高額料金を払って10km車道を走り得たもの
世の中の人間の殆どが脇役なのだ。当然僕もそちら側。オーストラリアに留学に来て僕はメルボルンマラソンに参加した。マラソンといっても僕がエントリーしたのはたった10kmのコースだ。
溢れるほどの人混み。オーストラリアこんなにたくさんの人がいたのだと痛感する。多民族国家ならではで、多種多様な人種の人を見ることができた。僕が感じたのは、みんな一緒なんだと言うこと。同じ人間で優劣なんてない。それはつまり、「黒人だから足が速い」 だとか「アジア人だから弱い」だとかがないと言うこと。走るのが得意なアジア人もいたし、ゼエゼエ言いながら走っていた黒人もいた。結局は人種じゃなくて個人の差。
もう一つ。イスラエルとハマスの問題が注目を浴びている現状。それでも僕らは走り続けた。結局は自分の人生では自分が主人公なんだよ。だからこそ、その瞬間は自分が1番輝いていたいと思いたいのかもしれない。僕自身も何が言いたいのかはわからないけどそう感じた。
レース終了後、参加賞のメダルをもらった。会場の周りには様々なテナントが立っていて、無料で色んな製品が配布されていた。僕はこの国の貧困層を生きている身分なので貰えるものはもらった。遠慮はしていないつもりだった。でも、周りを見渡せば、これから避難でもするのかと言うほどの無料製品を集める人たち。僕は無料で物を得れて得をしたはずなのになぜか損をした気分だった。そして時刻はまだ午前10時。まだまだ長い一日が始まる。
案の定帰宅後、ルームメイトはいまだに夢の中でした。
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