見出し画像

忘れられない人⑨


当時二人でどんな事をして過ごして、どんな話をしていたのかはほとんど忘れてしまった。たぶんその日の出来事や感じたことを話したりしていたと思う。

憶えているのはバンドで新曲を作るたびに奈美に一番最初に聞かせていたこと。奈美の反応は鈍かった。「芸術は理解されない」と強がったけど、毎回落ち込んでた。

一度、複数のバンドが入れ替わる形でステージに立って演奏する対バンのライブに出る機会があって、奈美にも来て欲しかった。奈美は「絶対にいやだ。だって君失敗しそうだもん。」と言ってた。結局、来てくれたけど客席の後ろの方で手を組んで祈りしてるみたいだった。ライブが終わってから「俺、子供じゃないんだわ!」ってツッコんだら照れくさそうにしてた。ほんとに心配してくれていたんだと思う。

あとは、おすすめの本を交換しあって感想を言い合うのはずっと続けてた。
奈美が勧める本は、なんでも面白いと思った。たぶん好きになる人は感性が似ているので、好みが同じなんだろうと思った。
もしかすると、その人の事をもっと知りたいと思うからのめり込むのかも。今まで、恋愛小説なんか照れくさくて読んだ事なかったけれど、奈美が教えてくれるあらすじを聞いてから読むと、とても面白く感じた。

一度、江の島に行ったことがあった。お昼ご飯に江の島丼を食べて、神社にお参りした。下手なカップルぽくて嫌だったけれど、龍恋の鐘で南京錠を掛けたりした。その時に江の島から富士山の麓につながるという伝説がある洞窟の話から、何故か黄泉の国の話になった。
「私が死んだら会いに来てくれる?」
と、奈美が聞いてきた。
「絶対会いに行くと思うよ。でも、会えなくても楽しかった思い出の中で会える気がする。」
と僕は答えた。

実際、大切な人を喪うということはそんな綺麗ごとなんて通用しない。楽しかった思い出はすべて悲しい思い出になる。忘れたくて頭の奥の方に押遣っても、ふとした拍子に悲しい思い出が現れて胸の奥が苦しくなる。どうしてこんな事をしたんだって怒りもある。でも、もう一度奈美に会えるんだったら会ってみたいと心から思っている。

この記事が参加している募集

#忘れられない恋物語

9,219件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?