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初動の成果をめぐるライトノベル ~話題性と出版社の呪い

一連のKADOKAWAサーバー停止を巡って、KADOKAWA系列の出版社のサイトもダウンしてしまい作家達もいろいろと大変の様である。

上記のポストにもあるように、芝宮青十氏は新人作家で今回が初書籍になるのだろうが、そんな何の背景もない人物の作品が自身で宣伝して、初動で売れるのだろうか?

売れる売れないは別にしても、初動の何を基準して今後を決めるだろうか?

私はいつも「初動が、初動が」という作家の発言に嫌悪していたが、冷静になって考えると今回の件は異質というか、それが明確に浮き彫りになっている。

実際、その異質さを分かっているのか、この作家は発売から一週間後にはこのようなポストをしていることである。

本日『#美少女フィギュアのお医者さんは青春を治せるか』発売一週間となりました。
通例なら、ここまでの売上で今後が判断されるのだろうと思います。

芝宮青十(@Shibamiya_Aoto) 2024年6月14日午後11:40

嘘か本当か、昔のライトノベルは3巻までは様子見と言われていたが、このポストでは現時点ではそれが無いことが発言されている。

もっとも、12年ぶりだったスニーカー大賞の大賞受賞作であっても、1巻の売れ行きで続巻の判断をされていた様で一部からは反感をかっていたのだが…

そもそも、先にも述べたようにこの人物は新人作家である。そのような人物が業界のルールを当たり前のように語るだろうか?

これらの発言から異質さを分かっておらず、ただ編集者に言わせているのが見えてくる。
今回はこの異質さの正体に関して見ていきたいと思う。それはライトノベルの売れ行きを支えてきたモノの正体とも言える話であるから。


初動の結果が重視される理由は?

初動、一週間というと作品の善し悪しで物が売れるには短すぎる。
事前に宣伝であらすじが公開されているとはいえ、第一印象だけで購入を選択する期間と言ってもいい。

ただ、映画で公開初日から「満員御礼」と宣伝することもある。それでも、この場合は嘘かほんとでも売れている宣伝に過ぎない。

新人、しかも公募作から出てきた作品には、何のアドバンテージもない。それだけに初動の段階で読者側は判断する場合、何をもって判断しているのか?

最近では公開されると同時に、話題性が拡散されるケースはある。それにしても元より多くの人に見られていることが多い。
ひとまず、何のアドバンテージのない作品であると話を進めれば、話題性は期待は出来ない。

宇宙人狼で知られている『Among Us』にしても、公開されて数年は誰からも知られることもなかったのだから。しかし、ゲーム配信によって面白さが分かると多くの人に伝わっていった。
どんなに内容が良くても、知られる機会が無ければ話題性は生まれない。

つまり、シリーズ物でない限り、出始めで売れること期待できない。

例えば週刊少年ジャンプであれば、人気を図るのにアンケートがある。特に週刊でもあるから、短期間でも素早く判断は出来る。
この場合なら、単行本発売の初動、一週間であっても理にかなっている。

しかし、この場合でも初動の結果とは、人気の確認となってくる。

それだけにライトノベルでは顕著である初動の結果にこだわるのは、なぜか?何か、売り上げ以外に人気を図れるモノがあるのだろうか?

体感の話、ライトノベル購入者は固定化している?

ここからは体感の話となっていくのだが、ライトノベルにおいて購入者が固定化しているのではないか?

購入者の固定化に関して、上記のように『このライトノベルがすごい!2024』での協力者新規募集には年間100冊読了と条件があった。

ただ、年間100冊を読むことよりも、年間100冊入手する方がハードルは高くないか?

仮にライトノベル1冊を700円とした場合、100冊だと7万円である。
年間7万円を高いとみるか安いとみるかは一旦抜きにしても、『このラノ2024』協力者になる場合、そのぐらいの支出が求められることになる。

ちなみに令和3年情報通信白書には、2020年の家計のコンテンツ関連の1世帯当たりの年間支出総額で書籍・他の印刷物が3万5,711円とある。

あくまで平均だけに、年間100冊のライトノベルを買うこと者達によってこの金額を引き上げているといえるだろう。もちろん、書籍だけに漫画や小説など多岐にわたる。

書籍・他の印刷物の支出とは大量購入者で引き上げられていると考えることは間違っていない。それだけに大半の人はライトノベルを買うことはないと仮定できる。

実際、映画にしても年に1回以上映画館で鑑賞をする人は約4000万人と推定されている。日本の半分以上の人間は映画館で映画を見ないのである。
こちらに関しては、明確な数字で推定されている。

それだけにライトノベルにおいて、年間100冊を筆頭とした者達によって固定化され購入しているのではないだろうか?

