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エミネム「Stan」と米国社会ストーカー事情の背景

 米国の大衆文化のみならず言語文化にまで莫大な影響を与えたエミネムの名曲「Stan」ですが……

 和訳はこちら。掻い摘んで言うと『三島由紀夫のレター教室』のような、手紙を介した書簡体小説のようなリリックです。エミネムの熱歴的ファンであるスタンがファンレターを書くが、返事がもらえずに怒りをつのらせ、どんどん狂気的な内容になっていく。最後、つい返事を執筆しはじめたエミネムが、スタンが妊娠中の恋人を巻き添えにして心中したことに気づく……。

 2000年にリリースされて「最も偉大なリリックの一つ」として評価を築いた「Stan」は、スラングとして米英語にも定着していき、2019年にはメリアムウェブスター辞典に「熱狂的なクレイジーなファン」として登録されました。今でもコアファン、オタク的な要領で使われていますが、恐ろしい原曲よりカジュアルなニュアンスになっております。たとえば"stan for A!"は「Aを推す!」的な意味合い。

 エミネムに対しても「俺たちは運命でつながれている(We should be together too)」と告げるスタンは、スター側からするとストーカー予備軍な怖さがあるし"Stan"というネーミング自体"stalker+fan"だとする考察もあるわけですが……2015年版の犯罪心理学の教本、越智啓太『ケースで学ぶ犯罪心理学』を読むと、リリースまでの米社会の背景が感じられました。

 同書によると、米国で「ストーカー」概念が知れ渡ったのは1987年、映画『危険な情事』のヒットだそうです。そして、翌年の1988年、有名TV司会者デヴィッド・レターマンをストーキングした加害者女性が自死して大きな話題に。さらに次なる1989年には、女優レベッカ・シェイファーが男性ストーカーによって銃殺されました。男は、ファンレターの返事がきたことで相思相愛と思い込んだのち撮影現場に通うようになったそうで、21歳のレベッカがラブシーンに挑戦しはじめるなど「大人の女優」へキャリアアップしようとしたことに怒って犯行に出たとか……。こうした事件の連続をきっかけに、1990年、カリフォルニアがストーカー規制法を成立させます。ここから多くの州も追従し、1996年には各州法のギャップを埋めるため、ストーカーにまつわる連邦法が制定。つまり、米国では1990年代にストーカーにまつわる法律が整備されたことになります。

 ポイントは、アメリカ合衆国でストーキングの危険性を知らしめて防止法の要因となった事件には、有名人を標的にする「スター・ストーキング」が多かったことです。ブリタニカ百科事典に至っては、まず「スター・ストーキング」概念が先に広まったため、DV問題活動家たちがストーカー被害者に一般人も含めるための運動を行った、と記述しています。

 こうした流れを考えると、エミネムの「Stan」がリリースされた2000年というのは、90年代にストーカー防止法が全国で立法された直後、つまり市民間でそうした事件が「恐ろしい犯罪」として周知されたタイミングでのリリースだったのかもしれません。また、90年代にはマドンナとビョークそれぞれの「スター・ストーキング」被害が話題になっていたとか。ちなみに「Stan」が発売された2000年、日本でもストーカー規制法が施行されています。大きなきっかけとなったのは、清水潔『桶川ストーカー殺人事件―遺言』に詳しい前年の事件で、被害に遭ったのは一般女性。

(『危険な情事』予告編)

 「スター・ストーキング」が大きな要因となってストーカー規制が立法された流れは、巨大なセレブリティ文化を持つ米国らしいかもしれません。そもそも「ストーカー」概念が広まったとされる80年代後半以前にも、そうした有名事件は起こっていました。たとえば1981年レーガン大統領暗殺未遂を起こしたジョン・ヒンクリーは元々『タクシードライバー』に触発されたジョディ・フォスターのストーカー。その翌年には映画『レイジング・ブル』で知られるテレサ・サルダナがファンに10ヶ所刺されて生死をさまよった事件も起こっています。こうした流れで、前出『危険の情事』と同じ1987年、「暴力的犯罪に走る過激ファン」の恐怖を描いたスティーブン・キングの小説『ミザリー』が刊行され、1990年には映画版がアカデミー主演女優賞を獲得したりしています。ちなみに『ケースで学ぶ犯罪心理学』によると、ストーカー犯罪の9割は「男性加害者/女性被害者」らしいのですが、当時のアメリカ社会では『危険の情事』ヒットによって「ストーカー=女性/被害者=男性」イメージが広まる弊害もあったそうです。『ミザリー』もこの構図ですね。前出ブリタニカ辞書では「(スター•)ストーキング」に近い概念として20世紀初頭「エロトマニア」なる言葉があったようなのですが、これにしても「主に有名人に妄執する女性」とされることが多かったとか。

 そして「Stan」がカジュアルなファン用語として流通している2020年代序盤の今日ですが、いまだ米国では「スター・ストーキング」事件が珍しくありません。たとえばテイラー・スウィフトやラナ・デル・レイ、リアーナは複数回逮捕案件が出ています。被害者は女性に限らず、クリス・ブラウン、そしてエミネムも住居侵入被害に遭いました。そもそも米国主体で活動するセレブリティの住所や不動産情報って、検索すれば簡単に出てくるんですよね。「セレブのお宅見物ツアー」なんかも観光ビジネス化してますし。日本でも著名人のストーキング被害は珍しくなさそうですが、基本的な情報量が違うという。。もはや「The Weekndがマドンナが所有していた邸宅を購入」みたいな不動産事情まで報じられますからね。

よろこびます