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0614 さいごにかけてみたいんだっていうにはまだはやい

転勤後1ヶ月が過ぎ、まだ多くの仕事を任されているわけでもなく、

残業や早く変えることへの咎めのない生活を得られたことで、

多少感性を取り戻せつつあります。

それは、この場所に思いや考えを文章として綴られることの楽しみと

曲に合わせて楽器をひくという事で特に強く感じられます。

高校生の時にベースを持って早10年。

アコースティックギターに関しては12年。

時間だけが過ぎ腕っ節は伴わない状態が続いていますが、

それでも中高と聞いていた曲を多く弾けるようになったというのは

進歩と言えるでしょう。

バンドメンバーとのいざこざが嫌い。

モテようとする、私利私欲で腹を満たそうとするやつとバンドをしたくない。

バンドとして活動できなくなって、曲が二度と演奏されないというのは辛い。

そんな思いからバンド楽器を一通り自分でこなせるようになりました。

この特性は良くも悪くも存在感を発揮します。

ある時は楽器経験者でセッションをした時に

足りないパートを埋め、ある程度演奏を成立させられます。

またある時はそのパート特有の醍醐味や悩みを共感できます。

またまたある時には、自分の担当することになったパートを、

別の楽器の視点から第三者的に見ることが出来るようになり、

曲の中での立ち位置や音色、存在感、演奏法など、引き出しが増えます。

良いところ尽くめに見えますが、「器用貧乏」という一点は

決して否定出来ないため、自分よりうまい演者がいれば

簡単にパートを譲る事となるという点や、アレもコレもと手を伸ばした結果

全ての実力において中途半端になり、一定の難易度以上の曲を

演奏できなくなるという点もあります。

特にプロとなれば「どこでも守れる便利屋」よりも

「一点特化型専門家」の方が喜ばれる上、他人を惹きつけられるため

複雑な感情をも覚えてしまうことがあります。

各パートの演奏や音楽自体を楽しんでいると、大した問題ではありませんが。

このようなどっち付かずで蜘蛛の巣のように均等に領土を拡大させていくと

どうしても「気移りしがちな、かける思いの軽い人」というふうに捉えられる

方もいるかもしれませんが、自分で手にとった武器をわざわざ否定する

必要もないので、このまま歩いて行く事を選ぶでしょう。

掛けた時間と思い、垂れ流した汗と血と涙を押し付ける位なら、

楽しくやって奏でる様、奏でる音を一緒に楽しんでもらえたほうがいい。

それが相手の利益になるなら尚の事です。

「うまくなる」じゃなく「楽しく演る」。

決して好きでやってることに対して「最後のチャンスにかけたい」と

いうことが無いように活動していきたいものです。

それだけ重厚で暑苦しい物に心をつかまれる瞬間もありますけどね。

BGM Something ELse/ラストチャンス

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