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稲刈り体験を通してin大山 10/23~24

実家に帰って来てからもバタバタな毎日で中々ここに思いを馳せることができなかったのでやっと綴ってみた。


長いので簡単にアジェンダ

1.農業の危機

2.稲刈り体験

3.体験を通して感じた価値観の見直し。

4.農業の未来への展望

5.まとめ




1.はじめに農業の危機について触れたい。

まず農家は、安心安全な農作物の生産・供給を通じて、私たちが生きていく上で欠かせない「食」を支える大切な役割を担っている。また、農家が田畑を維持することで、洪水の防止や、環境の循環を守ることにもつながる
。 しかし、今、農村が抱える問題は深刻だ。農家の平均年齢は67歳。40台未満の比率が10%に満たない超高齢化が進んでいる。このままでは、遠くない将来、農村地域における農業生産の維持が難しくなることは予測される。
 新たに農村地域に移り住んで農業を始める方は、地域を支える担い手というだけでなく、日本の環境と食生活を守ることにもつながる貴重な人材。特に中国・四国地方は山と山で囲まれている山間部な為、農地の規模拡大が困難になっている。


2.

稲刈り体験をしたのはお昼過ぎ。お昼ご飯を食べ、さあやったろ。と思ったのは束の間。さっき食べた食べ物がすぐになくなるように体のエネルギーを消費する重労働だった。

そこはそんなに重要なことではなくかつ個人的な感想だが、あの日は普段よりまして自分の腸の燃費はミニバン並みに悪かったやん。

そのくらいかなり辛かったが、その中でも一つ一つのお米を見ているとなぜか愛おしく感じ、自然と「大きく育たったね」と自然と語りかけていた。

しばらく自分のゾーンに入っていたので、ひさしぶりに同じ大学の友人達を見てみると、皆真剣に稲刈りに向き合っていた。

授業とは違う同じ時間でも、より人間の根源的な作業を共に同じ空間で活動していることを感じた。

また、先輩や年上の方たちが多く、勿論敬意を払いながら話したりしているが、農作業をしている時だけはなぜかそれがなくなり「皆一人ひとりが持っている年齢、経験、知識」などの要素が全て削ぎ落とされているような、どの人とも特別で本当に一時的な、「本当の人間同士の関わり、平等」な時間だなと感じた。

伝わっているかどうか自信はないが、人間には本当は年齢や実績などのスキルはそこまで重要ではないのではないかと感じる。勿論、それに伴って仕事で成功したりなど、これが一般社会の常で良いことではある。しかし農作業での人間との会話が一番に血の通ったものであり、自分はそれが豊かさにも感じた。

計4,5時間行い、さっそく足腰が痛み、自分の体力不足が顕著に出たが、それが人の幸福の為、これからこれを食す人たちの健康や笑顔に繋がると思うと痛みが一瞬にして消え去った。(地元に帰ってからどっと疲労が出たが‥)

取った稲穂は乾燥機を使わず、お日さまの光でゆっくり天日干しをすることで、うまみが凝縮された美味しいお米ができる。

また、日本の原風景としての美しさも肌で感じることができた。


稲刈り体験についての感想は一言でいうと「米も同じ生命ではないか」とと一番に出てきた。

この小さなお米一粒が水を吸い土の養分を吸いそれがこの稲の中で
絶対誰にも教えられてないのに細胞分裂を繰り返し。。。

葉っぱになり、お米になり、そう思うと。

私たちももちろんお米を食べ、お水を飲み
食べ物をいただきそれが誰にも教えられてないのに

細胞分裂を繰り返し。。。

それがやがて人間の皮膚になり

髪になり
骨になり爪になり

なんて不思議なんだ。

その一連の営み。

生命のゆくえ。

それの一つが今回の田んぼの稲刈りだったり

そばで見ていてくれたバッタであったり
鳥達であったり

周りの人間であったり。

そういったもの全てが「生命」ということには
ひとつも変わらないのではないかと感じた。

稲は自分であり
私は自分である。

バッタは自分であり
自分はバッタである。といっていいほど表裏一体だろう。



3.

