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好きなことを仕事にするか、それとも、、

皆さんこんにちは。今回はNoteの応募ハッシュタグに便乗して私らしい働き方について書きたいと思いますのでお時間ある方は読んでいただけたらと思います。

自分は過去に2度好きなことを仕事にして生きていけるのかについて真剣に向き合ったことがあります。自分の育った環境もあり、毎日スーツを着て疲れた顔して帰ってくる親を見てこうはなりたくないと思ったのがきっかけでした。

1度目の好きなことを仕事にしようと考えたのはダンス

自分は高校を卒業するまで野球をしており、大学も警察官になるために入学する予定だったのですが入学式の際にブレイクダンスをしている人たちを見て憧れました。「このまま親の理想に沿った人生を歩んで自分は幸せになれるのか?」そのことが心にあり、自分はダンス部に入部しました。初めて親に相談せずに自分で決めた道でしたが親の反対と家庭環境の悪化により、ダンスで知り合った友人の家に居候をさせてもらうことになりました。居候している友人の家に本当に毎週違うダンスの仲間たちが訪れては、一緒に練習し上手な先輩の話や音楽について語り合いました。

ダンスで生きていけるか?と考えたとき

それからダンスのことだけに打ち込んだ4年間を過ごして自分はそれなりに大学生では名前が売れるほどの実力になり、微々たるものですがダンスの仕事もいくつかもらうことができました。憧れられ好きなこと、好きなものに触れながら生きていくことができたらどれだけ幸せでこのままずっと続けば良いのにと思っていたのですが、大学での実力がついてきて、社会人でダンスしている人たちと接する機会もありその人たちと話した瞬間にある共通点に気づきます。みんなアルバイトやフリーター扱いでそれなりに厳しい生活を送っている、ダンスで生きている人は東京でバックダンサーをしていたり振付師の仕事をしていたり、、自分はストリートなダンスがすきだったのでそこに魅力は惹かれませんでした。その瞬間ダンスをしている上で魅せ方を研究していく上でたどり着いたファッションの道で生きていこうと考えました。

2度目はファッションという道

ダンスは仕事の合間の趣味で行うことを決め、アルバイトをしていた古着屋さんでの楽しい接客を思い出しアパレル業界に就職することを決めていきます。

その中で話すことが好きだった自分はその会社での人材採用の仕事のお手伝いや研修企画の立案などファッション以外でのやりがいも見つけます。

ですが、1社目の仕事の業務負荷が自分のCapaを超えてしまい、転職をすることを決意します。2社目はより販売に特化した会社でそこでは富裕層向けに販売を行い全国で1位になるほど向いていると感じられました。

このタイミングでコロナが世界を変える

コロナウイルスにより、1度目の緊急事態宣言になり1ヶ月半休みになり同僚は喜んでいましたが自分は少し危機感を覚え普段読まない本を読む習慣をつけ好きなこと以外を学び始めることにしました。「いくら好きでも選ぶものを間違えると生きていけない」そう思いました。

本を読んでいるとやはりアパレル業界で販売員には未来がないことがわかったのと、販売員として一位になったにも関わらず給料が会社都合でいくらでも上がらないようにできることを知った自分は好きなものは稼いで割り切って過ごそうと決めそこからありとあらゆる本を読んだり様々な人たちと話したり勉強をした末GAFAの一角に入社することができました。

私らしい働き方とは「誰と働くかだと思う」

現在、27歳で三社目でそれぞれ違うことをして、感じたことは「何をして働くか」よりも「誰と働くか」であると思う。自分が自分らしくさせてくれるのは仲間やチームで困難なプロジェクトに真剣に向き合った思い出というものは何にも変えられず一生のうちに何回も経験できることではないと思う。自分はそんなことを思い出しながら社会人で5年を過ごし、今はフリーランスで働きたいと思う人とたくさん出会いなんでも良いので一緒に真剣になれることをしたいと考えています。もちろんフリーランスに今はなる力もないですが、いつか夢を叶えるために少しずつ努力していこうと思います。長くありましたが、今回もお読みいただきありがとうございます、そして応援していただけると幸いです。

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