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あの頃16

本屋で文芸誌というものを初めて買った。先輩の話だと純文学が載っているらしい。あと、現代詩を知りたいんなら「現代詩手帖」てのもあると教えられた。

本屋で、文芸誌の置いてあるコーナーにいく。4、5冊ある。どれも田舎の本屋では見たことがない。置いてあったのかもしれないが、知らなかった。
「現代詩手帖」もあった。「現代思想」というのもあった。サルトルのことを思い出して、ぺらぺらめくってみたが、難しそうなのでやめた。今日は文芸誌を買いに来たのだ。
だが、どれを買っていいかわからない。文芸誌だから、名前の通り「文藝」がいいんじゃなかろうかと思って手に取る。
三田誠広の「帰郷」の連載があった。三田誠広は高校時代、「僕って何」を読んだ。軟弱な小説だと思った。癖に、一日で読み切った。軟弱でも面白かった。学生運動の話で、真剣、真面目、悲壮、理想、挫折みたいな定番学生運動小説の逆張りみたいだな、と思った。後年、島田雅彦の「優しいサヨクのための嬉遊曲」を読んだ時も、おんなじようなことを思った。
だが「帰郷」は真面目に書いてある。埴谷雄高の書くような思想小説にしたいと、三田誠広が書いていたような気もする。必ず完成させる、とも。しかし完成しなかった。これも後年、「漂流記1972」がでたとき、なんだ同じやり口か、とがっかりしたものだ。

その時は知らないので、数ページ読んで、「文藝」を買うことにした。すると、そばに「早稲田文学」という薄い冊子もある。行けなかった早稲田の名前に惹かれて、これも買った。
結局、「文藝」はあまり読まなかった。「早稲田文学」に載っていた、加藤典洋の「アメリカの影」と渡部直己の「幻影の杼機ーー泉鏡花論」が、やたら面白く結局連載終了まで読んだ。その流れか、卒論も「泉鏡花」にした。だから渡部直己の起こした事件は悲しかった。まあ、文学やる奴はろくでなしだと、改めて世間に知らしめるには、よいことだったが。

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