学習の取捨選択🗑️
今日の駄文。📝
何をやるにしても、何かを習得することは大事だし、習得しないことには出発点にも立てない。
習得しないで出発点に立とうとする人もいるが、それはまた別の話なのでおいておく。
習得するということをまじめに取り組んだ人たちは誰よりもよく知っていると思うが、習得するのはとても骨が折れる。そしてとても時間がかかる。⏰
そしてなにより継続しないと習得はできない。
今日できなかったことが少しできるようになっても、一週間くらいさぼってみるといい。
またできなくなっているだろう。😞
何かを習得するということを長らくやってきた人たちにとっては常識のようによく知られたことだと思う。
さて、きみは不老不死ではない。人生は限られている。それなのに習得するのは時間がかかるのである。それも1年とか数年とかの単位で溶けてしまう。
人生の多くの時間を習得することに費やすことができる人はいいが、多くの人にとってはそうではない。
レベルは違ってもそのような人でさえも人生は有限だから必ずしも例外ではない。
仕事だとすると、そんな限られた時間を使って習得するとすると何を優先して習得するべきかを考える必要がある。
なんなら不要なことは習得するのは文字通り時間の無駄だ。
もちろん必要不要を決めるのはその人自身が決めることで他人があーだこーだいうことじゃないし、言われても鼻で笑っておけばいいのだ。
習得したいと思ったことを優先して習得するのがいい。
一番よくないのは「みんなできるから」とか「まわりがやってるから」とか「できないと(知らないと)かっこわるい」とか「誰かが必要といったから」とかそういう他者依存の評価基準で決めてしまうことだ。
こういうのは単なる優等生意識だとか強迫観念とか不安とかそういうのからくるのだと思うが、こういうのは失敗する人がよくする判断だ。
もちろん自分が必要だと思ったものが結果としてそういったものならいいのだけども。
これらのことは仕事には限らない話で、たとえば趣味であってもなんであっても多かれ少なかれ関係してくる話だ。
できるやつは必要ないと思ったら知らない、できない、わからない、興味ない、を自分自身に対して貫けるやつだ。(他人に対してじゃない)
自分が全知全能でないことを自覚して、全知全能になれないことを理解して、全知全能になろうとしないことをきもに命じることが大事だ。
明日の自分の姿をイメージしよう。
そいつが自分の進むべき道だ。
何が必要で必要ないかはそいつが教えてくれる。
自分が目指すスタイルは何か?
目指す姿は何か?
目標とするものは何か?
そういったものが明確だと、自分にとって必要なもの不必要なものの取捨選択ができる。
突然なんの話をしてるんだという感じかもしれないが、誰かにとって何かのヒントになるならば、この駄文の存在価値としては十分だ。
さて、わたしも他人に説教してる場合じゃないな。💦
今日もながながとお付き合いいただいて何よりです。
ではでは。👋
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