【季節は音楽みたいだ】
なんの役にも立たない言葉が人の心を豊かにしていく。
針で刺せば弾け飛んでしまいそうな、儚い豊潤の心。
言葉の奥にある彼彼女のふるさとにはあどけなさがある。
目には見えないのにあるのがわかる。
指で触れないのにあるのがわかる。
鼻を通らないのに香りがする。
音じゃないのに聞こえてくる。
この不思議こそが言の葉の葉脈だといつも思う。そこから栄養をもらっているんだ。
お返しするよ。
ぼくの家の前には大きな公園があって、ぼくは園内のベンチに腰掛けながら、ひと夏を全身で駆け抜けていく虫たちの声を聴いている。
虫たちの感じる人生は、ぼくらが感じるぼくらの一生よりも長いのだろうか。短いのだろうか。
新しい血が心臓を出発して、羽先から心臓へ返ってくるその「いってきます!」から「ただいま!」の間に、いくつの土産を持つことができるのだろう。
ある者は自分の抜け殻を見つめて、「もう生きすぎた」と泣いているかもしれない。ある者は「地上の冬を見にいくんだ」と息巻いているかもしれない。人間の尺度で彼らの時間を決めるのはおかしな話だから、ぼくはいつも想像で止めておくんだ。確信できることはただひとつ、あらゆる者は生きたいと語る内臓を持っていることだけ。
何食わぬ顔で彼らの会話を盗み聞きしていると、懐かしいにおいがした。
風が次の季節を呼んでいる。
秋のカーテンを運んでくる。
薄すぎるから目には映らない、はしばみ色のカーテンが、空から一枚、また一枚、ひらひらと舞い落ちるのをぼくは感じた。
そして幼いぼくは思った。夕暮れのチャイムがこんなに早く鳴るのはなぜだろう。まだ遊びたいのに。まだ遊びたいのに!あの時ぼくは、虫だったのかもしれない。
届け、絵葉書のように。
読んでくれてありがとう。