【長編小説】父を燃やす 2-10

試験当日は雨だった。

真治は学生服の上に紺色のダッフルコートを着て試験会場へと出かけた。静かに降りつづける雨が傘にあたりパラパラと音を立てる。冷たい空気が顔を刺し、目にうっすらと涙が滲んだ。

普段乗らない電車にのり、流れる薄暗い窓の外の景色をぼんやり眺める。耳に響く車体の揺れる音とともに頭には記憶したいくつかの用語がふわふわと浮かんでいた。

車内には真治と同じような制服を着た学生が数人おり、それぞれ単語帳や参考書を熱心に読みふけっていた。

その姿に真治は同情の気持ちがわいた。そして数時間後に今とは逆に進む電車に乗っている自分はなにを考えているのだろうと考えた。

試験会場がある駅に近づくにつれ学生の数は少しずつ増えていった。ドアが開き、冷たい外気とともに乗り込んでくる彼らは張り詰めた表情をしていた。それぞれの気持ちから発する緊張感は車内に充満し、特殊な空気を作り出す。真治はその空気にあてられて頭がぼんやりするようだった。

電車を降りたあともその空気は試験会場へ向かう一団から離れることはなかった。誰一人口をきくものはなく、水たまりのできた歩道を靴が叩く不揃いな音だけが辺りに響いていた。真治は凍える両手をコートのポケットに突っ込み、ゆっくりと進んでいく一団の秩序を乱すことなく同じ速度で歩いた。

もしオレがなにかを叫んだらこいつらはどんな反応をするんだろう、ふとそんな考えが頭に浮かんだ。これから行う試験を想像し、イメージの問題を解いてるやつもいるだろう、精神を統一して余計なことを考えないようにしているやつもいるだろう、あるいは教師やクラスメイトの姿を思い浮かべているやつもいるかもしれない。そいつらにどんな言葉を浴びせたらこの忌々しい空気を壊すことができるのだろうか。

真治は試験会場までの道程を決して試験にはでないであろう言葉の検索にあてた。

重々しい空気は試験会場の中にも充満していた。真治は割り当てられた自分の席に座り、鞄から筆記用具を取り出し机の上に並べた。

周りを見渡すと真治と同じように椅子に座り静かに開始時間を待つ学生の姿が見に映った。学生たちは参考書を眺めたり、音楽を聴いたりそれぞれ自分なりの精神集中方法を試しているようだった。

真治は試験会場までの道すがら考えたいくつかの言葉を頭に浮かべながら、それらがどのような効果を果たすかを考えた。四つ目の言葉を頭に浮かべたとき、前方の入り口から黒いスーツを着た白髪まじりの男性が姿を見せた。

男性は手に持っていた紙の束を教卓の上に置き、右手にはめていた腕時計をちらっと見た。そして大げさな動作で紙の束を配りはじめた。

前方から送られてくる紙の束がバサバサと音をたてる。その音を聞いているうちに真治の心に自分は今から試されるのだという意識がわきあがった。手渡された用紙を裏返しに置き、真治は頭から不穏な言葉たちを消し去った。

白髪の男性が試験の注意事項を話している間、記憶の扉の鍵をゆっくりと回した。

「それでは、はじめてください」

白髪の男性の声が鼓膜を刺激した。真治は用紙を裏返し、最初の「問題文」を頭に流し込んだ。

そして記憶の扉を大きく開いた。

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