ただ、購入者が固定化している事実を確定させるとなると、年間でなく月ごとのライトノベルの部数を調査していく見えてくるだろう。
これは個人で調べるには難しい話ではないが、専門的な資料を用意するところから始まるため、個人でするような作業ではない。

そのため、精度は犠牲にしてしまうが、あくまで「購入者の固定化」を体感とした上での、仮説の話で進めていく。

この仮説だと、購入者の固定化されていると出版社にとって、初動の結果だけで判断できる材料になってくる。

ここに関しても冒頭にあげた、芝宮青十氏のポストから読み取れる。それは、「特設サイトが閲覧できない状態で初動売上に響く」と語っているからだ。

この言葉を整理すると「ライトノベル読者はレーベルの発売日(=初動)でまとめ買いして、その情報収集源がレーベルの公式サイト」となる。

また、特設サイトが見られない状態で代替えツールが、現Xではないか。
ここに関しては私の思い込みもあるが、ただ他に発信源があればそちらに移行するだけ。

それに多くの作家のポストからは、販売サイトは提示されていてもあまり別情報源が確認できなかった。
ニコニコ動画にしても、一時的にYouTubeを活用していたのに。

どちらにせよ芝宮青十氏以外のKADOKAWA系列から作品を出す作家達は、Xの活用を浮き彫りにさせていた。

ただ、購入者の固定化されていても情報収集源を活用されている以上、取捨選択がされているはず。支出とは無限でなく有限だから成立している。

そうなってくると、「初動が、初動が」と作家達が発言することは「購入者の固定化」された中でのパイの奪い合いではないか?

先も語ったように「初動=レーベルの発売日」とした場合、その結果だけで判断する材料は熱心なファンでの購入しかいないのである。

特に新人の作品なら口コミから新規層が望める一週間以降の評価こそ大事にする必要がある。それなのに、初動を重視していることは新規層の参入を軽視してないだろうか。

それを違うの言うのであれば、昔はライトノベルが3巻までは様子見と言われたようにその態勢を取っているはず。これは噂だとしても、発刊からも事実だったと読み取れる。

確かに今の状況は予算的に続巻を出す余裕は厳しいかも知れないが、それでも発刊後時間が経って人気が出て、復活できる体制はライトノベルでは見たことがない。

ただ、小説なら『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』は発売して4年後にTikTokで話題になり、その後のヒットした例がある。

このように購入者の固定化を仮説にしても、現状の結果を見るとそう外れてない気がする。

それでも“個人の仮説に過ぎない”と逃げ道を用意しておく。要は“個人の感想です”。まあ、大半の人は「個人の感想です」と書かれていても読み飛ばすモノですが。

インフルエンサーはいないが、カルト的人気は途切れない

さて、『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』を例に出したが、ライトノベルで話題性の拡散でによって、ヒットした作品を私は知らない。
もし、皆様でご存じであればコメントであげていただければと思います。

ただ、カルト的なライトノベルは定期的に語られている。

誰が呼んだか、ライトノベル三大奇書の一つ(三大といっても個人のブレも大きく、とくに読者間で共有した3作品ではない)、「東京忍者」に関してもリアル書籍が中古であっても現時点Amazon(2024年6月16日 )で、プレミア価格となっている。

幸い最近ではKindle版が出ており、読む分にはお優しくなっています。

また近年、星海社から「くりいむレモン」ノベライズであったり、「フリッカー式」、「幽霊列車とこんぺい糖」と復刊してくれて、一部でカルト的に語られてきたライトノベルが容易に読む機会が増えている。

また、これまたライトノベル三大奇書の一つともされる「左巻キ式ラストリゾート」も復刊されている。

このように過去の名作を復刊するのは、既存ファンはもちろんだがそれ以上に新規層を取り込む戦略ではないだろうか?

これは「購入者の固定化」の仮説を否定する話ではあるが、ただ、ライトノベル復刊というと他にどのレーベルを思い出すであろうか?

