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【短編小説】団子屋の息子のこと


 いつも必ずお代わりし、時には、誰かが残した給食まで頂こうとするカナコに異変があったのを、わしは先週から気づいていた。
 給食半ばで人目を盗んで、カナコはパンを半分に千切り、その半分をプリントに包み、机の中に突っ込む。本人だけ知られてないつもりでおるが、カナコより後ろの席の者は、とうに気づいておった。ただ、そんなこと言うても、カナコが大騒ぎするだけで面倒くさいので、だれも何も言わんだけじゃった。
 わしもなにも言わなんだし、気づいてないふりをしておったんじゃが。今日授業が終わって、机の中の物をランドセルに詰め替える時じゃった。カナコが手を滑らせて、プリントの包みがわしの足元まで転がった。プリントが広がって、中のパンも丸見えになる。慌ててカナコはパンを拾い、プリントに包み直した。どう考えても見えちょるはずじゃが、カナコが周りを見回した時、目を合わせるものは誰もおらんかった。
 じゃが、わしだけは言い逃れできん。パンの包みはわしの爪先スレスレまで転がってきおったし、それを確認して顔を上げた刹那、カナコと目がおうたからじゃ。慌てて視線を逸らしたが、もう遅い。案の定、学校終わりにカナコは教室の外で待ち伏せしおって、
「タツ。帰りにちょっとつきあえよー」
と言うた。
「悪いの。今日は用事があるんじゃ」
「うそ、じゃろお?」
カナコは見抜いておる。
「パンのことは、誰にも言わんけえ」
「ほーら、やっぱり見ちょったなあ」
「興味ないけえ」
 振り切るように歩くんじゃが、六年生の下駄箱まで、カナコは付いてきよる。下履きに履き替えて、校門を出ても、付いてくる。
「お前、ひつこいど」
「じゃから、付き合え」
 十歩あるけばカナコも十歩。止まればカナコも止まって、じっといごかん。
「わかったわ、降参じゃ」
 このままじゃと、今日も明日も付き纏われそうじゃったんで、渋々わしは了解した。
 いつもの通学路を外れて、カナコは路地に入っていく。小さな捨てられた畑があって、その向こうに今にも倒れそうな掘立て小屋が建っておる。とゆうても、その辺に建っている家は、殆どが掘立て小屋じゃったが。
 カナコは畑の前まで来ると、しゃがんでランドセルからパンの包みを取り出した。包んであるプリントは今日の算数の宿題じゃった。
「そのプリ」
 まで言ったところで、
「おーい、パンもってきたどー」
とカナコがさけんだ。
 すると、掘立て小屋の陰から、茶毛のでかい犬が飛び出してきおった。おお、と声が出るような大きさであった。大角さん家の秋田犬ぐらいはあった。ただし、どう見ても雑種であったし、アバラが浮くほどに痩せておった。
 突進してきた犬はカナコにむしゃぶりつき、カナコは尻餅をつく。それでも両手を犬の首に回し、それから全身を撫でまくる。犬もカナコの顔を容赦なく舐めまくる。互いの勢いを見てわしの気持ちは引くばかりであった。
 カナコはプリントをビリビリ破ってパンを出し、犬に食わせる。美味そうに犬は一瞬で平らげた。どう見ても首輪をしてない。野犬だ。
「ノラじゃろ。首輪がない」
 見たままを言うてみた。
「飼い犬じゃ」
 異な事を言う。
「飼い主は、あの家のもんか」
「ちがうー」
「じゃ、どこの犬じゃ」
「この犬の飼い主はのー、タツじゃ」
 と、嬉しそうな顔で驚くことを言う。こんな犬の飼い主になった覚えはない。わしは強く抗議しようとしたが、カナコのあまりに幸せそうな顔に、言葉が鈍るのだった。
「カナコな、わしはこの犬を今初めて見た」
「そうじゃろうなぁ。はじめて連れてきたものな」
「初めて会うた犬の飼い主じゃちて、いきなり言われてもな」
「ダメか」
「そりゃ、無茶じゃ」

