「『こちら、終末停滞委員会。』の解説」の感想を語るよ
『こちら、終末停滞委員会。』(著者:逢縁奇演 イラスト:荻pote)は発売前から内容で期待していた反面、これがライトノベル界隈に出たら波乱はあるだろうなと予測していた。
そこに関しては、前回でも触れていた話ではあります。
ただ、その私の予感は発売前から確信に変わることになってしまった。それが各作家による、この作品での推薦文である。
作品以前にこの推薦文からしてヤバい。そして、本作には後書きがなく、その代わり解説が乗っています。
これはネタバレのラインになるかは分かりませんが、引用自体は著作権法でも認められている規定。ここに関しては掲載というか、内容を明らかにしておかないと話が続かないので内容の一部を明示しておきます。
ただ、それは作品自体のネタバレではないので、その点だけご安心していただきたい。
さて、その解説を書かれているのは岬鷺宮氏であり、恐らく下記の推薦コメントの全文掲載といった形が取られている。
実際、本作の解説にはこの「これはもう、面白さの、かわいさの、感動の不当廉売(ダンピング)行為だ。」ときっちりと掲載されている。
ただ、Xのポストだけだと何を持ってダンピングと発言していたのか、よく分からなかった。
それでも褒めていながら、ダンピングとネガティブな言葉で締めているのには違和感があった。そして、他の作家の推薦文からも同様な違和感がつきまとっていた。
今回は「『こちら、終末停滞委員会。』の解説」の感想に関して語っていきたい。正直、本作を読まずこの解説を先に読んだのが失敗であり、いまだ作品が読めずにこちらの内容が私の頭を混乱させています。
それを消化させるにも、語っていきたいと思います。
■感想で“解説”に触れていない人、多すぎ
さて、『こちら、終末停滞委員会。』の感想をネット上で見ていると、この解説で触れられた部分を含めた感想があまり見受けなかった。
どうであれ、この解説を理解していない人が多いのではないか、疑問に感じてしまう。特に本作を読んでいれば、この内容は素直に納得できそうなのに。
そして、推薦文にも書くだけに、ここは本作のアピールポイント、売りでもある。
まあ、私のように本作を読んでもないのに、何が理解できるのか逆に言う人がいるであろうが、そうではない。
今のライトノベルにおいて、本作は岬鷺宮氏が語る不当廉売、このやり方について有名タイトルで先駆者がいる。そして、それは既に多くの知見で議論されている内容なのだ。
ブルーアーカイブのシナリオの良さを語るのは簡単だが、何がすごいのか語るのは難しい。それでも良さを一つ語るとしたら、あれだけ奥深い世界観を持ちながら詳細な説明は大胆に切り捨て、サクッと読める文章になっていること。
それだけに濃密ながら、爽やかな読後感となっている。
これは岬鷺宮氏が語る、不当廉売と近いのである。ただ、Xのポストの文字数だけでは理解はいただけないだろうが、本誌の解説でより詳細を語られている。また、解説だけに本作を読んでいるとより内容が入ってくることだろう。
なのに、この内容が感想では見受けられない。なぜだろうか?
それでも解説部分に触れた感想ポストが端的に語っているので、こちらを載せておきたい。
なぜ感想で解説部分に触れられていないのか、本誌での解説をよりかみ砕いて語ることはできるが、それこそネタバレなので別の推薦文から読み取っていきたい。
■推薦文でありながら、恨み節全開
こちらの推薦文はXで誰もが見られる状態で公開されているポストなので、掲載した上で語っていく。
強調している「このやりたい放題感は古き自由なライトノベル時代を思い出しました。」だけでも推薦文として異質さを感じるだろう。普通に“古き時代”をうたい文句にするのは商品としてはどうだろうか?
