HARVEST

シワの多いゴツゴツとした手で

肩の前で小さく弧を描く。

改札を抜けた後で見えるかどうかは分からないが

相手が見えなくなるまではそうするのが、私の流儀だ。

私が守るものから、更に守るものが生命の息吹をかけられて

10数年が経った。

一人で満足に厠にも行けなかったあの頃、

うちに来る度に飼い犬のマイクに怯えてたあの頃、

「おはしもてるようになったんだよー!」と自慢気に

好き嫌いもせずに豆ごはんを平らげていたあの頃、

「けいろうのひだから!!」とどんな写真より美しく書けた

手描きの人物画と巾着袋をプレゼントしてくれたあの頃。

体が大きくなるに連れて、思い出も積み重なって、

気づけば私より身体は大きくなった。

感情表現も豊かになった。

色々な言葉や、色々な感情を知るようになった。

今時の子の間でされる「コイバナ」なんてものも持ちかけられ、

話を聞きながら自分の娘と変わらない部分を垣間見てはほくそ笑んだり、

食事支度の加勢時の、味見や調味料の測り方のようなちょっとした行動に

自分の娘が「母」として頑張っている姿がほんのり感じられたり、

齢を重ね身長も体重も身体能力も落ちる中、新しく得るものが有るんだなぁと

そんなことを考える時間をくれた我が娘にちょっとした感謝を見せる。

先が長くないことは、自分が一番分かっている。

何回同じ話をしただろう。

何回同じ対応をしただろう。

何回同じ診断を受けただろう。

何回同じことで通院しただろう。

それでも、私と過ごす時間を待っている人がいる。

そう考えるともう少しでも長い時間、楽しんでやろうと

神様のお告げに反逆という名のいたずらを持ちかけたくなることがある。

そうして良からぬことを考えながら、

私との時間をオモシロイと思ってくれるあの子への感謝と、

私に制限時間を告げる偉大なる存在への反駁として、

ニッコリと微笑みながら手を振り、こう心のなかで唱える。

またいつか逢える、その日までね。って。

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