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【短編小説】画鋲

「突然ですが、今日は悲しいお知らせがあります」
 帰り学活の終わりに、先生が言った。みんな早く帰りたくて準備万端だったのに。後は机の上のランドセルを背負って駆け出すだけだったのに。"悲しいお知らせ"ってなんだ。興味半分イラつき半分で、先生の言葉を待つ。
「西野くんと、今日でお別れなんです」
 みんな一斉に西野を見る。西野は固くなって下を向いている。
 転校か。察しがついて、急激に興味は薄れていく。同時にダルい雰囲氣が教室を満たす。 
 うちの小学校は真壁興産の企業城下町にある。全国、世界に支社のある真壁興産の社員は、頻繁に転勤がある。三年生で転校した三木はニューヨークに行った。四年生で転校した鴨下と永井は、仙台と福岡に行った。転校なんて珍しくない。毎年、毎学期ある。
 面倒臭いのは、その度に色紙を書かされたり、お別れの会をやらされることだった。三木の時なんて、放課後1時間も拘束された。でもまあ、あの時はロールケーキをお土産に持たせてくれて、それでまあ最後は納得した。ロールケーキはえらい美味かった。やっぱ親父がエリートだと、出すもんが違う。
 でも、三木がいなくなってから、ロールケーキが問題になったそうだ。なかなか高級なケーキで、値段もはる。そういうことが前例になると、転校家庭の負担も大きい。で、お別れの会で、"仲良くしてもらったお礼に"とかはなくなった。
 すると、お別れの会は見返りのない苦痛だけの会に変貌する。寄せ書き書いたり、歌歌ったり、学級委員がなんか言ったり、出てくやつがなんか喋ったり。ほんとに仲の良かった奴らにとっては大事な時間だろうけど、薄い付き合い、いやいや普通の付き合いであっても、お別れの会は苦痛だった。
 うちのクラスでも他のクラスでも、そういう気分は蔓延しはじめて、多分家で愚痴る子どもが多かったのだろう、"お別れの会"はやらない方向で、学校と保護者の間で話がまとまった。転校になっても直前までクラスには知らせないという不文律が、いつの間にかできあがった。
 でもまあ、転校するやつは、別れの挨拶くらいはする。
「皆さん、仲良くしてくれて有難う。向こうの学校に行っても頑張ります。この小学校のことは忘れません」
とか、みんな同んなじようなことを言って出ていく。俺たちも次は我が身だから、それくらいは付き合う。
 西野は五年の四月に転校してきた。まだ一年もたっていないから、レアケースといえばレアだ。でも、たまにそんなこともあるし、気にしなかった。むしろ俺たちは、西野の転校は歓迎だった。
 なぜって、まず、西野は頭が悪い。簡単な算数の問題でも、西野だけ解けない。たった四百字の作文をうんうん唸って、1時間で半分も書けない。
 加えて、ウンチである。運動神経がまるでない。駆けっこはクラスで最下位、球技もまるでだめ。逆上がりさえできない。西野のせいで、春の運動会で、クラス全員リレーは、最下位だった。
 そして、醜い。勿論、そんなことは口に出しては言わない。イジメると、こっちも酷い目に合うなんてことはみんな心得ている。が、西野はデブで顔の造りも悪いのは確かだ。陰で女子がゲェーとやってるのを何度も見た。
 最後に、空気が読めない。この前あった合唱コンクールの伴奏者に、平気で立候補したりする。勿論、三年四年とピアノ伴奏を続けてきた紀子が投票で選ばれた。西野は票が全然入らなかったにも関わらず、平気で拍手して紀子を讃えた。
「西野。お前、ピアノ習ってんの?」
学活が終わって訊いた。返事は「ずうっと前。今は習ってない」
「ずうっと前にならってて、紀子より、うまく弾けんの」
「ごめん。誰もいないならって思って。余計なことした。紀子ちゃんが弾いてくれるなら安心」
とニコニコ笑う。万事がこうだった。
 だから、友達はいない。イタイやつ。それが西野に対する皆んなの評価だった。なのに、西野は妙に元気に毎日学校に通ってくる。いったい何が楽しくて学校に来るのか、さっぱりわからない。
 言い添えるが、西野はズルいやつではない。当番も鈍臭いながら一応やるし、誰の悪口も言わない。デブだからといって、給食を人並み以上に食べることもない。でも、それだけのやつだった。昼休みは一人で音楽の教科書を見ていた。