「最近、野良犬が多いけえ気をつけえよ」
 親父が口にした。確かに目に見えて多くなった。
"犬捕り"も頻繁に見るようになった。犬捕りは、長い棒の先に、輪っかのついたローブを下げた器具をいつも持ち歩いていた。
「犬捕りは、捕まえて犬をどうするんじゃろう」
「そりゃ決まっとる。煮て食うんじゃ」
 平然と驚くべきことを親父は言う。
「く、食うんか」
「猫なら三味線の皮になるが、犬はなるまい。なら、食うしかあるまい」
 想像して、気持ち悪くなる。ちょうど部屋に入ってきた母親が、助け舟を出してくれた。
「本気にしなや。保健所の人じゃ。増えると、厄介じゃから、捕まえにきてくれるんじゃ」
「そうか」とホッとして、「捕まえてどうするんじゃ」と今度は母親に訊いてみた。
「そりゃ、引き取り手がなかったら処分じゃろう」
「処分って」
 母親はちょっと困って親父を見る。すかさず親父は俺の出番かとばかり勇んで答える。
「処分ちゃ、殺処分。殺すことじゃ。まあ、仕方ないじゃろ。日本は文明国じゃからの」
「狂犬病もあるし。仕方ないことじゃ」
と、母も同調する。犬を殺して文明国? 合点がいかなんだが、その時はあまり突っ込むことはやめておいた。

 カナコと犬を見ながら、先日の会話をを思い出した。この野良犬。野良犬ならば、予防注射もしておるまい。
「カナコ。野良は注射打っとらんから、危ないど」
「何が」
「じゃから、狂犬病じゃ」
「あほか。病気にかかっとったら、こんな懐くわけがない。とうにあたしを噛んどるわ」
 ま、まあ一理ある。じゃが、どうしてもわしはその犬に近づくことはできんかった。
「悪いがの、カナコ。わしはこの犬の飼い主にはなれそうもない」
 正直にまた言うた。豈図らんや、カナコは素直で、
「そうかぁ。残念じゃのう」と言う。
「お前、この犬をどこぞの飼い犬にしようと企んでおるのか」
「ま。そうなんじゃが。うまくいかん」
 そりゃそうじゃろ。カナコん家もわしの家も借家じゃ。借家のくせに、犬を飼うなんぞなかなかできん。カナコはそれを知ちょるはずなのに、わざわざわしを連れてきた。わしには勿論飼えんが、多分、思案させる算段なんじゃろう。誰か飼えるアテがあるのか。

「団子屋の息子はどうじゃ」
 無責任に言うてしまう。その時は多分、相手の迷惑なぞ、一片も思わず言うたと思う。
「あいつん家は、団子屋のじゃけえ、代々の持ち家じゃ。犬の一匹くらいなんとかなるんじゃないか」
「ほんとか!」
 カナコの顔が綻ぶ。団子屋の息子。洋二言うたか。ちゃんと話したこともないやつのことを、わしはまさしく、こともなげに口に出した。
「両田かあ。なるほどのう。両田とは気づかんかったわ」
 カナコは勝手に合点して、勝手に喜んでおった。

 団子屋の両田洋二のことをどう言えばええのか。つまり、一言で言えば、つまらん奴である。
 まず面白味がない。話してて飽きる。頭も悪い。わしより悪いんで、これは救いようがない。小柄で運動神経もあまりない。ちゅうことで、あまり友達もおらなんだ。
 この辺りでは、甘味処は両田屋くらいしかなかったんで、古くからの馴染みがついている。毎日、一定の客がくる。一定の客が来るちうことは一定の金が入るちうことである。金は下げられたザルにためられ、金の出入りはまさに丼勘定であった。
 洋二はよくカゴから百円、二百円取り出しては、友達に奢った。それで友達と繋がろうとしていた。金を配って、今日一緒に遊んでくれと言うこともあった。わしは遊びたいやつと遊びたいから、金は貰わなかった。そんな金を貰えば、うちの親父に半殺しの目に遭わされることも知れていた。

