨らんだ冬の雀たちが止まっている。全身を丸々とさせ、温かくなるのを待っている。雀の実のなる不思議な木を見ているみたいな気持ちになった。

5日
朝、枕の上の頬に触れる髪が、ひやりと、氷のように冷たい。最近の天気予報はあまり信じていないが、やはり今日は降るのか――と思っていたら、予報より早い時刻より白いものが落ちてきた。一昨日の節分の夜にまいた豆の残りが雪に埋もれてしまい、鳥たちも困るだろう。

6日
昨日の事――積もる雪が音を吸収し、辺りはシンと静か。摺り硝子ごしの雪が、ヒヤシンスの香りまで吸ったかのよう。
雪の反射で、天井近くの壁が明るい。
夜、二階の窓を開くと、一階の屋根は雪に覆われ瓦も見えず。そこに私の机のスタンドが、橙色の楕円を作っていた。

#2
冷たい曇り天。雪がすっかりとけた午後。道のわきで白い猫と思ったのは、誰かが作った大きな雪の玉。
雪の残した湿り気に、梨園の古木を被う苔も緑鮮やか。こんな日は、見慣れた里山も蹲る巨獣のようで、寒空の下、低い吐息までもが聞こえてきそうだ。


朝陽と鳥三羽

7日
ちょっと心配事があったけれど、無事に解決。安堵して、午後に犬の散歩。二月の空に、白い昼の月がやけに大きく出ていて、その横で鳶がくるくると、いつまでも回っていた。

8日
節分の翌日の愛犬の散歩。犬の歩みがいつもより遅い。各家々の前に豆が落ちていて、それを食べ食べ歩いている。「消化不良をおこすよ」とリードを引いたけど、一軒だけ豆が見あたらない家があり、「売家」の札がついていた。鬼の避難所かもしれない。歩きながらふっと笑った。

お花をどうぞ。


9日
朝は睡蓮鉢やバケツの水に薄く氷が張る。朝食後に愛犬と散歩。ホームセンター裏の小高い丘に登る。細い道の両脇には常緑の草。笹の葉に一匹の銀蠅がじっとへばりついて動かない。周囲の気温がもっともっと上がるのをじっと待っているみたいに見えた。

古い瓦、家紋

10日
去年の六月、法事のお斎の席で隣り合ったので、コストコやらペットやら、共通の話題を探しつつ談笑した。「コーラは瓶入りが美味しい」と言い、お鮨をパクついていた人が今日、荼毘に付された。私だけの歳時記の如月の頁には、彼女の名が記される。命日で思い出す人が増えた。

11日
昔、高尾山近くの町に住んでいた。週に二回、午後に「エリーゼのために」を流してお爺さんが車で灯油を売りに来た。寒いし呼び鈴鳴らすから家の中にいればと言われたが、音楽が聞こえるとポリタンクを持ち、ブランケットにくるまり外で待った。そのひとときが好きだったから。

高尾時代の写真はほとんどない。記憶は色乏しく。


12日
駅前の家の大きな黒犬は、去年の夏に脳梗塞になった。以来、全然姿を見なかったので、駄目だったのかなと思っていたら、今日、ばったり出会った。ゆっくりと確かな足取りで歩いている。飼い主のお爺さんが笑顔で挨拶してくる。彼らにだけは春風が吹いているように見えた。

13日
回覧板を届けに行く。土間に上がると、お勝手に続くドア少し開いていて、そこからテレビの音と、灯油の匂いを含んだストーブの温気がむっと漏れてくる。老人宅の、その部屋だけは、寒明けてもまだ真冬の様相だ。

廃屋の中にも草。

14日
二月の季語、薄氷。朝は簡単に見つかるが、昼は氷どころか汗がにじむ。薔薇の根元に牛糞やらの寒肥をまいたが、根が傷まないかと心配になってくる暖かさ。お隣の老人の、花粉に誘われたようなくしゃみがやたらと聞こえた。窓を開け放しているのだ。今日はそのぐらい暖かい。

#2
うらうらと温かな陽射しで甘ったるく匂いだしてきた白菜の間をセキレイが歩いている。温められた畑の土は空気を含んで膨らみ、いつもは急ぎ足のこの鳥も足を取られている。それでも、あちらこちらへせわしない。急な春日和に驚いているのかもしれない。


15日
家の近くに梅林がある。泉鏡花の「眉かくしの霊」を読んで以来、満開時には必ず枝先に顔を寄せる。薄い体を折りたたむようにして畳にぺたりと座る、なで肩の女性が放つのにふさわしい香り。戦前の美意識がどんなものか伝えてくれる香り。そんな白梅が今朝、数輪開いていた。

春はあんがいと近い?


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