 この退屈なセレモニー。早く終わらないか。
「さっ、西野くん。皆んなにお別れの挨拶しなさい」
 担任に促されて、西野が教室の前に出る。
「今度、長野県に行くことになりました」
 誰かが、ながの、と言って薄い笑いが起きる。
「みなさん、短い間でしたが、仲良くしてくれてありがとう。向こうの学校に行ってもがんばります。この小学校のことは忘れません。ほんとにありがとうございました」
 お為ごかしの拍手が起こる。はい。セレモニーは終了。皆んなはランドセルに手をかけた。
 が、終わりではなかった。西野は続けた。ランドセルに手をかけたまま、皆んなの行動が一瞬止まる。
「ぼくがいなくなっても、みんな仲良くしてくださいね」
 あっけに取られた。何を言い出すかと思ったら。皆んな声には出さず笑っていた。
「きりーつ」
 お、号令係、ナイスタイミング。西野を前に置いたまま、まだ何か言いたげな先生を無視して、
「さようならぁ」
声を合わせて元気よく挨拶した。あとはてんでばらばら。皆んなランドセルを背負って、教室から出て行く。先生と西野は、取り残されたように、黒板の前に突っ立っていた。

「よりにもよって、僕がいなくなっても、みんな仲良くしてくださいね、だって」
昇降口で、早速女子の悪口が始まる。
「全く、何様だって。ね。西野が出てったら、今度転入生入るのうちのクラスだよね。カッコいい男の子、入ってこないかなあ」
女の子が俺を見たんで、「なんだそれ」と言っておいた。

 それから暫くクラスは平穏だった。というか、足を引っ張るやつがいなくなって、授業も遊びも楽しかった。授業では、一人だけわからない西野がいなくて、スイスイ進むし、班での教え合い学習も、お荷物がいなくなって、捗る。体育のペア決めも、いつも誰が西野と組むかで揉めるはことがなくなったし、チーム決めも西野に配慮しなくて済むから、すぐに決まる。良いことづくめだった。
 最初は。
 ひと月たった頃、俺たちはあることに気付きはじめた。
 最初は算数の教え合い学習の時間だった。その日の問題は、少し難しかった。班でうんうん考えて、誰かのヒントで一気に問題が解ける。言われてみれば、ああそうか、というような問題だった。
 皆んながどんどん解けていく中で、悠太だけが残った。
「だから、さっき先生が説明したでしょ」
 教える幸子もだんだんに苛立っていくのがわかる。他の班に遅れをとって焦っているのだ。同じ班の亮介は半分匙を投げている。悠太は頭を掻き掻き考えるが、理解できない。
「もー、俺が言うから、その通り書けよ」
とうとうキレた亮介が怒鳴る。
「あー! いんちきいんちき!」
 他の班から声が上がる。教え合い学習では、答えに至る道筋を教えるのがルールである。理解も出来ていないのに、他人の数式だけを丸写しするのは違反だ。それだと意味はない。
 悠太だって、時間をかければ分かるのだ。以前は、もっと理解の遅い西野がいたから、悠太にも余裕があった。だが、今は皆んながもう終わっているというプレッシャーからか、たぶん教えられても頭に入ってこない。
「さあ、そろそろ時間かな。悠太くん。大丈夫? お助けマン、行こうか」
 お助けマンとは先生のことだ。どうしてもわからない子は、先生とマンツーマンで問題を解くことになる。以前はそれを西野が一手に引き受けていた。だから、それは屈辱だった。
「あー。先生、できましたできました。来なくていいです。できました。わかりました」
悠太が叫ぶ。明らかに亮介の答えを写しただけだ。たぶんわかってない。だけど、悠太は言いたかったのだ。俺は西野じゃないって。

 こんなふうに、例えば算数で、理解の遅い子は必ずでる。国語で、教科書の読みが詰まる子もいる。体育で、運動神経の鈍い子は、西野がいないせいで目立ってくる。当たり前だ。人間には能力差がある。それを認めて、みんなでカバーしあいながら、普通クラスはまとまる。だけど、うちのクラスは西野を馬鹿にすることでまとまっていた。それに誰も気づいてなかった。
 ひと月たって、ようやくわかったのだ。もう西野はいない。だから、俺たちのうちの誰かが西野の代わりをしなればならない、と。