 次の日の朝、早速洋二を捕まえて、二人で頼んでみた。洋二はアホ面でしきりに感心していた。
「それでカナちゃん。パンを残すのか。合点がいったぞ」
「なんじゃい、お前も知っとったのかい」
 カナコは洋二の坊主頭をペチペチ叩きながら、
「すまんが、犬の飼い主になってくれ」
と言う。元来友達がおらず、組で話しかけられることさえ稀であった洋二は、一も二もなく引き受けた。そして、その日から洋二もパンを残して犬に与えるようになっていった。
 飼い主ができたとはいえ、犬はあの場所から動こうとはせず、まさか抱えて家に連れ帰るわけにもいかず、事態は以前と一向変わらないらしかった。
 わしは、カナコの頼み事を洋二に押し付けられたので、清々して、そのうち犬のことは忘れてしもうた。カナコも、最早飼い主は洋二なったので、やがて犬のもとにはいかなくなった。下校途中に突然懐かれて、その時はいい気になって可愛がったものの、毎日の餌やりは苦痛であったらしい。何より、パンが半分しか食えんことが、カナコを苦しめた。洋二なら時々団子の売れ残りも食わそう、と丸投げして、カナコも犬のことを忘れた。

 ひと月もたった頃、町で子供が野犬に噛まれた。怪我はたいしたことはなかったが、この先、いつ同じことが起こってもおかしくはなかった。野犬どもは、五、六頭の束になって、町をうろつきはじめたのだ。犬はもともと狼からきたもんなんで、集団化しやすいのであろう、と親父は言っておった。一匹でも恐ろしいのに、五匹六匹とおれば、それが何グループもおれば、尚のこと恐ろしい。噛まれた子供は、小枝で犬に戦いを挑んだそうだった。出会ったら、目を見ずに、ゆっくり離れること。誰の家でも構わんから、逃げ込むこと。背を向けて走らぬこと。無闇に大声で威嚇せぬこと。小枝で戦いを挑まぬこと。などを先生が教室で言うた。登下校の時間には、棒を持った大人が何人も町角に立った。巡回するお巡りさんにもよく会うた。
 犬の群れは、学校でも見ることができた。校舎の東側は山田川の堤防に面しておって、二階に上がると、堤防の高さになり、三階に上がると、堤防の向こうの河原まで見えた。その河原に背の高い草が茫々生えておって、そこがどうやら、犬のねぐらの一つのようだった。
 町で犬捕りに追われると、犬どもは堤防を駆け上がり、河原の草地へ潜ってしまう。五、六匹が列をなして、駆ける姿はなかなか壮観であった。先頭を走るリーダーの赤毛の犬は、なかなかに頭が良く、罠にもかからず、犬捕りの裏をかいて、いつも逃げおおせておった。危険極まりない野犬の群れであるのに、なぜかその走りにわしは胸のすくような思いで見いっていた。そしてある時、気がついた。犬の群れの最後を走る茶毛の犬は、カナコのあの犬ではなかろうか、と。
 数度しか見ておらんのでなんとも言えんが、どうしても、あの犬と思えてならなんだ。
 カナコを連れて、休み時間の度に三階の東側の窓を見張っておると、やがて犬の群れが走った。
「確かに、あの犬じゃ。こりゃ、飼い主に確かめんといけんな」
 神妙な面持ちで、カナコはそう言った。

 昼休み。教室で洋二に語らせた。犬の群れの話をすると、すぐに話し始めた。きっと吐き出す場所が欲しかったのであろう。
「飼い主になって十日もしたろうか、いつものように、パンを持って畑に行った。犬を呼んだら、茶毛と一緒に赤毛の犬もやってきた。
 パンをやると、茶毛が咥えて、赤毛の前に置く。暫く匂いを嗅いでおったが、そのうち赤毛が食うてしもうた。茶毛は尻尾を股に挟んで、側に控えておった。まだくれるかと、赤毛がわしを見るんで、両手でナイナイした。すると赤毛は元来た道を戻って行った。茶毛もその後をついて行って、一度もこちらを見んかった。いつの間にか、二、三頭の犬が出てきてこっちを見ておった。わしは恐ろしゅうなって、それから畑には行っとらん」
 押し付けといて、忘れとった手前、強くは言えんが、洋二の言い方は何か怪しい。
「本当か」
と詰めて言うと、パン以外に食いもんを畑に持って行ったことを、これまたすぐに白状した。
「売れ残った団子をゴミ箱から漁って持って行った。小遣いでパンを買うたこともある」
「なして、そんなことまでする」
「わしは飼い主じゃからの。茶毛になんとか食わそうと思うて。じゃが、餌は赤毛と他の犬にみな食われてしもた。握り飯を持って行こうと思うて、握っておったら、母ちゃんに見つかって洗いざらい言わされた。あ。タツとカナコのことは言うてはおらん。どやされるのはわしだけで十分じゃからの。
 親父にはくらわされたわ。人が食いもんをくれることを覚えたんで、あの犬らは人にまとわりつくようになったんじゃちて。怪我人もでとるんぞ、いうて。まこと考えが足りなんだ」
 しょぼくれている。まあ、済んだことは仕方ない。押し付けたわしらには、これ以上責める道理もない。洋二が全部引き受けてくれたんじゃ。すまんかったの、とそれぞれ謝って、洋二の机から離れようとした。
「いや、言いたいことは、これからじゃ」
 思い詰めたように、洋二の声が追いかけてきた。
「なんか」
「実はの、毒饅頭を喰わせいちて、親父から言われとるんじゃ」