実は、先の例は星海社でのみの話である。

そして、新規作品に対してライトノベルのインフルエンサーはいないこともないのだが、彼らが語る評価点は売れ行きなど数字であることが多い。また、内容に踏み込んで語る人で人気を得ている人は少ない。

数の優劣にしても「このライトノベルがすごい!」発表後、その順位を売りにする作品が本当に多い。それだけに皆が皆、何かしら1位を掲げて、売り出してくる。

それだけに「購入者の固定化」の仮説の否定にまで至っていない。

また、ライトノベルの読者、ファンに至っても作品の善し悪しを見てないのではないか?それだけにライトノベルには人気を計る指針がないからではないか?と考えてしまう。

ライトノベル商業での唯一のテコ入れがアニメ化だが、近年というか今期は特にひどいというか、ボジョレーヌーボーの言い回しで日々更新している。

今期で一つタイトルを出すと『神は遊戯に飢えている。』。

こちらは平たく言うと異能のゲーム戦であるのだが、そもそもゲームとしてルールが成立してない。その上、主人公の勝手な思い込みだけで心理戦(?)が繰り広げられている。
同じライトノベルで似たジャンル『ノーゲーム・ノーライフ』の足下にも及んでいないし、それをパクったかのような展開まで出てくる始末。

何より、独自のゲームで心理戦をする作品は漫画などでも多く、特にカイジはメディア展開で多くの人に認知されている。一定の理解度が広く認知されたジャンルなのに、お粗末な設定だと何を考えているのか理解に追いつかない。

原作時点でもこのレベルのはずなのに、なぜアニメ化したと言いたい。それだけにライトノベルの読者は作品の善し悪しを見てないのではないか?

インフルエンサーがいないと言うよりも、このような状況を語るに語れないのでは無いか?

そして、作家達が「初動がぁ初動がぁ」と叫ぶのはゾンビめいたアポカリプスの中で、パイの奪い合いをX上でやり取りしているのではないだろうか?

ライトノベルも話題性の重要性に気がつき始めている?

まだまだと語りたいことはあるのだが、長くなるだけなので初動をめぐる騒動に関してまとめていこう。

先も出した『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』、また『残像に口紅を』などは現Xでなく、TikTokで話題になっていた。

このような例がライトノベルに起こりえてないのは、出版社側も育成してこなった部分ではないか?

これに関して、私は期待している作品がある。7月発売の『こちら、終末停滞委員会。』である

この作品、先行で1巻試し読みできるのだが、このメリットとは何だろうか?下手をしたら、試し読みで満足して買ってもらえる機会が減るかも知れないのにだ。

ただ、このポストから分かるように、作者は逢縁奇演氏。

以前、逢縁奇演氏に関して私が語った内容をご存じの方、そうでなくともここまでの話の内容から皆様も何がメリットか想像が付くかとは思います。

そう、話題性を発売前から作っているのです。それだと、ライトノベルの購入者の固定化に対して、打開を狙っているとも考えられます。

逢縁奇演氏の同人ソフト「うさみみボウケンタン」(成人向けだから、よい子のみんなは検索もするなよ)にしても、初めは売れなかったと語られていた。それを有名にさせたのが口コミ、レビューである。

その結果、売り上げだけでなく成人向けとはいえ、アニメ化にまで至っている。特にエロ重視でなくストーリーが強みの作品であるのに。

同人販売サイトではレビュアーに対して手厚くフォローされており、制作者、購入者、さらには販売サイトとトリプルwinの構図になっている。
しかし、それもここ最近のクレジットカードの問題で少し乱れては来ている。

「うさみみボウケンタン」などから入ってきたシナリオライター、逢縁奇演氏のファンの取り込み、そして、彼らが試し読みによって口コミ、レビューでの話題性の拡散力を期待しているのではないだろうか。

それでも、芝宮青十氏の『美少女フィギュアのお医者さんは青春を治せるか』の場合は初動の結果で今後が決まると作者自身、語っている。
ただ、不幸中の幸いなのか、KADOKAWAサーバー停止から完全な初動の結果だけで計れない部分も出てきている。

しかし、本当の意味で初動の結果が大事というのであれば、『ドカ食いダイスキ! もちづきさん』のように公開時点で驚異の話題性の拡散力がなければ意味が無い。

その人気ぶりに企業も便乗するほどに。

『美少女フィギュアのお医者さんは青春を治せるか』にしても推薦している企業というか、人物がいる。グッドスマイルカンパニーのカホタンもxhvyk推薦文と自身のXでポストで作品を言及しているが、氏のブログまで取り上げられていない。

