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初めてのnote
はじめまして!渡剛と申します。NPO法人あっとすくーるというひとり親家庭の子どもたちをサポートする団体の代表をしています。
これから毎週1回noteを更新していくことに決めました!最初の記事では僕の自己紹介と、今後noteで発信していく内容について書こうと思います。
未婚の母子家庭育ち
冒頭で「ひとり親家庭の子どもたちをサポートする団体の代表をしています」と書きましたが、自分自身が未婚の母子家庭で育ったことが今の仕事をしている理由の一つです。
僕は1989年に熊本県熊本市で生まれました。生まれたのは「こうのとりのゆりかご」で有名な慈恵病院です。
生まれた時の家族構成は僕と母、10歳以上歳の離れた兄2人(僕とは父が違います)、そして祖母の5人でした。
母親はとある保険会社の営業でバリバリ働いていたので、経済的にめちゃくちゃ苦しい中で育ったかというと実はそんなことはありません。
中学2年生になるまではお金の面で困ったり嫌な思いをしたということはなく、誕生日もちゃんと祝ってもらいましたし、クリスマスにはちゃんとサンタクロースも来てくれました(笑)。
「どうして誰も助けてくれないの?」苦難の中学生時代
そのまま順調に人生を送っていたら小学校6年生の抱いた「学校の先生になりたい」という夢のまま熊本県で学校の先生をやっていたと思います。
実際にはそうはならず、大学3年生の時に当時の友人たちとあっとすくーるを立ち上げて今に至っています。
どうして自分で起業してまでひとり親家庭の子どもたちをサポートすることにしたのかというと、中学生時代の出来事がきっかけでした。
母がバリバリ働いてくれていたのでお金の面で特に困ったことはなかったと書きましたが、中学2年生の時に状況は一転します。
2人いる兄のうちの1人がヤミ金融からの借金を抱えて実家に帰ってきたり、祖母が介護が必要な状態になり母が祖母の面倒を見るために仕事をセーブするっていうことがほぼ同時期に起こりました。
毎日のようになる借金取りからの電話に怯え、毎晩のように繰り広げられる母と兄の喧嘩に怯え。
母は喧嘩の最後に決まってこう言ってました。
「明日剛と一緒に死んでやる!」
もしかしたら自分は明日死んじゃうのかもしれないという不安な気持ちと隣り合わせな生活でした。
そんな中でも母が「剛が頑張っていることが私の生きがい」と言ってくれていたので、「自分が頑張らないとお母さんが死んじゃう」と思った当時の僕は、学校生活を頑張りました。
常に学年上位の成績をキープし(学年1位も取りました!)、中学2年の後半からは生徒会長も務めました。
ただ僕もギリギリだったんだと思います。今でも忘れない、あれは台風で学校が臨時休校になった日のこと。
家にいた僕は、目の前で繰り広げられる母と兄の電話越しの喧嘩を見ていました。それを見ていたら、突然涙が出てきました。泣いてる僕を見て母は電話を切り、どうしたの?と聞いてくれました。
「どうしてうちがこんなにしんどいのに、誰も助けてくれないの?」
涙ながらに母に言いました。
家庭のこんなドロドロした事情、同級生に話すには重たすぎます。心の底から信頼してなんでも相談できるような先生もいません。1人で抱え込んで、1人で我慢の戦いを続けるしか道がない。
この時の経験がのちに「自分と同じような苦しみを、次の世代の子どもたちに味わってほしくない」という、あっとすくーるを立ち上げるきっかけに繋がっていきます。
大学で出会った「子どもの貧困」と「社会起業家」
そんな中学時代を母の懸命の努力もありなんとか乗り切り、高校生になりました。
「教師になる」という夢を実現するために大学進学を目指していたのですが、入試を直前に控えた高校3年生の秋に再び兄が借金をして帰ってくるという事件が起きました。
「もうさすがに無理だ・・・」
頑張ってきた自分は夢を諦めないといけないのに、人に迷惑をかけてる兄は自分のやりたいようにやってるって、なんて理不尽なんだと思いました。
母にも「死んだ方が楽かもしれない」という手紙を書いたくらいです。
そんな僕が今こうしてこの記事をかけているのは、その時に奇跡が起きたからです。
僕の父親にあたる人がその時期に亡くなられて、遺産が入ってくることになりました。
その遺産のおかげで家の借金の問題や進学費用の問題をクリアすることができ、大学入試も本当にギリギリの成績でパスして、無事に大阪大学外国語学部に入学することができました。
余談ですが、僕の点数は合格最低点+0.6点。あと1問でも間違ってたら落ちてました(笑)
そうやって進学した大学の授業で、僕は「子どもの貧困」と出会います。自分と同じような境遇の子どもたちが日本には少なからずいて、自分なんかよりも遥かにしんどい状況にある子どもたちがたくさんいる。
その事実を知って「なんとかしたい」と思ったのが大学1年生でした。
そして大学2年生の時、僕は友人の勧めで「edge2010」というソーシャルビジネスのプランコンペになんとなく参加します。そこで出会ったのが「社会起業家」と言われる方々でした。
小学校6年生の時の担任の先生に憧れて学校の先生になりたいと思った時のように、その人たちの背中に憧れて自分もああなりたいと思いました。
「あなたみたいな人を待っていたの」と言ってくれた母子家庭のお母さんとの出会いもあり、2010年に僕はあっとすくーるを立ち上げました。
その後2012年に大学を卒業し、現在に至ります。現在はあっとすくーるの代表の他にこんなことをやっています。
・公益財団法人あすのば 評議員
・NPO法人ブレーンヒューマニティー 理事
・NPO法人edge 理事
・明石市養育費に関する検討会 委員
長くなってしまいましたが、僕の自己紹介でした!
noteで書きたいこと
これまであっとすくーるをやってきた中で出会ってきた子どもたちや保護者の方との話を中心に、自分が心動いたことを書いていこうと思っています。
読んでいただいて何か役立つような記事ではありませんので、そこはあらかじめご了承ください(笑)
例えばひとり親家庭の方で「進学費用をサポートしてくれる情報を知りたいけどどう調べたらいいのか・・・」というお悩みをお持ちの方は、あっとすくーるのHPにそういった記事を書いてますのでぜひそちらをご覧ください^^
来週から記事を書いていくんですが、来週は僕にとってもっとも思い入れのある生徒について書こうと思います^^
お楽しみに!
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