それ以上に引用RTの最後に三点リーダーと感嘆符を付けている所。明らかに意図が込められているのが見て取れる。
それだけに、引用RTからしてネガティブな印象が占められている。
また二丸修一氏というと、先日も自身の作品がアニメ化に対して出来が悪かったことに愚痴をこぼされていた。確かに作画の悪さが良くも悪くも語られていた作品である。
しかし、アニメの作画の悪さ先行して話題になっていたが、話の内容はどうだったのか?
話に関して、良いとも悪いとも私の耳に入ってこなかったのだが…
正直、私はアニメを見る際、作画の善し悪しは二の次にできる要素。そうでもなければ、昔のアニメなど見て入られない。
また、アニメ作品で作画の良さだけで今日まで語られる作品などまずない。
作画が良い作品は総じて、お話も良い。出来が悪くとも、まず語られるのはストーリーの方が一般的だ。
アニメにおいて、物語の内容の方が記憶に残るモノである。
チャー研にしも、そうであるように。
先のブルーアーカイブにしても良さが語られるのキャラクターデザインの善し悪しよりも、キャラクターの人となり、バッグボーンだったりする。
あまり語りすぎても脱線するだけなので話をまとめると、二丸修一氏が語る「古き自由なライトノベル時代」と「アニメ化した自身の作品」というのは相反するのでは無いか?
そして、三点リーダーと感嘆符とは自身の作品が自由にできなかったことに対する無念さではないか?
そもそも、「古き自由なライトノベル時代」と書く時点で、昔は良かったと嘆く懐古厨でしかない。そして、逆に言えば今は不自由だとも語っているのである。
その不自由さの中で生まれたのが、自身の作品であり、作画崩壊したアニメ化であったのなら…
その上、お話には触れることもなく作画の悪さだけで語られる消費されていくアニメ作品…
そもそも、“古き時代”をうたい文句にする推薦文に書いてくる時点で恨み節でしかない。
この点というのは、私の思い込みだけでなく、本作の岬鷺宮氏の解説にしても、読み解いていくと出てくる要素である。
それこそが「不当廉売(ダンピング)行為」と語る内容。
そもそも、ダンピングとは、他より不当に値段を下げて、他の事業の活動が困難にさせることである。
双方の内容を合わせると、二丸修一氏が語る、“今の不自由さ”とは他と横並びの制作コストで作られる作品となってくる。
そもそも他作家の推薦文も恨み節を感じさせる内容である。
ここは個人的な感想だが、推薦文を載せている作家はアニメ化で失敗している人が多い印象を受けるのだが気のせいだろうが。
ただ、この中で例外的なのがタカヒロ氏。
氏はこの中では、ライトノベル以外でも活躍するマルチな作家だけに閉塞するライトノベル業界以外の視点を持ち、達観して状況を読み取れているのではないか?
このマルチな立ち位置だけは私と共通している点で、本作を読まなく解説内容が入ってくる点にもある。
そして、本作の作者、逢縁奇演氏も同様にマルチな立ち位置である。
さて、作品の感想で、解説に触れることは他作家の推薦文同様、今のライトノベルの不自由さを認めることにもなる。
そして、解説として説明されている様に、詰め込んだ作品作りが今のライトノベルとは違うと語られている。
そこを補足しないと、今の読者には気がつけないと思っているのだろうか?
■さらなる恨みを買いそうな、続巻
そもそも、前回の記事でも本作に触れていたのだが、そこでの本題はライトノベルの初動の売り上げに対してである。
今のライトノベルとは2巻以降は発売一週間で決まると、作家によって語られていた。
そして、この作家は新人だけに編集から言われたことを、そのまま報告しているのだろう。
さて、『こちら、終末停滞委員会。』なのだが、すでに続巻が決まっている。
2巻刊行に関しては帯にも書かれているのだけれど、発売前から決まっているというか、1巻から2ヶ月後というほぼ連続出版。それだけに今、現在2巻の執筆自体は既に完了していると言えるだろう。
この筆者の前作が打ち切りに対して、なぜ、ここまで強気に出ているのか?
