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「都市で働く」は本当に豊かなのか?|2022年春_3年生との旅②

「都市で働く」は豊かなのか?

ここ最近持つ疑問だ。私自身、九州最大の都市である福岡で働き、その通勤の至便性で中心部に住み、博多駅でも天神でもすぐに行ける距離で生活をしている。欲しいものがあれば繁華街に行き、周りには質の高い飲食店が立ち並ぶ。こんな物質的に豊かな生活が送れる環境にいるのに、心が豊かではない。余裕がない。

地方に興味関心を持つようになって5年近く経つ。宮崎県日南市の油津商店街を起点に、九州移住ドラフト2020-2021への参加、新型コロナウィルスの影響で海外に行けなくなったこともあって、地方への足掛かりができた。

繰り返し書いているように「地方創生」には興味がない。地方にある資源の豊かさに目を向け、その価値を掘り出すことに関心がある。それは経済的にも、精神的にも豊かさをもたらすからだ。もちろん私は地方と呼ばれる場所に住んでいない。だからその場所にある問題をすべて認識しているわけでもないし、ジブンゴトと言われるとそうではないかもしれない。

ただ、そこを訪ねることで得られる非日常性が自分の心の渇きを潤してくれるような気がする。現実逃避だ。それによって都市的な働き方への疑問を持つようになったし、「働くことの意味」を考えるようになった。私たちが都市で口にしている食べ物は地方で栽培され、獲られて、運ばれてくる。地方経済の衰退は私たちの生活を根底から揺らがせる問題でもある。

単なる憧れなのかもしれない。現実逃避なだけかもしれない。が、今の環境は望ましいと言えるのか。

恐らくこうした問題意識を明確に持てるようになったのは、2019年夏に実施した日南市での合宿であろう。そして、そのあとに訪問した宮崎県串間市での経験だ。しかし、当時はまだ今ほど確信的でなかったし、言語も経験も十分に持ち合わせていなかった。が、今は違う。

物質が多くあること、人が多く住むこと、サービス業主体で付加価値が生まれない仕事を続けることにどれだけの意味があるのか。

まさにこの問題意識を深掘りし、それぞれの地域の状況と合わせて観察できたのが今回の旅の成果であったとも言えそうだ。

今回は前回の続きで見てきたもの、感じたことの記録を残すことにしよう。

南薩地域をじっくり味わう:枕崎→頴娃→指宿

旅の2日目の朝は米国バブソン大学によるオンラインセッションを受けるためにジョイフルに移動。朝食を食べながら受講し、地元で美味しいと評判の担々麺を食べ、カツオのタタキと腹皮を土産に帰路につくことにした。

この日はとにかく寒かった。曇天,小雨。

ただ、枕崎だけでなく、薩摩半島南端にはまだまだ楽しむべきアクティビティがある。お茶と砂蒸し風呂だ。そこで、学生を連れて頴娃に向かい、古民家を改修したカフェ「潮や、」を訪問することにした。

再び訪れた「潮や,」この日は小雨混じりの1日。寒かった。

集合は13時としたが、この日は祝日ということもあってお店は混雑。ランチも評判でなかなか駐車場が空かない。そのため、一旦番所鼻へ移動してタツノオトシゴハウスを訪問、再び13時半ごろにお店に入った。

潮や,で薩摩半島を代表する食材を嗜む

そこで頂いたのが上の写真のデザート。さつまいもとアイスクリームを頂く。そして、日本茶。蜜がたっぷり積まったさつまいもとあっさりしながらもコクのある日本茶の組み合わせ。同行者が「本当にこんなところにこんなスポットがあるなんて」と言わしめる場所。

遅れてやってきた学生たちは、みな14時から販売されるチーズケーキを食べたくてウェイト。並んで待つ時間も楽しそうで何より。

その後、さらに東へ移動して30分ほど。指宿の砂蒸し風呂「砂楽」に向かった。もう何度も入った砂蒸し風呂。今回も5分ほどで撃沈。すぐにイビキをかき始めた。17分も入り、汗だく。その後に温泉に入ってリフレッシュできた。