 町におる犬捕りは、この一週間ほどで十匹ちかくの犬を捕まえたそうじゃった。じゃが、どうしても捕まえられんのが、あの赤毛のグループだそうなのだ。洋二の親父は保健所に行って、全部喋った。なにか事故が起こる前に、全部のことを言うてしもうたほうがええと考えたらしかった。
 ねぐらが河原だけでなく、路地裏の廃屋であることはもう特定されておったそうだ。囲んで一気に捕まえる算段も立てたが、すばしっこく逃げられ続けているので、なにか捕まえられる確証がほしかった。逃して、もう廃屋に戻らなくなったら、捕まえるのはいっそう厄介になる。洋二は犬捕りに言われたそうなのだ。
「すると、坊主が犬に食いもんをやっとったんじゃな」
「はい。そうです」
「そうか。ええことを聞いたわ。すまんが、今度の日曜、あの畑に行ってもらえるか」
「畑? そこで何をすればええんですか」
「犬に饅頭を食わせてほしいんじゃ」
「饅頭・・・餌をやってええんですか」
「ええでよ。特性毒入り饅頭じゃ」

「犬は、鼻がええんとちがうんかー?」
 カナコが言った。わしも聞いたことがある。嗅覚が何十倍とか。何百倍じゃったかな。
「毒の臭いがしたら食わんのと違うかの」
 たまにはええことを言うの。が、それにはすぐに洋二が答えた。
「わしも授業で先生がそないなこと言いよったんで覚えちょる。したらの、犬捕りのおっさんの言うにはの。
「猫は食わんが、犬はわからんぞ。フグ釣って、捌いて猫にやっても猫は食わんが、飼い主がやれば犬は食うそうじゃ。犬は猫より懐くからの。
「ちて言うんじゃ。毎日餌をやってたわしなら、犬も毒饅頭食うかも知れん、て」
「飼い主に、飼い犬を殺せちて、言うんかの・・・」
 カナコは泣き出した。
 じゃから、さっきまで忘れとった癖して、なに泣きくさる。ああ、めんどくさ。

「で、洋二はどうするのか」
「わしはやろうと思う」
「そうかぁ」
「子犬じゃあるまいし、捕まえられても、引き取り手は現れまい。いずれ、茶毛も死ぬるばかりじゃ。それならわしが始末をつけた方が成仏じゃ。それにの、子供を噛んだ犬ちうのは、どうやら茶毛らしいけえの」
「まさか。あの大人しい犬がやか」
 カナコが言う。確かに、柄は大きいが、凶暴には見えなんだがの。
「子供は赤毛を小枝で打とうとしたそうじゃ。その時、横から茶毛が噛み付いたんじゃて」
「そうか」
「茶毛は赤毛に気に入ってもらいたかったんじゃろうな。自分ことをの」
「そうか」
「饅頭はの、父ちゃんが作るんじゃ」
「そうか」
"言いたいこと"を言ってしまうと、洋二はそれから喋らなかった。週末が来て、日曜日が過ぎて、月曜日顔を合わせた。そこで、洋二に声をかけた。
「どうじゃった」
「ああ、もう野犬の心配はないど」
「茶毛は饅頭、食うたか」
「ああ、赤毛にやらんと自分で食うたわ。結局、饅頭食うたのは、茶毛だけじゃったの。あとは犬捕りに生け取りにされたわ」
「そうか。なんか、悪かったの」
洋二は、それには答えず、「わし、人に奢るのやめようと思うんじゃ」と言った。
「それがええよ」と、わしは答えた。
           了

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