(ここも本誌の解説に触れられているポイント)
他の作家は初動の結果で1巻打ち切りすら、当たり前だと語っているのに。
そこを加味して解説に戻ると、明らかに贔屓されていると作家達にも不信感だけが増すと思う。何しろ、この状況を聞いて推薦文を書いているのであろうから。
これもまた「不当廉売(ダンピング)行為」である。
それだけに推薦文が恨み節となっているのではないか?
ただ、その恨み節はこの作品、この作者に向けられたモノではない。
“今の不自由なライトノベル時代”に向けて語られているのではないか?
そして、このやり方はこの作品だけの特異性ではなく、ブルーアーカイブなどのYostarがすでに先鋒でコストが稼がれている状態である。
あれこれ語ると比較しているようで双方に悪く言う結果になってしまいそうだが、それでも作家達が語るのは、作品の売り上げだけで評価され、続巻を勝ち得ていること。
それが今の真実だと、多くの作家は語っている。
しかし、そんな中、作品の善し悪しだけで続巻を出すのは、明白に面白くて売れることが確約されていることは読者ですら分かる。売りたいし、売れるのが伝わってくる。
ただ、今にとってそれは異質なやり方になってしまった。それが推薦文に書かれている異質の正体ではないだろうか?
このような特例は本来、「古き自由なライトノベル時代」の販売方式であったはずなのに。
しかし、これらの推薦文を集め、Xでポスト、さらには本誌に掲載するのは作家達以上にこの編集者はただ者ではないと感じる。
感想で触れていなくとも、この事実に気がつく者は少なくないはず。何しろ、普通に読み取ればそうとしか書かれていないのだから。
そもそも、読み取れなくとも異質さにすぐに気がつく。
編集者はこの事実を読者、さらには作家、出版関係者に突きつけて何がしたいのか…
恐らく「古き自由なライトノベル時代」が今になって「不当廉売(ダンピング)行為」で攻めてきているのかもしれない。
■発売初動後に出てくる感想達
さて、これを書き出していたの本作が発売されて数日経った頃。
今、X上で感想を見ていると本作がエロゲやブルアカを彷彿としているという感想が増えてきている印象がある。
これは前回、「初動の成果をめぐるライトノベル」の内にも触れたことだが、作品の善し悪しが本来発売1週間で語り尽くされるはずもない。
1週間後からが、真の感想が出てくるタイミングなのかもしれない。
そういった発売1週間内で感想を書けるのは、習慣化した読み手であるだろう。
考えてみても、本1冊読み終え、感想を書く。これを毎回、1週間以内にやっていること自体は賞賛に値するが、単にルーチン化してないだろうか?
本当に作品の良い部分を読み取れているのだろうか?
それだけに解説を含めた感想にまで至らなかったのではないだろうか?
■(無料部分の)最後に
私にとって『こちら、終末停滞委員会。』の解説、何というかえらく既視感のある書き方であった。特に現状のライトノベルに対して、攻撃的でかなり批判的に書かれている印象はどこかで…
まあ、ここもはっきりいうと私の書いている記事がなんか参考にされていると言いたい。しかし、それは自分自身、妄想、盲信、電波な発想だと思っているモノ。
だが、その反面、noteで触れてきたことが的中している部分が多いのも事実。そして、私の記事が関係各位に読まれている可能性は高い点なども考慮すると、妄想と言い切れないと私の頭を困惑させている要因。
ここに関してはさすがに無料公開して語るにリスクの塊でしかなく、この後は有料記事とさせていただきます。
さて、この後の内容は『こちら、終末停滞委員会。』と私のnoteの関連性と、解説をもう少しディープに踏み込んで語りたいと思います。また、この内容を掲載させた編集者の意向も触れた内容になっています。
興味のある方は、有料とはなりますがお付き合いください。
今回、『こちら、終末停滞委員会。』の書影に関して、下記のリンク先の内容に基づいて利用を行っています。
・版元ドットコム https://www.hanmoto.com/
――――――有料パート――――――
ここからは有料記事となります。
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