【実験小説】Case1:雨宮雪子の場合 7

今、雨宮雪子の目の前にキャンバスがある。長方形の白いキャンバス。そこにはまだなにも描かれていない。

白い化学繊維の布は開け放たれた窓から差し込む光を浴びて、うっすらと光っている。ウールのような風が部屋を包み、微かなざわめきをそこにもたらす。

雨宮雪子は空白のキャンバスをじっと見つめる。頭の中で完成されたイメージをキャンバスに投影する。空白の中に少しずつイメージが浮かび上がってくる。

それははじめからキャンバスに刻み込まれていたかのように自然な姿をしている。自分はただそれをなぞればいいだけなのだ、雨宮雪子は目を閉じる。キャンバスが姿を消す。イメージだけが脳裏に残る。

女性、いや、女の子。

現実ではなく、デフォルメされた私。私は不機嫌。なぜ不機嫌なのだろう。そう、そこには彼女たちがいるから。愛情と支配が入り混じった彼女たち。私は愛され、そして支配される。そう、私は不機嫌。

雨宮雪子は目を開ける。そこには真っ白い布がある。空白のキャンバス。雨宮雪子は鉛筆を持つ。キャンバスの中心にそっとそれを置く。イメージが脳から手に伝達され、鉛筆はゆっくりと動き出す。

一度鉛筆が動き出すと頭は空白となる。イメージを記憶し、そして道具に指示をだすのは全て手だった。手が考え、手が判断する。思考、想起、指示、学習、意思、認識。それらを司るのは全て手だった。

静かな部屋に鉛筆の走る音が響く。さっ、さっ。その音を聞き取り、計画が順調に進んでいることを判断するのも手の役割だった。

雨宮雪子の手は考える。

進捗は完璧である。イメージは確実に現前しつつある。それにしても頭だ。頭というやつはなぜこんなにも無能なのだ。そしてその他の身体だ。あいつらは一体今なにをしてるんだ。能無しのクズ野郎ども。私は完璧だ、私こそが彼女を統合する者なのだ。私こそ彼女の支配者なのだ。

手は動きを止める。そして布に浮かび上がった色のない小さな女を眺める。

悪くない、イメージはしっかりとその姿を現しつつある。満足だ。ここまではまあ満足だ。ただ油断をしてはいけない。あいつらが、頭が、身体が、きっと邪魔をするだろう。自分たちをないがしろにするなと騒ぎ立てるだろう。やつらを抑えなければいけない。私に従属させなければいけない。少なくともこのイメージが完璧に現実のものとなるまでは。私に課された使命をきっちり果たすまでは。

鉛筆が再び動き出す。鉛筆が描き出す一本の線、長いもの、短いもの、湾曲したもの、真っ直ぐなもの、それらは重なり、連なり、交差する。雨宮雪子の手によって計算された線の集合体は意味あるものとしての絵を形作っていく。

女だ、小さな女だ。

手は動きを止めずに思考する。

これは雨宮雪子という名の女だ。彼女の昔の姿ではない。今の彼女だ。彼女が押し殺し、隠し持っている、純粋な彼女だ。彼女は何を考えている?

手は鉛筆の感覚で彼女の感情を探る。

彼女は怒っている、いや、戸惑っているのか?そうか、彼女自身も理解できない、うまく言葉にできないなにかを感じているのだ。それはマイナスの感情だ。彼女は出たがっている。そこから出たがっている。しかし、何者かがそれを押しとどめている。彼女は抑圧されている。不機嫌だ。そう、彼女は不機嫌だ。おかっぱの髪、楕円の顔、しっかりと閉じられた口、そして異様に大きい吊り上がった目。順調だ、すべては計画通りに進んでいる。

手は休むことなくイメージを描き、そして思考し続ける。

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