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まさかわたしが。

体重61.2キロだったわたし。
一月末にひょんなことなら健康診断にいったら、ポリープが見つかりました。三月あたまに結果を聞いて精密検査となりました。三月末に精密検査をして大きなポリープ目の当たり。四月の頭に「うちではとれないね」といわれて大きな病院の紹介状をもらいました。

紹介状の日までなにもできないしなーと福岡へ。
紹介状の日の前日に、現実逃避旅からもどり大きな病院へ。「すぐとってください」といったけど、まだ検査。
また精査。内視鏡でちゃちゃっと、って話してたのに
しっかり育ってたから外科手術ですって、日に日に変わる結果と状況。この頃には体重57キロくらい。
まだやや肥満。だけど私にしては痩せたな。

内視鏡の話も5泊入院の話も、手続き後に白紙に戻る。
測ってないけど気分は40キロ。世間はGW。
限られた平日を見つけては通院。心配が過ぎて53.8キロ。これ、のちにわかるけど病気で体重が落ちたのでなく、心配が過ぎたってやつで。繊細だったのね、わたし。

出会った先生がよかった、平日の限りわたしに付き合ってくれた、はやく切って!のわたしに技師さんなしでも検査してくれたし、診てくれた。前日絶食なのに「検査僕だからもう食べていいよ」って朝には教えてくれたし、秋子さんにも電話で色々話してくれた、支えてもらいました。それで55キロかな。ただの標準体重。

いやー大変だった検査の日々。
でも病院のみんながよかったから。
え?もう切りたいの?ウソーみんな一息置くよ?って
笑いながら慌てて組んでくれたから。

5/9に手術がとれたわたしは、前日でいいところを多過ぎる検査が終わっておらず6日から入院。6日もパンパンに検査して当日9日の朝も検査して、術用マウスピースが出来上がって来たのは手術室。合わなかったら笑えたけど、この頃には恐ろしさで神にお祈りしてたかな。

点滴は入らないし、不安は募るし、点滴に時間がかかれば更に怖くなるし打ってる右手を凝視しながら左には先生ずっと手を握って大丈夫、大丈夫と言ってくれていたけれど泣きそうで。やっとの思いで左側にいる先生を見たと思ったら安堵の眠りへ。

起こされたらICU。へ?
寒い寒い、さむいーーーって言いながら34℃まで下がった体温との戦い。終わったよー終わったよ!と先生ドラマみたいにそこにいてくれるのに、私もう朦朧。心のなかで返事をして、次起きたら夜中。体から伸びる無数の線。手も上がらん笑。
止まらん吐き気と上がらん腕と痛すぎる全身。
母上からの「先生から電話もらいました、おつかれさま」のLINE。終わったみたい、そしてまた浅い眠りへ。
一晩中ずっと付き添っていてくれた看護師さんに頭も上がらん。ストローを口にあててもらい、少しの水をふくんだら吐く。うがいで喉の渇きは癒されるんだと知る。

家族が遠いからってICUでも携帯握ってる許可をくれた先生にも。いいんですか?と言ったら「安心出来るなら何をしてもいいんだよ」と。

翌朝になって「リハビリしましょう!」え?
痛過ぎるん、で、す、け、どーーーー!むり!と思ったのも一瞬。最善を尽くしてくれて怖い麻酔も術式変更ってやめてくれて、なのにリハビリしないなんてないわ。無礼にもほどがある。と一瞬で思い直して立ち上がる。やっぱりむり!笑。動くベッド様に起こしてもらって、散らばる線たちをまとめあげたら、はい吐きます🙋‍♀️
吐き気と痛みとリハビリ欲。なんだこれ、みたいな。

最初5歩。一回座ってまた5歩。座らずに10歩。座ると痛いから。右を向いても左を向いても激痛。ま、そりゃそっか。逆にそれで生きてることがすごい生命力。切腹。
両脇にリハビリさん。その両後ろに私に繋がる線から出ている機械をコロコロしてくれる看護師さん。それで10歩。根気のいる仕事だとおもった。私いま何キロだろう。

