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整える、の少し前

いつも人は、何かしらを見たり、考えたりしているらしいです。
だから何も見たり考えたりしない睡眠中は頭の中を整理する時間なのだとか。

個人差あるでしょうが、朝(起きてすぐ)が一般的に生産性が高いのは、寝起きで整理された頭から始められるからで、夜(起きて最も時間が経過した時)は朝からインプット(意図したものもそうでないものも)したものが蓄積されているので、何かを生み出すために「考える」には向いていないらしい。

最近のこと

これから、内装工事が始まろうとしています(まずは何より洗濯機の設置工事からですが)。
店内で過ごす時間をとても大切にしようとしている私としては、空間作りは本当に大切な要素です。
「美味しい」それ自体も、ただそのもの自体だけでなく、いろいろな要素が含まれている感覚だとも思っています。
椅子、テーブル、お店の人、音楽、お店周辺の環境音、他のお客さんの話し声…
総合的な「雰囲気」というもの。

しかし水道、電気、ガスはもちろん、建築的な大工さん仕事というのは私の知らない世界です。
基本的には「米は米屋」の思考なので、専門的な部分はその分野のプロフェッショナルにお任せすればいいのですが、一方で大切なことやこだわりたいものは自分の手で作り上げたいとも思ってしまいます。
何かあった時にすぐ自分の手で修繕できるし、コストもかからないし、出来上がりも納得するまで進捗管理して何度も作り直せるからです。
そんなことが不可能なのはわかっているのですが、だからこそどうしても不安を感じてしまいます。
工務店さんはとても理解があって相談に乗ってくださいますが、工務店さんの問題ではなく自分の中でどう整理をつけるかの問題です。
大変面倒で失礼な輩です。

決して安くない金額で、自分の窺い知れぬところの自分の大切なお店が出来上がっていく、出来上がったら簡単に変えられるものでもない。

そんな不安を文字にして書き出していました。
そこでふと、自分の原点を再確認してみたのです。

原点を再確認

なぜ珈琲屋をやりたいのか。

自分が珈琲屋さんで救われてきたように、そういった珈琲や空間を作りたい。
美味しい珈琲を飲んで、静かに、ゆっくりと、頭と心を整えること。

冒頭の話に戻りますが、人は飲食するときにも何かしら考えています。

珈琲の場合は、メニューの産地や品種、精製方法などから選んで風味を予想(期待)して、手元に供されてカップを手に取り、鼻先を近づけて香りを確認して、唇をカップにつけて少し含み、口内で風味や舌触りを、喉を通ってから残り香の余韻を楽しむ。
珈琲がお好きな方ならなおさら、このような感じで各過程を楽しまれるのではないでしょうか。

でも、美味しい珈琲を飲むと、たまにその思考がショートすることがあります。
頭の中が真っ白になるのです。一度ゼロになるのです。
香りを嗅いだ時なのか、口に含んだ時なのか、喉を通った後なのか。
思考という思考がぷっつり途切れて、「美味しい」という言葉すらも浮かんでくる寸前に「美味しい」と「感じる」瞬間がある。

目の前に珈琲があって、ここに「私」がいる。
それだけで、もう、良い 、と。
その刹那、ようやくただただ嘆息して「ああ、美味しい」という文字が浮かんできます。

そうだ。
珈琲で、そう感じる「瞬間」が作りたいんですよ。

「整える」のその少し前の、何もかもが頭と心から吹き飛んで真っ白になるような、そんな珈琲を作りたいんです。

その「瞬間」の真っ白な、ゼロの状態があるから、静かに、ゆっくりと、思考し始めた言葉がぽつりぽつりと浮かんで、自然と「整う」状態になるのだと思います。

それは、自分次第で出来るかもしれない。
少なくとも自分がそう思えるようなものを目指して作ることは出来る。

「雰囲気」は実体のない理想を思い描いているから、きっと100%、120%で納得するものにはならない。
ならば少しでも自分で出来ることをやる。

…とポストカードに書きながら自分に言い聞かせることで、不安が薄れていきました。
やっぱり、ポストカード、作りたいな。

地味に地道に。
牛のように、ただゆっくりと、地を踏みしめながら進むのです。

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