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忘れられない人⑦

初めて飲みにいったのは二人が働いている店から少し離れた駅の中華料理屋にだった。若い中国人がやっていて小籠包と刀削麺が人気の店だった。

改めて自己紹介した。ナナが源氏名で奈美が本名だったこと初めて知った。中々、奈美と呼ぶのが難しくてナナと何度も間違って呼んでしまう。僕が照れて笑っていると、奈美も釣られて笑った。

それから、自分が興味があること二人で話した。映画や小説、音楽の話。

興味があるものが似ていた。

そして、何よりも奈美の小説に関する知識や読解力の深さに驚いた。僕も子供の頃から最低週に1冊は本を読む読書好きだったが、僕が知らない小説をたくさん知っていたし、読んだことがある本でも登場人物に関する考察がとても深くて、まるで違う小説の話をしているのかと思ったくらいだった。

途中、珈琲屋を挟んでバーに行って、気付くと終電の時間がとっくに過ぎてバーの閉店の時間になっていた。
「このままどちらかの部屋に行って飲まない」
と僕が言った。
「私の家は〇〇駅の近くだよ」
結局、ここから近い僕の部屋で飲み直すことになった。

タクシーに乗って思い出したが、水商売あるあるで昼夜逆転の生活をしていると部屋を掃除するタイミングを失う。部屋は人を呼べる状態じゃない。こんなこともあるなと思って掃除しておけば良かったと後悔した。
「部屋の前で5分ほど待ってて。片付けるから」
「それ下手なドラマみたいじゃない」
と言って奈美は笑った。

結局、押し問答があって「男子大学生の普段の部屋を見たい」という奈美の意見に渋々そのまま部屋に入れることにした。結局、奈美は部屋に着くと部屋の汚さに唖然としていたけど。

それで、アパートの屋上でお酒を飲むことにした。

屋上から街を眺めると、少し離れたところにネオンが下品に色めく繁華街があって、その内側に光が穏やかな住宅街が結界のようにあって、僕は、ぼーっとしながらその景色をみて過ごすのが好きだったので、奈美にも知って欲しいと思った。

関東特有の空気が乾いた冬の冷たい澄み切った空気が覆っていて、遠くのネオンの文字が読める気がした。

下から毛布を持ってきて包まりながら二人でずっと話をした。

奈美は、4月から就活で忙しくなる話や、出版社に就職しようと思っていること。僕は大学を出たら、建築の学校に入り直したいことを話したのを覚えている。

気付くと遠くの駅から電車の発車ベルの音が聞こえてきて始発の時間になったのに気付いた。

僕は、少し一緒に居たいと思って
「泊まっていかない。」
と言った。
「電車で帰るわ。今度は部屋を片付けてから誘ってね。」
と奈美はイタズラっぽく答えた。

駅まで歩いて送って行く途中で奈美が後ろから抱きついてきて
「ごめん。こんなに遅くまで。」
と言った。

「全然大丈夫。すごく楽しかったよ。今度も会ってくれる。」
と僕は答えて、それからは手を繋いで駅まで歩いた。

この頃まで僕はお話し好きの青年だった。
そして、今は自分の感情をうまく言葉に乗せれないもどかしさをずっと感じて生きている。たぶん、分かり合えた人を失う怖さからか無意識に自分の感情に蓋をしてしまっている気がする。





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