みんなで砂蒸し風呂に入って解散

ここで今回同行した3年生10名と2年生1名と分かれて解散。記念の1枚には温泉内のサウナに繰り返し入って集合時間に遅れた1名を除いたものが残った。

そして、私は同行者と2年生1名とともに鹿児島県霧島市に向かうことにした。

新たに訪れるまちへ:霧島市溝辺町

霧島市。平成の市町村大合併で生まれたまち。錦江湾に面した国分や隼人という地域もあれば、北部は山間部まで含む。溝辺町は鹿児島空港を有する中山間地域に広がる。

今回ここを訪れたのは、これまた九州移住ドラフト2022でゼミ2年生が1位指名を受けたことがご縁。「霧島みぞべる」の皆さんを訪ねるためだ。実は、みぞべるの代表で今は霧島市議会議員の今吉直樹さんとは、昨年4月に鹿児島市内でお会いする機会があった。その際にも移住ドラフトの話をしていたし、今回も学生が繋いでくれたご縁でようやく訪問できた。

夜はみぞべるの本拠である「みぞベース」にて夕食会。そして空港ホテルに宿泊した。翌朝は前日同様オンラインセッションを受講し、11時から動くことになった。前日とは異なり快晴。空気は冷たいが,日差しは温かい。

農福連携の取り組み

まず訪問したのは空港近くにあるビニールハウス。「affirm」という鹿屋にある企業によるものだ。Facebookの更新は1年近く止まっているが,その記事の中にはこの地で取り組みたいことについて以下に記されている。

「農の未来に芽吹きをつくる」
アファーム株式会社(鹿児島県 霧島市 鹿児島空港横)は 安全安心のいちご苗、青物野菜の供給をはじめとする、農のコンテンツ、ソフトウエア、ハードウエアをお客様に提供し、お客様と共に新しい時代の農業を切り開きます。
affirm株式会社のFacebookより

ここをご案内してくださったのは今吉さんであり,当日は農林水産省の担当者の視察のため,地元選出の国会議員秘書,そしてaffirm株式会社の経営者がアテンドされていた。

ビニールハウスの中ではいちご,ほうれん草,バジルなどが栽培されていた。

中では地面に作物が並ぶのではなく,小さな鉢植えがパレットのように並んでいる。そこに地元でお手伝いをされている方々,そして福祉施設に入所している若い皆さんが作業をされていた。

ここで今吉さんが語られていたのは,農福連携について。人口減少が顕著な地方都市において農業に携わる人々をいかに維持するか。一方で,ハンディキャップを持つ皆さんには労働に見合う対価をしっかりとお支払いすることで自立的な生活を営めるようになる。当たり前だけれども未だ当たり前でないことに対する認識が横たわる中で,いかに仕組みを作り変えていくか。

これに合わせて,その場で話になったのは,地元の市立高校におけるアントレプレナーシップ教育の推進だ。たまたま来年度の高校との協同プログラム(昨年までは女子商コラボと言っていたが,来年度は2-3校同時並行で実施することになる見込みなので,プロジェクト名を変更する予定)のリーダーが霧島みぞべるに1位指名されたゼミ生であることから,ここに教育も含めていきましょうという話に。さすがに学生数を考えるとリソースいっぱいいっぱいだが,2021-2022年に取り組んだ大分県日田市での活動がベンチマークになっている。やはり地元のキーパーソンを知っていると早い。オンラインとオフラインをうまく組み合わせながら,アントレプレナーシップ教育を推進しましょうという話に。

溝辺はそこここにお茶畑が広がる。この先は空港。

さて,鹿児島県と言えば第1次産業が主力になっている。先に訪問した枕崎も頴娃もお茶の生産で有名な場所だ。ここ溝辺も溝辺茶なる日本茶の一大生産地。まちを走っているとそこここに茶畑が広がる。

お茶屋さんが語らいの場所に

そんなまちに「語らいの駅」と題した場所がある。ここはお茶の販売店で前日に懇親会をして頂いたみぞべるのメンバー大坪さんのお店。お母さまがお客様をおもてなしをしてくださる。美味しいお茶を頂きながら,しばし雑談。ここで買ったトマトもめちゃくちゃ美味しかった。

