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写真を撮っています。

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最近の記事

東京

自身に縁もゆかりもないけど、やっぱりいろんなタイミングでよく来る街。 父親が単身赴任でずっと住んでいたこともあり、存在こそは知っていたし、 この街のことを知らない日本人はきっといない。 日本でいちばん有名な街。 でも僕をふくめたほとんどの人はこの街の本当の姿はきっと知らない。 下手くそな例えだと大型書店みたいな感じ。 もうどこに何があるかわからない。 入ったときからきっとこのお店のすべてを知ることはないと思っている。 目的のところ意外には立ち寄る気すらなくなる

    • レストランと母の味

      同軸同列で話すことではない。 どっちがいいも悪いもなくて、どっちもいい、でいい。 レストランにいけば日常とはすこし切り離されて、そこにしかない特別な空間と時間とサービスを添えて普段家庭では味わえない料理が提供される。自分で行きたい時に、行きたい店、食べたい料理、好みの味を選べる。 母の料理はいつもとかわらない安心できる日常の空間の中で、いつもと変わらずおなじみの味が登場する。時にたとえ失敗した料理や食べたくない苦手な料理が出てきても頑張って食べようとする。家を離れて大人

      • 初期衝動

        僕がカメラを初めて手にした頃の話。 僕は当時電車通勤で、大阪の鶴橋駅を利用していた。 鶴橋駅というのはご存じの方は今からの内容に深く頷いてくださると思いますが、 とーっても個性豊かな駅です。 日本最大のコリアンタウンの中にあることもあり、サラリーマンが家路を急ぐ時間のホームには周囲にあるたくさんの焼肉屋さんから肉の油の香ばしい香りとその煙がホームにまで漂ってくるという感じで、 まぁダイエット中や空腹時に降り立ってはいけない駅ナンバーワンではないでしょうか。 JRと

        • 在り方

          たとえ業務規則であっても、 たとえ通例行事であっても、 たとえ反復作業であっても、 美しく在りたいと思う。 日常的に飛行機や新幹線を利用する僕からすれば、 この光景は初めて見る光景ではありませんでした。 しかしコロナのおかげで数ヶ月飛行機にも新幹線にも乗らない日々が続く中、ふと見つけたこの写真。 あぁそうだ、いつもこうして見送られてたんだなぁ。 と。 コロナで「いつも」の日常が変わりました。 撮影も以前の「いつも」とは少し違います。 あのときの「いつも」は今か

        東京

          侵攻

          いまはまだ大丈夫、ってのは すでに悪い状況に向かっている時に使う。 となれば、もうこの時点で何らかの手を打たないと 現状以上の結果を得ることはムズカシイのだと思う。 それでもおおくのばあいで、いまはまだ大丈夫として、 目を背けて、蓋をしてしまうことが多いのではないだろうか。 時間は僕たちとは関係なく前進をつづける。 抗うことが唯一できない。 そんななかで写真というものは、 抗える。 定着した過去を未来に残し続ける。 劣化もせずに、 むしろ残したその時点

          侵攻