マルチバースの知らない世界では人がヤクルト1000を毎夜呑んでいる
ここだけの話、自宅の居間のテレビ画面はマルチバースと繋がっている。
自分が生きている世界の何処を探しても実際に手に入らないものがテレビで名前が上がる。そう、ヤクルト1000。いくら近所のスーパーを探してもないのだ。
試しにiPhoneを開きGoogle検索で「ヤクルト1000 存在しない」と入れてみた。どうやら存在はしているらしい。iPhoneの画面もマルチバースの扉と化していた。大変なことになった。知っている世界と知らない世界が衝突している。インカージョンがはじまっているのだ。ストレンジ先生に相談しようか、でもたぶんひやかされるからやめとこう。
ぼくはこのままヤクルト1000の存在を認めないまま寿命を全うしてしまうのだろうか。いや、能動的にマルチバースを横断しようとしていないからか。そもそもヤクルト1000ってなんなのか。ショットで呑む酒??日本酒??「夜寝る前に呑む」とかテレビで言ってたし。
「なんか実態や欲しさ度合いを言語化できないけど、あったらいいな」と思うものやことで溢れている。Amazonの欲しいものリストには色違いサイズ違いのYogiboが複数入っていた。ほんとうに欲しいのかそれ全部。仲良くなりたいなと思う人はそこそこいるが、ほんとうに踏み込んでいいのかその人に。
あったらいいな。
そういうとき、大体は手に入らないし手を伸ばさないのだ。だって「あったらいいな」留まりだから。映画『Everything Everywhere All At Once』(2022)ではあらゆる手を駆使してエヴリン達がマルチバースと現世界を行き来するバースジャンプをこころみる。痛みを伴うし滑稽で他人から変人扱いされるような術で。でも、それでもバースジャンプしたいのだ。在りたい姿や能力を手にするため。
そう、"Wish it was here"ではなく
"I'll be there"なのだ。
実態や欲しさの度合いがぼんやりとしているうちは、至る所から囁き声が聴こえてきてインカージョンが起きてしまう。そうなる前に自分の言葉でバースジャンプするのだ。「欲しい」「欲しくない」を掲げて。それそのものじゃなかったとしても、自分の世界にある、自分の生活圏にあるものを求めて。そんなことを考えながらR-1とmegumiガセリ菌SP株ヨーグルトドリンクタイプを買った。
映画観たときには全然意識していなかったけど、「This Is a Life」Mitskiも参加してたじゃん!
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