また,溝辺には全国の焼酎や黒酢の生産で使われている麹を製造している河内麹本舗という企業がある。ここにお勤めされているこずこずこと谷村さんにご案内頂いた。

恥ずかしながら,全く同社を知らなかった。が、話を聞けば聞くほど、同社の凄さというか、影響力の大きさを感じる。

河内麹本舗の本社・工場兼物産施設
全国の焼酎や黒酢製造企業で使われる種麹はここで作られている。

河内菌本舗本社敷地内には「麹の館」なる施設が併設され、麹について学べるようになっている。また、同社の経営者がスロバキアとご縁があるらしく、名誉領事館にもなっている。そして、スロバキアに因んだビールを作ったり、ハムやソーセージを販売したり、ちょっとした研修ができるようにもなっている。

先の「affirm」も、聞けば親会社はさつまいもの苗を販売する企業で、種?苗?の権利の大半を持っているそうだ。以前、共同研究者とともに鹿児島県内で養殖エビ向けの餌を作っている企業を訪問したことがあるが、そこも多くのシェアを有していたと記憶している。

恐らく鹿児島にはそうした企業がいくらでもある。知られていないけど、第1次産業を中心にした強い会社が。また、地域が経済的に成り立つ要因、付加価値の創造と分配に大きな役割を果たしているのではないか。溝辺に行って、また学ぶべきことが増えたように感じた。

念願の横川kitoへ:緩やかな時を過ごす

さて、溝辺での時間も充実していたが、そろそろ甘いものが欲しい時間になった。溝辺のカフェでも良いのだが、以前から行ってみたかった横川kitoへ行くことにした。溝辺からは車で約10-15分。恐らくかつて栄えたであろう山間の商店街の中にあるのが横川kitoだ。

ここへの訪問を希望した理由は、ゼミOBが鹿児島で、特に最近は霧島で活動していることもあり、その際にとてもお世話になっている白水梨恵さんが横川kitoのオーナーだからだ。

オーナーの白水梨恵さんと

谷本さんが事前に連絡を取ってくださっていたこともあり、話はスムーズ。

店内では鹿児島各地の物産が置いてある。枕崎でお世話になった中原水産(かつ市)の鰹出汁も売っている。扉を開けた奥には部屋が続く。昔ながらの鰻の寝床。隣の部屋のスペースで休憩がてらバスクチーズケーキを頂いた。これが本当に美味しい。塩とチーズ、少し甘めのカフェオレと見事なハーモニー。ちゃぶ台を囲みながら、溝辺や横川の話が弾む。

お店は大隅横川駅前の商店街の通りに面しているが、人通りはほとんどない。が、往時を偲ぶ建物がいくつか残っていて、聞けば家賃は格安。使えるように手を入れるのにそれなりの資金が必要になるだろうが、それもまた面白い。

横川kitoの居室。ごろんとしたかった(笑)
こちらで頂いたバスクチーズケーキとカフェオレ。
横川kitoの外観

また、横川kitoの2階は現在改修中で、いずれゲストハウスができるらしい。私はイビキがうるさいので泊まることはできないが、きっと心地よい時間を過ごすことができるだろう。今から完成が楽しみだ。

1時間ほど滞在して帰る頃にはお年を召した男性2人が腰をかけて白水さんたちと談笑されていた。同行者と学生とも話していたが、こういう場所があることの意味がよく理解できた。そして、「ここに拠点を創れると楽しいかもしれないね」と。幸い管理人候補はいるし、本人もまんざらでもない感じ(笑)そんなことを考えながら、横川kitoを離れた。

大隅横川駅。駅舎は重要文化財指定。
肥薩線の代表駅の1つ。1時間に1本ほど来る列車は吉都線経由で都城行きもある。

その後、せっかくだからと大隅横川駅を訪問。重要文化財の駅舎は丁寧に保存されていた。

商店街のそこここには瀟酒な建物がいくつか残されていて、使えるようにしていくだけでもまちに息吹が吹き込まれそう。小さな山間のまちには古き良きものを大切にし、残していく文化のようなものが感じられた。図らずも横川への訪問はこの地域へのコミットを高めていきたいと感じさせるものになった。