別に悪意があって比較して言ってるわけではないが、『ドカ食いダイスキ! もちづきさん』では人気ぶりに企業も頼まれていないのに便乗することや、また同人販売サイトでのトリプルwinの構図もない。

よく「推しは推せるときに推せ」というが、この場合の「推し」は推薦、推挙とあるように人やモノを薦めることである。それだけに個人一人だけで成り立つ構図ではない。

それでも「推しは推せるときに推せ」を言い訳の理由として語るのは、独りよがりで無意味な発言である。

また、推薦、推挙のように推した結果のリターンが出てくる。その一つが話題性からの人気といえよう。
推す労力と結果が釣り合っていなければ、それは“推せるとき”ではない。

先のカホタン氏も“推せるとき”と判断していれば、もしかしたら違った反応があったかもしれない。

また、ライトノベルの「初動がぁ初動がぁ」で、推した結果でも1巻で打ち切りならば“推せるとき”ではなくなる。

先日もライトノベルの名作がセールされていた。何の背景もない人物の新人の作品より、安くて名作があればラノベファンでなく、賢い消費者はどちらを選ぶだろうか?

ヒット作に至る道と話題性

KADOKAWAサーバー停止は当初はニコニコ動画だけかと思っていたが、今現状、日本全体から見ても、その損失は大きいモノと分かってきた。

そういった中で芝宮青十氏には同情というか、応援したくなる気持ちはある。ただ、それでも新人作家にKADOKAWAを背負わすような広報をさせている点はやはり問題があると思っている。

作品の宣伝だけならまだしも。

これだけの内容は新人作家に言わせるのは酷である。売れる売れない抜きにしても、この行動自体も異質なのである。

そもそも担当編集であったり、レーベルのトップが率先して対応すべき点である。しかし、現状それが出来ていない感が強い。

これがジャンプで起きていたら、個々の編集者が一斉に対応するだろうという不思議な安心感がある。

それが出来てないのはライトノベルの編集者は作家に作品の宣伝を任せているのは、外部の人間であったり、すぐにやめていく点があるのではないか?

現に多くのヒット作を世に出してきた三木一馬氏などを初めとして名を上げたライトノベル編集者は独立をしているのが現状。そうなると、企業の顔になるべき広報の仕事を辞めるかも知れない編集者に任せられないのかも知れない。

それだけに自分なら宣伝活動費を別に貰わないとライトノベル作家などやっていけないと感じている。まあ、私にしてもnoteで活動をしていても、拡散する手立てを考えながらやってはいるのではあるが。そこに宣伝活動費は発生しないのに。

最後に、誰とも知れない人が作ったモノが一週間で判断が付くわけは無い訳がない。それが出来るのは大手が作った大量生産品のみ。

つまり、元からあるブランド力で売れているだけで、作品の善し悪しなど初動では評価されるはずもない。

そういった中で「初動がぁ初動がぁ」と力説しても、一般人にはただ動物の鳴き声と同じでしかなく意味は持たない。それに同情して買うのは、元から買っているファンだけである。

別にここは皮肉とかではなく、AKB商法などの実例を見ても明らかな話である。

現に今、CDは当時からの販売数を維持できているのか?
ライトノベルだけが同情で販売数など維持できるはずもない。

そもそも、インディーズ作品は口コミで商業作品の販売数に肩を並べる時代である。

『タコピーの原罪』の時から、話題性が武器になると多くの作家達も認識していた。ただ、それを武器にして展開した出版社の作品がどれだけあるか…

極端な話、実質は無いと言える。

『ドカ食いダイスキ! もちづきさん』も話題性が武器になっているが、異例な事態で想定できず緊急対応をしている。

話題性とは偶発的と言える。ただ、そういった話題性を確保する作品のほとんどは偶発的であっても、元から評価されるだけの実力を持っている。

『Among Us』、『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』、「うさみみボウケンタン」のように何年も時間をかけて評価され、売り上げを含めた多くの人気を獲得している。

『美少女フィギュアのお医者さんは青春を治せるか』もまた、そういった話題性のある作品であれば、初動だけでなく継続的に評価されていくだろう。

それこそ、本当の読者が望むモノではないだろうか?

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