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【短編小説】三婆

 八百青のハルさんがまだらボケになったのを、うちの婆さんと、仲良しの清子さんは大変心配している。三人とも八十超えているので、次は我が身と思うのか、二人はハルさんの病状にとても関心があるのだ。
「ハルさん。なんぼボケたいうても、ずっと家におったら、ようなかろう」
「ハルさんには皆んな世話になった癖に、ボケてしもうたら知らん顔じゃあ、あんまり酷かろう」
「じゃの」
と二人で僕の顔を見る。無事医大に合格し、入学式まで暇な僕は、必然的に婆さん二人の話の聞き役にされている。
「じゃの、て言われても、なに? なんか考えればいいの?」
「じゃの」と、二人で頷く。
「そんな、三人で散歩でも行けば。あ、ハルさん、足悪いのか」
「じゃの」
「散歩は無理か。俳句でも、つってもボケてんじゃねえ」
「じゃの」と、二人も困り顔である。
これはなかなか難しい。
 ハルさんは息子の源さんと二人暮らしで、源さんは八百屋の仕事に忙しい。日なか、なかなかハルさんと話す時間もない。かといって、店に置いておくと、売り物の大根とかほうれん草をムシャムシャ食べちゃうので、置いてはおけない。だから、奥の扉を開けて店から見えるようにしておいて、和室に座らせておく。テレビをつけて見せているが、会話がないので、益々ボケが進まないか、源さんは心配している。ハルさんはテレビは見ているそうだが、目に精気がないという。二人は源さんからそれを聞いてきて、激しく心を痛めているのだ。
 だから、なるべく二人はハルさんのところへ行くようにはしている。しているが、まさか一日中いるわけにもいかない。それで自分たちがいない時間、ハルさんができることを何か考えろというわけだ。
「考えるのがダメなら、塗り絵とか、どうかな?」
「ぬりえ?」
「そう。最近は大人用の塗り絵もあるらしいよ。塗り絵なら、ボケてても楽しめるんじゃない? 頭と指の運動にもなるし」
 我ながらいいアイディアだ。婆さん二人は顔を見合わせて、何やらゴニョゴニョ相談している。やがて、相談がまとまって、二人で塗り絵と色鉛筆をハルさんにプレゼントすることに決めたようだった。
 アイディアを出した僕に礼も言わず二人はいそいそと本屋に出かけて行った。

 1時間後、二人の婆さんは、プレゼント用に包装された塗り絵と色鉛筆を買ってきた。が、それよりも興奮する出来事があったそうなのだ。
万引きである。
なんでも、中学生の男の子が漫画を万引きするのを清子さんが見つけて、声をかけたら逃げたそうである。
「走って逃げた」
といかにも残念そうである。
「店の人に言った?」
「言った」と二人で頷く。
「店主って、あの頭のハゲた」
「大村さんじゃ」
「顔は見たの?」
頷く。
「盗んでるとこも?」
「ばっちし」
祖母が親指と人差し指で丸を作って、顔の横で揺らす。
「最近、本が売れないからただでさえ大変なのに、その上盗まれちゃ、やってけないよねえ。で、被害届出すの?」
「それがの。大村さん、出せん言うの」
「え? 証人もいるのに出さないの?」
「"出さん".じゃのうて"出せん"言うの。万引きは現行犯でないと駄目なんじゃて」
「証言は証拠にならないのか。残念だねえ。漫画一冊でも犯罪なのにねえ」
首をふる。「五冊」
「えっ? 五冊かあ。商店街の小さい本屋でしょ。痛いねえ」
 僕はスーパーの影響で、歯抜けのようになった商店街に残る本屋を思い浮かべた。
「それに、どうやら、、」
清子さんが小声で言う。他に誰もいないのに、あえて小声にする。二人が意味深に顔を寄せてくる。
「どうやら、大村さんは犯人を知っちょるらしい」
「飯田いう家の息子らしい」
結構な小声なのに、よく聞こえているらしい。最近の補聴器の性能は素晴らしい。
「二人は、その飯田さんって知ってるの?」
「知らん」
「大村さんが、さっきおったんは飯田ん家の倅じゃちて呟いての、婆さん方、あとはこっちでやるんで、他言無用に願いますちて言いよった」
「犯人しっちょるんなら、家行ってどやしつけえ! その方が教育じゃ、言うたんじゃが、まあ婆さん方、後はこっちでなんとかしますわ言うてな、これもろうた」
と、ポケットからメモ帳を出した。出版社が宣伝用に本屋に配る薄いやつである。ちょっと自慢げである。
「そう。じゃ、仕方ないね。それ、口止め料だよ」
聞いて婆さんたちは驚き、不満顔になる。多分、大人同士で一件落着の案件だ。婆さんたちには不満であっても。
「さっ、早くハルさんとこ行って、塗り絵届けといで」
二人を追い出して、僕は寝転んで漫画を読み始めた。

