妖精と、はたらくことと。
はたらくつもりがなかった。
描きたい絵を描いて、名古屋城のほとりで詩を売って、バイトしながら親のスネをかじって生きていこうと大学3年の夏までわりと本気で思っていた。
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名古屋芸術大学という地方芸大のアトリエの片隅。日差しが気持ちいい窓際のスペースで、いつも油画を描いていた。一枚の絵を描くのに半年かかった。
卒業した先輩がのこしていったソファとテーブル、ティファールの電気ケトル。昼の3時になるとあたたかい紅茶を入れて、てらてら光る描きかけの絵肌をうっとりと眺めているだけで何時間も過ぎていった。
しあわせな時間だった。
けれどこの幸福な時間は「4年」という期間限定。
実家暮らしだったので、家に帰ると母がつくってくれたおいしいごはんを食べ、趣味の詩を書き、嶽本野ばら氏の小説を読んで、うとうとと眠った。
絵の具代とイギリスへの短期留学費のために、近所にあったナゴヤドーム前イオンへ週に数回バイトに通った。
大学生という肩書きがなくなっても、この生活を続けたい。
それが当時の全自分の総意だった。
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絵を描くことを仕事にしようとは思わなかった。自分の作品がお金になるとは思えなかったのだ。
私の絵は、私にとっては大切なものだけど、他人にとって価値あるレベルで描けているとは到底思えなかった。しかも一枚描くのに半年かかる。むりやん。
油画じゃなくて商業イラストを極めるという選択肢もあったかもしれないけれど、私はデッサンが絶望的にヘタだったのでお金にはできないと思った。
デッサンの狂った絵。感覚的な詩。自分がつくりたいものと世が求めるものの接点が見当たらなかった。
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はたらくつもりのないまま、私はイギリスへ1ヶ月半の短期留学へ旅立った。大学3年の夏休み、イオンで稼がせてもらったお金を全投入した。学生のうちにヨーロッパの文化を見ておきたかったのだ。
滞在先は、イングランドの真ん中あたりにあるウェールズにも近しいウルヴァーハンプトンという地。
つねに夢心地だった。
名古屋芸大と提携している現地の大学に通い、寮に住んだ。休日にはロンドンの美術館やギャラリー、ストーンヘンジのあるソールズベリーや絵本の世界のような村といわれるコッツウォルズ、不思議の国のアリスゆかりのオックスフォード、ピーターラビットの生まれた湖水地方にも行った。
いろんな地をめぐるたび、旅立つ前に読んだケルト文化や妖精の本のことを思い出した。
滞在していた場所が、ケルト文化が伝わるウェールズに近かったこともあってスピリチュアルな空気を意識した。香ばしさの先を探るように、すんすんと。
ある早朝、ふと目が覚めて窓の外を見ると、朝霧のなかを一匹のリスがぴょこぴょこと走っていた。幻みたいな現実だった。芝の緑が美しく、冷えた空気が心地よかった。
妖精はいるかもしれない。
唐突に思った。
そしてイギリスから帰国し、思った。「自立しよう」。
これもまた、唐突に。
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自立するのはいいが、どうやって生計を立てようか?
私の頭には一冊の分厚い本が浮かんでいた。「もし万が一、はたらきたくなったらこれになろう」と決めていた職業があったのだ。
それがいまの私の職業、「コピーライター」だ。
分厚い本とは、東京コピーライターズクラブ年鑑(通称TCC年鑑)というもので、MacBook3台を重ねたよりも大きくてずしんと重く、一年分のいい広告やコピーが集められた辞書のような年鑑だ。
大学の図書館に置いてあったのをたまたま読んだことがあって、そこには広告作品だけじゃなく制作者の写真とコメントも載っていた。
いい年した大人たちがビジネススーツも着ずに、屈託なく笑っていた。
え、いいな。
これでお金もらえるなんて最高じゃないか。
こんな立派な本に、つくったものと一緒に載れるなんて。私もこれに載りたい。これならば、自分がつくりたいものと世が求めるものの接点が持てるかもしれない。
イギリスから帰国後、私は「就職する。コピーライターになる。」と言い出した。
大学3年の夏休みが終わっても就活ムードのない芸大の油画科のなかで「玲ちゃん、急にどうしたの?」と友人たちに驚かれながら、私は就活をはじめた。
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結局、大学在学中にはひとつも内定をもらえなかった。
研究生として大学に籍をのこし就職浪人をしてようやく、名古屋の老舗デザインプロダクションからコピーライターとして内定をもらえた。いまでも心から感謝している。
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「仕事が好き」と事あるごとに言っている。天職かはわからないけれど、少なくとも「相性のいい仕事」ではあると思う。
イオンでバイトしてみて接客業とか人と直接関わる仕事はあまり向いていないとつくづく思ったけれど、考えること、つくることなら、ちょっとはできる。
「#はたらくってなんだろう」というハッシュタグのもと書き出したこのエッセイ。多くのひとにとってはたらくことは、他者と関わり、世の中を良くするためのものだと思うけど、例に漏れず私もそうで。
どうしようもない「自分」という存在が、世の中と会話することのできるありがたい行為だと思っている。
あの分厚くて立派な本にはまだ載れていない。けれどいつか載れたときは、大学のアトリエで感じた「幸福な時間」を更新できる、そんな気がしてる。
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