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ネプリ「かりそめビーンズ」を読んだ畳川




長い前置き

斎藤君さんと石村まいさんのネプリ『かりそめビーンズ』を読みました。

お二方ともに短編小説と短歌の10首連作を発表していて、質・ボリュームともにとても満足のいくネプリでした。twitterで感想を簡単に伝えてもよかったのかもしれませんが、個人的にもしっかりと文章に残しておきたかったのでnoteの記事にしてみます。

ネプリの発行期間は残念ながら終わっていますが、斎藤君さんが太っ腹にもtwitterでPDFを公開してくださっています。


さて、テーマは「異世界」ということで、量産型のアニメやラノベに毒されたわたしみたいなものは、トラック事故→異世界転生→チート覚醒→俺TUEEEEみたいなものをちらっと想像して「へえ、あのお二人が異世界を。ちょっと意外だな」みたいに思っていたのですが(あ、まだちゃんと自己紹介してないので何ともといった感じですが、わたしはいわゆる異世界転生モノ嫌いじゃありません。食傷気味ではあるけど普通に好きです)、これが全然違った。

「異世界」は、おそらくテーマではあったのだろうけど、ちょっとしたとっかかりにしてツールのようなもので、4作品共からわたしが共通して受け取ったのは「恐怖」でした。それぞれの作品が味付けの異なる「恐怖」を惜しげもなく振りまいていて、いわゆるホラー的なものは苦手なわたしは、「あ、もう今年のホラーはこのネプリで充分摂取したわ」と思えるほどに重厚でしたね。

前置きが長くなりましたが、掲載順に4作品について個別に感想をつけさせていただこうと思います。ネタバレするのでネプリ、あるいは前述のPDFで『かりそめビーンズ』をたっぷり舐ってから以下に進むことをお勧めします。



斎藤君 短編小説『かんのんこ』


「異世界」ってゆうか、もう冒頭から斎藤君さんが出てきて実際にあった「怖い話」するって言っちゃってるよ!と思って、当初わたしが想像していた転生モノとは当然違うのだ、とここで釘を刺されるとともに、これは小説ではないのかな、なんて思ってしまう。

そして読み進めるうちにどんどんと斎藤君さんの語り口に引き込まれて行って、途中で、あれ?これって本当に実際にあったこと?こんなことある?みたいに思うのだけど、斎藤君さんの記憶がやけにディテールが細かくて、ああ、なんか本当に本当っぽいかも、と思ってふらふらしながら進んでいくことになってしまう。

それほど昔というわけでもないだろうけれども、過去の田舎の村で起きていること、昔からの不気味な慣習を続けているその村はなるほど読者から見るととても怖いし、充分に「異世界」だなあ、と思いました。

特に主人公が「かんのんこ」を覗き見ているシーンは、臨場感があって、宗教的背景もなんとなく透けていることもあってとても怖くておもしろかったですね。一人称の独白というこの形式も効いているな、と思いました。あと要所要所で現れる「笑顔」、これキーのひとつでもあると思うのですが、怖いですよね。


このあと大人になった斎藤君さんが、あの村であったこと、「かんのんこ」のこと、亡くなった二人の死因などを郷土史的、医学的な観点から総括していますが、これは冷静に読むと「ああ、やっぱり創作だよね、笑蚓病ってなんぞ」と思うのですが、わたしは初読では村の持つ不気味さと「かんのんこ」と「笑顔」の怖さにやられてしまっていたため、半分以上本気で信じて読み終えてしまいました。読み終わって、少し時間を経て読み返してから、あれ、やっぱりこれおかしいよね、ありえないよね、と思ったのでした。
小説として決して上手とは言えないような文章も、この文体だからこそこの奇怪なお話を信じ込まされたのだな、と感嘆しました。してやられた、というやつです。とても面白くだまされたな、という感じです。

もうひとつおもしろいなと思った点があって、それは小説の中で斎藤君さんの曾祖父と曾祖母が家族によって、村全体の協力を得て儀式を行い殺人まがいのことをされているのに、斎藤君さんは恐怖こそすれなんの怒りも覚えていない(ように見える)ことです。興味を持って図書室に出向いて調べてみこそすれ、怒りをあらわにしたり家族や村を糾弾しようとは少しも思っていない、ように見えるのです。このサイコパス味もまた怖かったです。

なんだか結局は怖いとかおもしろいとか、子供みたいな感想しか言えてないですが、まあそんなものでしょう。とっても怖おもしろかったです!(まだ言うか)
最後に僭越ながら、この作品に対するわたしの返歌のようなものを付しておきます。あ、これ全部につけます畳川のおまけ短歌。(だいじょうぶなのか?)


消えかけの命を掬う 笑ってるかんのんさま、ねえこっち向かないで
/畳川鷺々


石村まい 短編小説『磨いてくださいね』


すこしひねくれた、しかしとてもまっとうな倫理観を持った大学生の女の子である主人公が、四条大橋の袂近くで出会った「ある人」に爪を塗られてから、生活を狂わされていくお話。

失礼かもしれないですが、一読してTVドラマの『世にも奇妙な物語』を連想しました。ごく一般的な人物が、ある一点の奇妙な存在によって不思議な世界に巻き込まれてゆく、という構成がそうさせたのだろう、と思います。おそらくこのまま脚本化して『世にも』のドラマの一本として放映されてもいいんじゃないか、と思うくらい怖おもしろかった(また言った!)のですが、この作品は小説ならではのおもしろさも持っていて、とても興味深く読みました。