 夕食の後、うちの婆さんが部屋にやってきた。婆さんの話を聞くのも、今の僕の役目だと思っていたので、快く部屋に入れた。
「ハルさん、どうだった? 喜んでた?」
「初めは妙な顔しとったが、清子さんとワシとで色塗りを始めたら、ハルさんもやり出して、真剣じゃった」
「じゃ、喜んでくれたんだ」
「何も言わんからわからんが、ずっと塗っちょったから気に入ったんじゃろうな」
「よかったじゃない」
婆さんはモジモジしている。昼間の万引きのことが気になって話したいんだろう。もう大村さんがいいって言うんだから、首突っ込まない方がいいんだがな。
「あのな、昼間の万引きじゃけど」
ほら来た。
「もう関わらない方がいいよ」
「じゃが」
「なに?」
「なんで五冊もとったんかの。いっぺんにそんなに読むんかの」
「平積みじゃなくて、棚に差してある端から五冊盗ったんじゃない?」
「ほうじゃ。見てもおらんのにようわかるの」
「その漫画が好きで読んでるんなら、一番新しいのだけ盗むでしょ」
「ほじゃの」
「一番新しいのは平積みで置いてあるでしょ。それじゃなくて棚からごそっと抜くのはね」
「うん」
「売るつもりなんだよ」
「え。読むんじゃのうて、売るんかね」
婆さんは目を丸くする。
「たぶんそうだよ。だから続きで盗ったんだよ。多分一巻から」
「売るために盗るんか」
「そう」
「恐ろしい世の中じゃのう」
婆さんは眉根に皺を寄せる。「飯田ん家の倅は、お小遣いもらえんのかの。金遣いが荒いんかの」
「それか、、」
言おうかどうしようか迷った。言えば、婆さんの好奇心にきっと火がつく。燃料投下となる。どうしようか。
「誰かに、やらされてるか」
ああ、言ってしまった。燃料投下されたんで、婆さんは今メラメラと燃え始めた。
「こうしちゃあ、おれんの」
「え? どうすんの」
「こうしちゃあ、おれん。清子さんに相談せんと」
いそいそと立ち上がり自分の部屋に行く。電話で清子さんと今後どう動くか話し合うのだろう。やっぱり言わなきゃよかった。

