『パワー・オブ・ザ・ドッグ』考察集
Netflix映画『パワー・オブ・ザ・ドッグ』の、監督やキャストらの解説、およびファンの考察をメモしました。最初からネタバレなので、お読みいただける場合、鑑賞後をおすすめします!
顛末
ピーターの櫛を触る癖は不安の発露
ピーターは牛の死体から炭疽菌を摂取している(しかし、それまで動物を切断するシーンが多かったために初見ではそう不自然に映らない)
フィルはピーターといる時に手の甲を切った
フィルはピーターから渡された縄を持ちながらバケツの水に手を入れている(縄→水→傷で炭疽菌感染)、ピーターはこれを目視している
ピーター役コディ・スミット=マクフィー「ピーターは即興者。フィルの手に傷がついたのを見たとき、生皮で感染させることを思いついた」
コディとキルスティン・ダンストは、原作と異なると知りながらも「ピーターは父親も殺した」説を抱いている
コディは「ローズとジョージはピーターがフィルを殺したと察している」解釈(ピーターはフィルが炭疽菌対策を怠らないと知っていたため)
反復されるウサギ殺しからしてピーターはソシオパス系?(一回目は母親が愛でていたのに即解剖、二回目もなんのためらいもなく殺している)自殺した父親は「冷たい、強すぎる」と言っていた
原作だとフィルはピーターの父親も追い詰めてアルコール依存症にしたらしい
ローズは葬儀で姑から指輪を渡されたことで家族の一員と認められた? (ニューイングランド時代の風習)
ピーターのために縄をつくるフィル=死に向かっている暗喩?(ピーターの父親も縄で首を吊って自死)
ジェンダー
(ジェンダーというかセクシャリティが多いですが、目次ネタバレ同士でこの題に)
カンピオン監督曰く、フィルとピーターは両方ゲイであり、旧約聖書のダヴィデとゴリアテ(強く見せる前者よりも華奢な後者のほうが心持ちが強い)。キャンプシーンでピーターは「オカマ」と罵られようと無視して歩き続けて我関せずな態度を貫く、フィルは内心関心したため名前で呼ばせロープを教える
フィルは最初の会食でも21年前に亡くなったブロンコ・ヘイリーを追悼して彼について喋っている
弟夫婦の情事を聞いて家を出たフィルは、ブロンコのサドルを磨く
全裸のカウボーイたちとすれ違ったのち、ブロンコヘイリーのイニシャル「BH」が刺繍されたハンカチで自慰をする
フィルは10代のときベテランカウボーイのブロンコと交流、つまり今回のフィルとピーターの構図と同じ
ブロンコ・ヘイリーは実在したカウボーイのアイコンだが、今作におけるブランコは同名のフィクションキャラクタと思われる
原作では、フィルが風呂に入らない一因は「バスルームが女性的だから」。ブロンコと行った川で身体を洗うらしい
ピーターの場合「ドクター」「教授」と呼び合う友人の話はクィア的な読みができるかもしれない?
ラスト
タイトルの由来は旧約聖書詩篇「わたしの魂を剣から、わたしの愛を犬の力から、解き放ってください “Deliver my soul from the sword, my darling from the power of the dog.” (詩編第22篇20節)」
この一節が冒頭の言葉とつながる「父が死んだ時 僕は母の幸せだけを願った 僕が母を守らなければ誰が守る?」
聖書詩篇における愛(my darling)とは母親であり、それを苦しめる犬の力はフィル
カンピオン監督曰く”the power of the dog”は「我々を破滅させる、すべての制御不能な衝動」
フィルとピーターは「屈強な男に少年が打ち勝った逆転劇」構図でも『ダビデとゴリアテ』(というか、こっちが本懐な気もする)
・類似記事
・参考資料
https://slate.com/culture/2021/12/power-dog-netflix-movie-ending-explained-analyzed.html
https://www.indiewire.com/2021/09/western-power-of-the-dog-jane-campion-male-psyche-1234662474/
https://www.indiewire.com/2021/12/netflix-the-power-of-the-dog-jane-campion-woman-directing-oscar-1234680280/
https://www.nytimes.com/2021/12/03/movies/kodi-smit-mcphee-power-of-the-dog.html
よろこびます