「俊太。ちょっと話があるんだけど」
昼休み。運動の余り得意ではない昇に廊下に誘われた。
「なに?」
「次の時間の体育、バレーボールなんだよな」
「ああ。先生、そう言ってたよな」
「たぶん、ペアでトスの練習とかすると思うんだ。でな、そん時、俺と組んでくれない?」
「ああ、まあ、いいけど」
「ほんと! ありがと。ほんとサンキューな」
 心底ホッととたように昇が離れていく。昇とは、そんなに親しい友人ではない。たぶん何人かに振られて俺のところへ来たんだろう。
「こんなことしたら、俺は西野ですって言って回ってるようなもんなのに」
 妙にはしゃいで教室にはいる昇を見ながら、そう思った。

 事件は、次の算数の時間に起こった。やっぱり算数だった。初め先生は妙にご機嫌だった。
「みんな頑張ったねえ。今度のテスト、いい出来だったぞ」
 嬉しそうに宣言して、算数のテストを返していく。皆んなテストに一喜一憂するが、普通にできる子はそうは言っても穏やかな顔だ。
 やがて、悠太が呼ばれる。
「次、頑張ろうね」
何気ない先生の言葉に、顔色が変わる。点数をチラと見た後、答案をたたんで席に戻る。昇の席の横を通るとき、昇が悠太の答案を取って中を見た。
「なんだ、この点ーー」
言い終わらないうちに、昇は悠太に殴られていた。頭に来た昇がやり返す。たちまち、取っ組み合いの喧嘩が始まった。
 すぐに先生が間に入って、二人は別室に連れて行かれた。
「なに、あいつら」
「悠太、どーなっちゃたの」
「そりゃ、昇が答案見るからでしょ」
「そんなの、前からあの二人やってたでしょ。見たり見られたり」
「そういえば、昇のやつ、さっきの体育の時間、妙にはしゃいでたよな。俊太、なんか知ってる?」
「えっ、なんで俺?」
「だってペア組んでたじゃん」
「そうだけど。知らね」
 皆んな口に出さない。だけど、皆んな知ってる。原因は西野だってこと。西野がいなくなって、クラスが変になり出したこと。

 次の朝、教室に入って、後ろのロッカーにランドセルを入れる。すぐ上の掲示板には、行事で撮った集合写真が貼られてある。顔を上げて気がついた。合唱コンクールの西野の顔に画鋲が刺さっている。 
 振り返って教室を見る。皆んな、何事もなかったようにしている。悠太も昇もいた。亮介も紀子も幸子も普通に友達と話している。俺も気が付かなかったふりをして席に着いた。
 朝の学活が始まった。先生は出席簿の他に、白い封筒を持っていた。朝の挨拶が終わり、出欠の確認の後、先生が話し始める。
「昨日、お手紙が届きました。ひと月前に転校した西野くんからです。今日は特に連絡事項もありませんから、お手紙を読みますね」

 5年1組のみなさん。元気ですか。ぼくは元気です。みんなとお別れして、ひと月がたちました。元気だけど、みんなのことが、とてもなつかしいです。
 今日は、みんなにお礼が言いたくて、手紙を書きました。お別れの時、最後に言おうと思ってて、時間がなくて言えませんでした。だから、手紙を書きました。
 みんなが知っているとおり、ぼくは頭が悪いです。でも、教え合い勉強のときとか、みんな教えてくれてありがとう。
 ぼくは運動ができません。運動会ではごめんなさい。でも、体育のとき、ちゃんとペアを作ってくれて、ありがとう。チーム分けのとき、みんなで考えてくれてありがとう。
 合唱コンクールのときは、ばんそうしゃに立こうほしてごめんなさい。でも、笑わないでくれてありがとう。紀子ちゃん、とってもうまかったです。ぼくは長野でピアノをならうことにしました。そんな気持ちにさせてくれてありがとう。
 ぼくは、どんくさいから、小さいころから友だちがいませんでした。じゅぎょうでも体育でも、ひとりでした。でも、みんなは仲間に入れてくれてありがとう。
 ぼくがいなくても、みんな仲よくやっていると思います。こっちでは、なかなか友だちができません。だから、みんながうらやましいです。
 でも、がんばります。みんなもがんばってください。さようなら。
        西野たけし

帰るとき、もう、画鋲は抜いてあった。

           了

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