 で、出た結論は校門で待ち伏せ。飯田の倅に直接意見すると言う。誰かにやらされてるなら、そいつを突き止めると言う。
「婆ちゃん、よしなよ。今時の中学生、おっかないよー」
と怖がらせてみても、婆さんの意思は変わらない。4時前から、清子さんと二人で校門に張り込むと言う。
で、翌日の3時半には、手押し車をガラガラ響かせて出かけていった。
 余計なこと言うんじゃなかった。
 後悔したが、もう婆さんは行動に出ている。責任上、ついて行くことにした。もし、中学生の変なやつが出て来たら、迷わず中学校に連絡するか警察に連絡する。すぐに連絡できるように、中学校の電話番号も調べておいた。
 途中で清子さんと落ち合い、二台の手押し車は中学校に向かった。その後をぼくが歩く。
「その、飯田くんだけどさ、部活やってるかも知れないよ。そしたら、校門から出てくるのは、ずっと後だよ。その辺、わかってからにした方がいいんじゃない」
言っても聞かず、婆さんたちはズンズン歩く。都合の悪いことは聞こえないという技を、どうやら覚えたらしい。観念して、僕も歩く。
 校門では丁度、下校の生徒たちが出始めた頃だった。僕らは校門のよく見える電柱の陰から、それを観察した。といっても生徒たちには丸見えで、こちらに歩いてくる生徒は皆、怪訝そうな表情で僕らを見る。
10分もたった頃、
「来た!」
と二人同時に声を出す。飯田くんは僕らの隠れている?所とは逆方向の道を行く。すぐに婆さん部隊が出動する。
 飯田くんは背の低い真面目そうな子だった。制服の着こなしもきちんとしている。
「ちょっとまだ人が多いの。もすこし少のうなってから声をかけようや」
清子さんが言って、うちの婆さんが頷く。が、飯田くんの足が速い。早歩きだ。飯田くんと僕らの距離がどんどん離れて行く。
「ちょ、あ、どうする、婆ちゃん」
「追って! 先の公園のとこで止めい。追いつくけえ」
公園にはまだ大分あるぞと思いながら、飯田くんを追う。暫く距離を詰めながら小走りで行くと、飯田くんがパン屋の前で急に立ち止まる。パン屋の隣が公園である。何か買い食いでもするのか、と見ていると、公園の中から、柄の悪そうな中学生が二人出て来た。体も大きい。行くか? いや、まだ何も起こってない。
 二人は飯田くんの肩を抱いて何やら喋って公園に戻る。飯田くんはパン屋に入って行った。そのうち婆さん二人が追いついてくる。
「飯田くん。今、パン屋」
「ほうけ」
暫くして、パン屋の袋を下げた飯田くんが出て来て、公園に入る。僕たちも入ってみると、五人くらい悪そうなのがいて、袋からパンやらジュースやらを取り出して食い始めていた。飯田くんは、ただ立っている。
「あちゃ、完璧カモられてる。婆さん、ちょっといっぺん公園出よう。学校に連絡するわ」
と言ってるそばから、手押し車二台は不良たちに近づいて行く。あ、マズイ、と思った時にはもう、二人は意見し始めていた。
「あんたら、何しよるんかね!」
清子さんは怒っている。
「なんだ、ババア。あっちいけ」
「あんたら、この子にタカりよるんじゃろ!」
うちの婆さんも負けてはいない。
「なにお、ぶっ飛ばすぞ」
「学校に連絡しちゃる!」
「ああ、なんぼでもしてみい。俺ら、奢ってもらとるだけや。なあ」
と飯田くんを見る。怯えたように頷く飯田くん。
「そうは見えん!」
「そうは見えんぞ!」
いやいや、婆さんたちの意気は高い。高いが、飯田くんが奢ったと言うなら、形勢は悪い。飯田くんがそう言い張るなら、たぶん学校でも同じ構図で詰めきれない。ここは一旦引いて、後で飯田くんを説得するしかないな。そう思って、婆さんと不良の間にはいる。
「あ、婆ちゃんたち、ここいたの。や、探したよ。お散歩コースから外れてるって。さっ。こっちこっち、戻るよおー」
とか言いながら、二人を方向転換させる。うまくいくかと思ったが。
「待てよ! 人を疑っといて、逃げんのかよ。謝れ」
「そうや。土下座せい」
「小芝居すんな。どうせ身内だろ。お前も土下座せー!」
「飯田。お前も言え! 土下座って言え!」
飯田くんも巻き込む気だ。こりゃマズいな。どうする。婆さん置いて、逃げるわけにもいかないし。二、三発殴られて、被害届だすか。
「飯田! この兄ちゃんに落とし前つけたれ」
ああ、ますますマズいパターンだ。飯田くんにやらせる気か。
「やれよ! 飯田。俺ら仲間だろ」
「そうそう、やれやれ」
「飯田。やっちゃえよ」
飯田くんはかたまっている。婆さんたちは怒りの目で不良たちを睨みつけている。しかし、婆さんじゃ。どうする。どうすればいい?
「おー。清子婆ちゃん。お散歩かい」
と、呑気な声が公園に響く。振り返ると、黒い式服からワイシャツを出し、ネクタイをとった男が立っていた。なぜかバスケットボールを抱えている。誰? しかしよく見れば、紛うことなく、それはーー、
ヨッちゃん。
この界隈で知らぬ者のいない喧嘩無双の男である。地元のヤクザの幹部の頭をペチペチ叩いて笑える男である。道で出会っても、決して目を合わせてはいけない男である。
「おお、相良少年もおるんか」
「どうしたんですか、その格好?」
「ちょっとな。結婚式があってな」
不良たちが一斉に口を噤んで目をそらす。
ヨッちゃんはガニ股で近づいてきて、
「清子婆さん、どうしたんじゃい」
と、もう一度訊く。
「こんならがのう、ワシらに土下座せい言うんよ」
不良の誰もこちらを向いてない。ヤベ、と顔が言っている。
「土下座? こんならが清子婆ちゃんに土下座せいてか」
 どんどん近づいて来て、僕らを追い抜いて、一番威勢のよかった中学生の前に出る。
「少年! 土下座は穏やかでないのう。お年寄りは大切にせんといかん。違うか」
中学生は青くなって周りを見る。がみんな視線を合わせない。
「おう、そこの飯田とかいう少年」
「はい」
「レシート見せい」
「パン屋のレシートじゃ。貰わんかったんか」
「あ、いえ」
とゴソゴソポケットをまさぐってレシートを渡す。それを見て、不良に向き直り、
「少年!」と怒鳴る。
「あ、はい」
「金は払うたんか」
「あ、いえ、飯田が奢るって、その・・・」
 ヨッちゃんはフッと笑って続ける。
「飯田少年は働いとるんか」
「えっ?」
「じゃから、飯田少年は働いちょるんか? どう思う」
「それは、まだ、です」
「働いてないのう。そうじゃ。どう見ても中学生じゃもんな。じゃ、聞こう。この金は誰が働いた金じゃ」
「それはその、飯田くんのお父さんとかが」
「そうじゃ! じゃ、聞こう。お前は飯田少年のお父さんに礼を言うたか」
「お父さんに? いえ、言うてません」
「なんでじゃ。金の出所が飯田少年のお父さんつて知っとるのに、なんで礼を言わん!」
「えっと、あの」
「今日だけ奢らせたんじゃないの」
「あ、いえ。今日だけです」
「言うとくがの。俺は嘘は嫌いじゃぞ」
 笑いながら睨みつける。傍目にもものすごく怖い。
「前からです」
「そうじゃろう。前から飯田少年のお父さんに奢られといて、一度も礼を言うてない」
「は、はい」
「ええか、覚えちょけよ。こういうのをタカリち言うんじゃ。オゴリとは違う。知っとるか。タカリ」
「あ、はい」
「そうか。知っとるんなら話は早い。なら、お前らが謝らんかい! 飯田くん。タカってすいませんでした。もうしません、言うてな」
「それは・・・」
躊躇った瞬間、バスケットボールが顔に飛んだ。不良少年は、吹っ飛んだ。
「ああ、すまん。ボール返そうと思うて手元が狂った。すまんすまん。じゃが、お前ら、学校サボって公園でサッカーするんは感心せんの。ましてバスケットボールじゃ。どうせ学校のじゃろ。バスケットボールを蹴るのは感心せん。じゃけど、俺は謝ったぞ。お前らは、どうじゃい!」
 鼻を抑えながら立ち上がった少年は飯田くんに謝った。
「飯田くん。タカってすいませんでした。もうしません」
「他の奴らは!」
他の四人も謝った。
「婆ちゃんらには!」
五人揃って頭を下げる。それからその場を逃げようとすると、
「金を払ってけ!」
とヨッちゃんに言われ、財布から小銭を出し合って飯田くんに払う。
「よし、行け! 二度と飯田少年に関わるな」
五人は脱兎のごとく逃げて行った。