四条大橋で出会った「あの人」(あるいは「その人」)は髪の毛とマスクの描写はあるが、その他には「黒いきつねのよう」などといった抽象的な描写しかされていなく、わたしは口調や雰囲気から老婆を想像していたが実際には年代や性別の描写すらなかったように思う(読み返してはいるけど、もしあったらすみません)。この重要人物をあえてぼかして描写することで、不気味さが増幅されているように思えました。

川崎君の背中を押すシーンは衝撃的ではありましたが、わたしが特にいいな、と思ったのはドラッグストアで爪やすりを万引きするシーンですね。主人公は前述の通りまっとうな倫理観を持っていて、自動販売機の取り忘れのつり銭や、友人の忘れ物のヘアピンひとつについてもうじうじするような、小心者ともいえるような人物なのですが、ここのドラッグストアのシーンでは周囲を気にはするものの罪の意識よりも、爪を何とかしたいという衝動が前面に出てきていて、さらっと万引きしてしまっているのがおもしろかったです。あと怖い。

この作品のモチーフになっている『爪』って不思議ですよね。一見なくてもいいように思えるけれども、実際に爪がないと手として充分に機能しなくなるだろうし、足の爪がないと歩くのも困難だという話も聞いたことはありますが、何となく実感はありません。なくてもいんじゃね、みたいに思うことすらあります。ファッション的に色を塗ったり磨いたりはするのだろうけど、そうしない人にとっては伸びてきて邪魔みたいに感じるかもしれません。


石村さんはこの小説の作者、ではありますが詩人ですので今回の作品のモチーフである『爪』になんらかのメタファーを込めているのかもしれませんが、わたしにはわかりません。というか、わからないままこの作品の怖おもしろさ(また!)を抱えて、『爪』についてぼんやりと考え続けることが、この『磨いてくださいね』の楽しみ方として健全なのではないか、と個人的に思ったのでした。


もう誰もそばに置けない 泥水のような爪色 盗品 わたし
/畳川鷺々



斎藤君 短歌連作『人類の塔』


冷徹な視線で、数々の命を踏みながら生きている『人間の業』が十首にわたってこれでもかとぶつけられてきます。

人間の食料としての命、食料ではなくても人間の都合で奪われる命に対して、無自覚な人ってまあいるのだろうけど、創作にかかわってる人間でそんな人はいなんじゃないか、と思っています。わたしもよく考えるし、作品にすることもありますが、ここまで透き通った視線で作品に昇華するのは簡単ではないでしょう。切り取られたものはもちろん斎藤君さんの取捨選択によるものだし、そこに主観は宿るのですが、あくまで作品には感情は持ち込まれていなくて、その徹底さに驚かされます。


黄昏に境界線が滲むこと屠殺場電車病院肉屋
誰のためでもないただの塔が建つすっかり内臓抜かれたあとの

斎藤君『人類の塔』


特にこの2首が好きなのですが、ここに描かれているのは建物などの無機物でありながら、しっかり人類の業を表現しているな、と思えました。好きです。
余談ですが、VOCALOIDで作った曲を発表しているきくおさんの「のぼれ!すすめ!高い塔」という曲を思い出しました。


こどもにはまだ見せれないあの塔のがらんどうには冷たい腐臭
/畳川鷺々



石村まい 短歌連作『精霊に羽を』


石村まいさんの短歌は、はっきり言ってしまうとわたしの手には負えない。というかわからない。わからないからどこか怖くて、そこがたまらなく魅力的なんですよね、わたしにとって。短歌からなんだかきらきらとしたイメージがわたしの中に浮かびそうになるのですが、それがしっかりと像を結ばないまま美しい、と言いますか。石村さんの短歌は本当に好きで、言ってしまえばファンなんですけど、わたしはぼんやりとその言葉と断片的ではっきりしないイメージの美しさに浸ってしまう、そんなファンなのです。とはいえ、今回はそれでは何の感想にもならないのでわたしなりに読み込んでみようと思います。


最初、男女の情愛について描いているのかな、と読んだのですが、少し違うかなと思いました。

手も足も雄しべのようなわたしたち 光のころぶ丘の傾斜に

石村まい『精霊に羽を』


男女、というよりは安易に繋がれない男男あるいは女女の関係、そもそも人間ではないのかもしれないし、やっぱり男女かもしれないけど、肉体的、官能的な描写もありながら求めているのは精神というかもっとおおきなところでの繋がりなんじゃないかな、と読みました。

風に似たけものが風と抱き合えばみるみる角に差してゆく紅
きっとすぐに葉はふりつもる ねむれない精霊としてさらすはだしへ

石村まい『精霊に羽を』


角や羽、あるいはそのまま精霊という言葉も出てきて、「異世界ファンタジー」感はありますが、彼ら彼女らがなんであったとしても、現実世界に存在するわたしたちも他人との繋がりが完璧に思うようにいったりはしていないでしょう。もどかしさと、思い通りになんてならないからこその愛おしさ、そんなようなものを美しい異世界風のイメージで伝えてくれているのかな、と思いました。

森やみどり、丘、水、霧、湖面などの語彙がとても美しい世界を作り出していて、とても好きな連作でした。


つながったつながってない朝まではまだもうすこし乾かない羽
/畳川鷺々



以上です!!

大変長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。自分でも思った以上の長文になってしまい驚いています。いやー怖おもしろかった(!)ですね!!

では、またどこかで。




#かりそめビーンズ #短歌 #小説 #感想

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