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北鎌倉の古民家に住みながら珈琲屋を開業します

いろいろ溜め込んできましたが、ひとまず結論から書きますと
北鎌倉の古民家へ引っ越すことになりました。
そしてその古民家を住居兼店舗として、珈琲 綴を開業する予定です。

8月末に出合って、何度も鎌倉に通って、すったもんだいろいろあり、ようやく本日無事に契約書にサインしました。
ここ数年、いや今までの人生で最も心ここに在らずな一ヶ月だったと思います。
それほど揺れに揺れ、悩み考えました。
noteなど書く余裕はまるでなかった。
もしかすると個人店の店主というのはこのストレスと常に隣り合わせなのかもしれませんね。タイヘン。
もともとひとり言は多い人間ですが、ここ最近で最も多く漏れるひとり言は「怖いなあ」です。笑
あれこれ考えると、やはり行き着く先は「怖いなあ」になるようで。
なかなか「ワクワクするなあ!」とは言いませんよね。

とりあえずひと段落というところなので、記録がてらここまでの経緯を書き残しておきます。

本当に「今」お店としての空間を持つべきか

世は新型コロナウイルスによって暮らしが大きく変わっています。
マスクは常にしていなければならないし、「不要不急」の外出は控えるようにお願いされているし、リアルな場でお客さんを相手にしているあらゆる業界が経営的な打撃を受けています。
まだわからないことが多すぎて大きすぎて、正直どうすればいいのやら、という感じです。

そんな中、私は銀座の十一房珈琲店で3年半、恵比寿の珈琲トラムで1年半ほど働いてきました。
働き始めた当初から自分でお店を構える=空間を持つことを目標にしてきました。
独立に向けて豆を焼いたり、お菓子を作ったり、日本中を西へ東へいろいろなお店を訪れました(それほどでもないか)。
その中で、その想いは強まるばかり。
良い仕事だな、好きな仕事だなと。

十一房珈琲店で、とりあえず3年という区切りをイメージして、2020年3月でそれを迎えたところでのこの情勢。

一瞬だけ、数日間だけ、頭を過ぎりました。
この世界がこれから10年単位で続くとしたら、もしくはいま以上に悪化する可能性も十分にあるのなら、場を持つべきではない。
人が来ないのならそこに価値は生まれない。商いとして成り立たない。生きていけない。
オンラインで珈琲を生業にする道があるのではないか、その方法を時間をかけても模索すべきなのではないか。
もしくは珈琲関連の一般企業に勤めようか。


やっぱり無い。

無いです。
やってもいないのに、コロナで先がわからないから、いま飲食店が絶望的な状況だからと始めもしないのは、無いです。
今の私にはこれしか無いです。
それに、仮にこの状況が続いて、仮に外食文化が廃れて宅配文化が急激に発達したとしたら、私は、私のような人間はどこへ向かえばいいのでしょう。
美味しい珈琲に心を解し、音楽と空間に心を委ね、癖の強い店主にご馳走様と言って日常に戻れる「非日常」の代わりになる場所はあるのか。

きっと何事も、何かが無くなればその代わりになるものは生まれるのでしょうが、私はまだ想像し得ないし、無くなられたら私の仕事も目標も同時になくなって路頭に迷ってしまいますので、そんな未来にならないように、今は足掻こうと思います。

インターネットで物件に出合う

ただ、この状況なので、積極的に物件を探していたわけではありませんでした。
普通なら開業を考えている土地をローラー作戦の如く歩き回って空き物件に出合って契約!なんていうのが運命的で良いなあとは思いますが、そういうわけにもいかず、インターネットでたまに思い出したら不動産検索サイトで条件を当てはめてざっと漁る、というようなことをしていました。

8月の下旬、不動産検索サイトで北鎌倉のこの物件を発見したのです。

木造、平家、築何年かもわからない古民家。
雨漏りもするし建具も軋むしいろいろなところがボロボロなので、そういったところも受け入れて修繕しながら暮らしを楽しんでくれる人を募集、とのこと。

結果は同じ「惚れた者負け」

これはもはや一目惚れのようなものです。
そして「惚れた者負け」とはよくいったもので、私はその魅力に負けました。

内見の予約をしたにもかかわらず、その前に一度わざわざ北鎌倉まで足を運び、物件を外から眺めるためだけに訪れました。
物件選びはとても重要なことなので、内見にぶっつけ本番で挑むのではなく、そこまでの道程や物件の印象をなるべく回数を重ねて吟味したかったのです。
それがまあ良かったんです。
私が物件の理想として掲げていたポイントにいくつか当てはまっていました。
駅から近いこと。
お店へ向かうまでの道のりがワクワクさせるアプローチであること。
隠れ家感満載なこと。
華やかさとは真逆の、時代から取り残されたような古めかしい堂々とした佇まいがあること。
ただもちろん大きな心配事もあります。
駅から近い代わりにちょっとした山の上にあるのです。
ふらっと通行人の目に留まって訪れる、という可能性はおそらくありません。
加えて「鎌倉エリア」という観光地としての客層、人の動きが全く読めない。
季節や一時的な流行のようなもの、はたまたコロナなどの不測の事態によっての人出の波の落差はきっと想像だにしないことになるのでは、と既に戦々恐々としています。
珈琲屋としての家賃の規模感を考慮すると、冷静にここで店舗をやることはリスクが大きすぎるのではないか、ということも感じます。

しかしそれでもやはり「惚れた者負け」なのです。

「北鎌倉」に住みたい、この家に暮らしたい、この物件でお店を始めてみたい。
もし開業コンサルタントのような方と一緒に来ていたら、きっと止められていたと思います。
それでもきっと頑固な私はここで始めると腹を決めて、もう面倒は見られませんと愛想を尽かされるのでしょう。
結果は同じ。

いつも心の真ん中に「シンプル」を

せっかく決まったのに、不安を吐くのはこれくらいにしておきます。

このようなとき、つくづく根がネガティブなんだなあと思い知ります。
ワクワクする未来が間違いなくあるのに、どうしても不安や心配に心を占拠される。

やるべきことはシンプルなはず。
珈琲にしろ、空間にしろ、自分にとって「良いもの」を地味に地道に実直につくるのです。
ぐちゃぐちゃに散らかってしまわないように、忘れないように。
大切にしたいと思える人やものや生き方を大切に。
全部ひっくるめて、やりたいことをやるのだ。

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