「ヨッちゃん。危ないとこありがとうな」
「なんのなんの。清子婆ちゃんもそっちの婆ちゃんも怪我がのうてよかったの」
二人の婆さんは目をハートをして感激している。
「やっぱり、この町にヨッちゃんはおってもらわんと」
一回も聞いたことのない台詞をうちの婆ちゃんが言う。
「ヨッちゃんは清子さんとお知り合いなんですか」
うちの婆さんが訊く。
「この町に来て、地回りと喧嘩した時、清子婆ちゃんに手当してもろうたんじゃ。それからの付き合いじゃの」
「ほうじゃの」
と清子さんが目を細める。
「ヨッちゃん、今何しよるの。護岸工事は終わったろ」
「今はの、氏神様で社人をしよる」
社人。寺で言えば寺男のことである。
「ほうけほうけ。そりゃ結構なことじゃ」
「今日は、あれかい、神社で結婚式があったんかい」
「そうじゃ。今、帰りじゃ」
「社人さんじゃったら、準備やら片付けやら忙しかろう」
「いや、今日は社人じゃのうて、招待客でいったんじゃ」
「成程、それで礼服か。どこぞの方の式であったか」
「町田さんの娘さんじゃ」
「おう、知っちょる。行き遅れたか思うたら、ええ縁があったのう」
 悪気はないのだろうが、普通に失礼なことを言う。
 町田さんは前にチンピラに絡まれた時、ヨッちゃんに助けてもらったことがある。たぶんその縁で呼ばれたんだろう。
 みんな知っている町の噂には、その後があって、ヨッちゃんと町田さんは付き合っていることになっていた。まさかとは思ったが、今日聞いて、やっぱり嘘だとわかった。わかったが、なんとなく残念だった。いや、とても残念だった。
 話していると、学校の先生たちが自転車でやって来た。騒ぎを聞いて、パン屋の店長さんが学校に連絡してくれたようである。簡単にあらましを語って、飯田くんを預ける。後は学校に任そう。ヨッちゃんはいつの間にかいなくなっていた。

ところでハルさんであるが、塗り絵がたいそう気に入ったようで、あれから一人でも熱心に塗っていたそうだ。
「なら、新しいの、またプレゼントしないとね」
と言うと、婆さんが首を振った。
なんでも、塗り絵の本を仕上げた後、ハルさんは絵を描き出したそうなのだ。店にあるカボチャやらナスやらを上手に描くそうなのだ。いっぱい描くので店にも飾っておいたら、お客さんに評判になって、譲ってくれと人気なそうなのだ。
「へえ、武者小路実篤みたいだね」
「誰かい」
「いや、いい。婆ちゃんの知らない人。ねえ、ハルさんの絵、一枚僕にも貰ってきてよ。見てみたい」
「ああ」と言って、婆さんは本屋でもらったメモ帳を広げて、
「六人待ちじゃの」
と答えた。

           了

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