ふたたび溝辺へ

そうこうして夕方になった。再び前日訪問したみぞベースへ。前夜はすでに真っ暗だったが、今日は飼われている山羊ごまとしお2頭が元気に走り回っている。

ゼミの拠点の1つになったみぞベース。最寄りの温泉まで車で3分。
みぞべるのみなさんと。

しばしベース内にある工房で立ち話をしながら、まちの未来のありたい姿についてディスカッションをした。そして、今回移住ドラフトで1位指名された学生がここで何かに取り組めるように仕掛けを作っていきましょうと。

仕上げはやはり温泉に。みぞベースから車で3分も走れば溝辺町の温泉がある。温めでゆっくり浸かりながら、溝辺滞在の余韻を楽しんだ。

そして福岡への帰途についた。

生活を営むこと、豊かさについて考えた

20世紀が経済の世紀として人類に記憶される。人口も大きく増加し、人々の生活は明らかに豊かになったのだろう。あらゆる面で。

しかし、21世紀に入ってもう20年。依然としてこのモデルを継続できるのだろうか。少しずつその歪みが出始めているように感じる。未だに多くの日本企業、そこで働く社会人がアップデートできていない。働くなら大企業、働くなら都会でと考える人は多い。

だが、都会にいる人も含めて「仕事」「働く」はどう捉えられているのだろうか?出社して、仕事をして、家に帰るの繰り返しになっていないか。生活を維持するためだけになっていないか。人生の多くをそんなことに費やしていて良いのか。また、地域で働くもサラリーマン化してしまって、働くことから得られる豊かさにつながっているのか。

まさに自分自身が突き当たっている課題でもある。

研究にせよ、教育にせよ、その先の結果はなかなか見えてこない。手応えはあっても、それが意味あるものかはわからない。ただ同じように過ごして、給料という生命維持装置で生きながらえているだけなのではないか。

中小製造業の管理会計研究で得た知見を敷衍して、付加価値の創造と分配こそが企業としての存続意義であること、その生まれた価値をどこに落とすのかということ、働くと消費は近接していなければならないのかということをここ最近考えてきた。加えて、新型コロナウィルスの影響で創業体験プログラムを作り替えなければならないという教育上の問題と地方での進路・就職という具体的な課題が見えてから、この数年はこの筋で進んできた。

3日間の鹿児島での旅から私は何が学べたのだろうか。いつものことながら知らなかったことを知ることができた喜びと自分に何もできていない焦りとが交錯している。が、まちを訪ねれば訪ねるほど、豊かさとは何か、ただ住む場所を移すことで何ができるか(何もできない)、どこに希望を見出すかという疑問が沸々と湧き出てくる。

ただ、今回も、そしてこれまでも出会った多くの皆さんがそうであるように、地域を守る、豊かさどうこうではなく、そこに住み、価値を創り、生活を豊かに送る日々を過ごしている。そういう人々にはアントレプレナーシップを感じる。やはり自分で何かを生み出すという気概が求められる。起業に限らずだ。地域にこそアントレプレナーシップ教育。課題を自らの手で解決するという気概を育てる教育が必要そうだ。

さて、後日談。福岡へ戻った後、本人から「やってみたい」とメッセージが。アントレプレナーシップ教育と農福連携。自分の頭の中を整理して、その気持ちが徐々に固まってきたようだ。幸いゼミOBも霧島で活動している。キーパーソンもいる。できることはバックアップしつつ、試行錯誤の1年にできるといいだろう。そして本人は一旦福岡に戻って再び溝辺へ

きっと彼女が触媒あるいは着火剤となるであろう。意欲的な姿と言語化能力(ただし、まれに誤った日本語が飛び出すがw)に可能性を感じる。恐らく移住ドラフトを通じた出会いは何かしらの形になるだろう。

それにしても、いったい私はどこへ向かうのだろうか(笑)

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