翌日の朝には廊下を一往復。はい、休んでください。と言ってはくれるけど座りたくない、痛いんだもん。
立ったら一生立ってたい。座ったら二度と立ちたくない。
痛いんだもん。嫌だ嫌だー痛いんだーーー!
それでも動くと決めた私はリハビリの先生に格好つけて「では今日からフルで!」と豪語したものの翌朝に後悔してましたね。犬よりたくさんのリードつけてたし。

甲斐あって。痛くなくなる、んじゃなくて痛みに慣れた。
だってお腹何センチも深く切ってあるのに、痛くないわけがない、このヤロ。痛みと友達になって数日。
それはもう、いかに自分がお腹に力を入れて生きていたかを痛感する毎日。たつ、すわる、ねる、転がる、笑う、泣く、食べる、うしろ向く。呼ばないで!
すべての行動に腹が痛い。若い子風にいうとレベチのフクツー。胸が張りさけるならいいけど、腹が張りさける。これが恋煩いならサイコーなのに。
むらた、血の滲むような試みをしている(はず)がんばってるわたし(自負)術後2日目にはお庭を散歩。

術前日、当日。それから数日。食べられない毎日。当日、翌日に至ってはお水もダメ。飲めない食えないハライタイ。いちばん恐れていた絶食だったのに一切の空腹も感じないし空腹なんかより痛かった、しんどかった。
絶対痩せてるはずなのに、体重を測る力すらない。

せんせーこれ何で左手に点滴?(握ってくれてたはずの)
「もうね、熟練麻酔科医さん何度もやってくれたんだけどここしか入らなかったー麻酔効いてからだから!」
やっと入った血管へのお食事ももう限界。やっと見つけた血管も3日目には破壊。生食漏れて痛いしはずして!
パンパンに腫れあがった左手に絆創膏を貼ってもらい、これにてリードが全部外れたわたしはリハビリに専念。 
ここまでくると、わたしはわたしの、もうどこが痛いのかもわからない。

日にち薬とはよく言ったもので。なんなら時間薬。1秒ごとによくなっていくのがわかる。術後3日目には院内散策。右手首のフリーパス(患者印)を見せればどこにいたって怒られない。日額高い院内着をケチって借りなかったからスウェットのわたしはだいたい「面会ですか?」と声をかけられるけど、右手を挙げて見せてやる、印籠。

リハビリの時間朝夕はみっちりきっちり先生と。フルって言ったものですから。7階の病棟から2階のリハビリに降りて、戻るときは階段で。階段いいらしいから。素直。良いと言われると採り入れたくなる質。汗をかくとシャワーしたくなるし、回診(バレる)前にとスタスタシャワーをして、スタスタっとドライヤーを借りに走る。
痛み≦不快感。回診20時頃だし、と思っても会っちゃうのがわたし。まだ19時じゃーん、なんでーーーーー。

「あードライヤー借りてる人シャワーしたな!」と白衣の貴公子に指をさされる。頭を覆ってたバスタオルで顔を隠してみても赤い靴は私だけ。回診医師陣爆笑。
こうやって笑わせられることも辛かったけど、日に日に笑えるようにもなり、爆笑出来ることの幸せを噛みしめる。ちなみに主治医は前向き推奨なのでシャワーにも褒めてくれたし。最後の回診では「僕もうね、今のところの心配はむらたさんの荷物がまとまるか、ってこと」
3〜4週間の入院といわれて来たもんですから。
まさかの10日、回復早すぎたねハイタッチ。

絶食→ジュース→スープと重湯→五分粥→全粥→常食。ここぞとばかりに体重を測ったのに術前と変わらず。
え〜0.8キロしか痩せてなーい。せめて1キロだろが。
見事なまでの管理をしていただいたことに感謝。

長い人生になって来たけれど特筆すべき10日間と
3月からの不安とともに過ごした3ヶ月間。

まわりの方みなさんに感謝を伝えたいけれど、伝えきれないかもしれない、大きすぎて。






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