積極的行動とは何か?

部屋の掃除をしていたら、去年受けた新人研修の日報が出てきた。

今でもはっきり覚えているが、その日の研修は社会人マナーについて全般的に学ぶ内容だった。

講師から、質問され「誰かわかる人いますか?」と聞かれると、受講者の中に挙手する人はいなかった。
すると、講師は「積極的に動きなさい!」「社会人なんだから、自分から動きなさい!」と注意した。

一通り注意された後、また講師が「誰かわかる人いますか?」と聞き、今度は受講者全員が挙手した。

講師は満足そうだった。

受講後には日報を書き、講師からコメントをもらう。
その日報に講師から「Good!」と波線を引かれた以下の箇所があった。

積極的行動というのは、だれか意見を言ってくださいと言われたら、一斉に挙手するという集団行動だとわかった。

この箇所に「Good!」とコメントを書くのであるのだから、一斉に行動する集団行動こそが積極的行動だと、講師は認識しているのであろう。

しかし、当時受講しながらも「積極的行動というのは強制されている中で行うものなのだろうか?また、そこに集団との協調が必要なのだろうか?」と疑問を抱いた。

そして、今、読み返しても同じ点に疑問を抱く。

①積極的行動は強制されるものなのだろうか?
②積極的行動に集団との協調は必要か?

この疑問について、1年5カ月社会人生活をしきて考えられる答えを書いていく。

①積極的行動は強制されるものなのだろうか?

社会人生活を通して、指示される内容だけでなく、自発的に行動する必要があることはわかった。そのような意味で積極的行動をしなさいと言われるのはわかる。

反対に、消極的でいる必要性もあると最近は感じている。純粋に何も考えずに言われた内容だけを淡々とこなすスキルが今一番欲しい。

さて、積極的行動は強制されるものなのだろうか?

強制されるものではない、というのが私の答えだ。
新人全員に積極的行動をしてほしいというのであれば、まずは新人ひとりひとりと向き合う必要がある。

その向き合う時間と手間がないから、押し付けて終わってしまう。教育とは無縁な行動だ。

②積極的行動に集団の協調は必要か?

全員で同じ行動をしないといけないのだろうか?

まだ、答えはでない。

最後に

新人研修を受けていると、今までとは大きく違う価値観や常識と出会い、自己が揺らぐ。

揺らいだ中で不安になることも多いが、こんな価値観や常識だなんて自分とは無縁だ、それがスタンダードの人とは住む世界が違う、と割り切る必要もある。

この1年5カ月の社会人生活で一番学んだことは、割り切る必要性である。
別にその世界に死ぬまでいるわけではないので、軽い異文化交流の留学に行ったつもりで、いるとわりと楽しめる。

楽しんでいたつもりが、該当者になる前に、逃げなければ。

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