少し自分のことについて話すと、、。

そういう意味でも人間は外部からどれだけ栄養を贈与されてきたか。

そういった経緯も知らずに生きてきたことが恥ずかしくなった。お米のことを考えるとHSP気質である自分は(悪いことではないが)よく他人や他の物事を自分のことのように考えてしまって同じように苦しみ、同情し、それが病んでしまうことがある。

だからといって自分の価値観や考え方を180度変える必要はないし、そのアンバランスをどれだけ平行にし、上手く生きやすき生活してくかを考えることが大事だと気づくこともこの体験で培えた。

色んな事柄に挑戦し、動いている大学2年だが、キャパオーバーになっている今の時期。

そういう状態でも断る勇気を持つこと、95%以上タスク、5%以下休養といった従来の大学生活が自分の身体を痛みつけていることが分かった。

60%タスク、40%休養、趣味に没頭する時間といった比重も本当に必要だと感じた。

気を張りすぎずにゆとりを持とう。

泥まみれになって、ずっと腰をかがめたままで行う稲刈り。それらの米が、日々成長していく様子を目の当たりにしていると、命の存在を実感する。命を慈しみ育てる喜び、食べ物に感謝する心。それを自分の農業体験の中から、自分は少しだけ身についてきたように感じる。


4.

 今年は自粛期間があったため、例年よりも食のありがたみを感じることが幾度とあった。様々なことを制限して生活してきたが、食べることに対しては自分たちはやめることができなかった。だからこそ、私は食の大切さをより感じ、生きるためには食を欠すことなどできないため、私たちは苦労をして育てるという機会を与えていただいたことに感謝の気持ちでいっぱい。

大きく育っている稲が、自分を見に来る自分たちの期待に応えようとしてくれたのかなと思うと、「よくぞ、ここまで!」と声をかけたくなりました。自分は、機械を使ったほうが断然うまくお米を育てられるだろうと思っていたが、そうではなかったようで、手作業で農業をすると、自然の恵みの大切さがわかるだけでなく、農作物も元気に育ってくれるということがわかった。

現在はスマート農業「ロボット技術やIoT(モノのインターネット化)、ICT(情報通信技術)等の先端技術を活用し、省力化や生産物の品質向上を可能にする新しい農業のこと。」などが発達し、未来の一次産業は安泰、明るいなどと書かれている記事をよくみる。それも勿論労働者不足には好材料だが一概に良いとは思えない。

2030年は、人々が都市に集中すると予測されている。人が集まると食料が必要になる。従来は、生産地から人々が暮らす都市へと農産物が運ばれていたが、効率や流通コストの面から都市農業が発展することが考えられる。

都市化が進み、人気の都市に人々が集まるようになると、生活費が高くなる。また予測されている人口減少により、労働力が不足すると、流通にかかるコストが高くなっていくことだろう。もちろんその頃には、人手を必要としない技術の発達も考えられるが、都市農業が発展すればより効率よく都市に暮らす人々に食料を供給することができる。

都市の中に農業を取り入れることはすごくよいことで、それこそデンマークやアメリカの先進地域のように国自体が変化する見込みもある。


5. まとめ

そういった未来を語るのも良いが、何より、農家さんが「自分の子供のように手間暇かけて育て、その温もりと皆の健康を祈った強い想いは何物にも変えられないもの」だと感じる。そういった想いはこれからも続いて欲しいと思う。



食べ物は全て命をもっている。自分たちは命のあるものしか、食料として利用できません。その命を犠牲にして、そして生きている。これはとても残酷なこと。しかし、だからこそ命は尊いものだといえる。

 現在、自殺者の増加が社会問題化している。自殺者数は年間3万人を超えている。交通事故による死亡者は5千人以下で、この数字の大きさにはビックリしてしまう。これは、命を粗末にしている人が増えていると言うことに他ならない。

 食べ物を大切に扱うことは、他の人の命や、自分の人生を大切に扱うことにつながる。例えば、いじめ・不登校・万引き・喫煙など特に学校生活には、いろいろな問題が存在する。それらは、自分自身を大切にしていないから起こってしまうような気がする。



この「note」投稿も自分自身の言葉のアウトプットを高めること、自己啓発の一端にしたい、あとは自分の考えが一人でも多くの方の心の片隅にでも入ってほしいなとの思いで始めたが、最近、淡路に住んでいて大山でもお世話になっている人から、「自分の投稿を見た人から声がかかった」と聞いたときは心底嬉しかった。

自分もゼミの誘いでできた素晴らしい縁を感じていたが、何気ない投稿から今度は自分自身が縁を繋いだ気がして、「これが人と人との繋がり、平和への一歩か!」とひさしぶりに心の奥底からわくわくする感情が生まれた。

それと同時に低かった自分の存在価値も高くなり、貢献できる一人なんだと自覚することができた。まだまだ未熟者だけれど、やりたいと思った気持ちのゆくままに行動できるような素直な気持ちを持ちたい。



追記:お米についても精米をしていないので、おいしいお米に育ったか分からないが、お米の成長が見ることができただけでも、胸がいっぱいになった。

来年のお米づくりも頑張りたい。


19歳の拙い文章をみて下さってありがとうございました。



以下、お世話になっているタネノチカラの方々の活動

・大山農業組合


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