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村上春樹『アンダーグラウンド』:コロナ禍に読むサリン事件

地下鉄サリン事件が起こった1995年3月20日。僕、小宮山剛はまだ4歳だった。

村上春樹が著した本の多くを読んできたけれど、もう少なくなってきた未読本のうちの1冊『アンダーグラウンド』をようやく読むことができた。僕がまだ4歳だったころの事件について入念に実施されたインタヴューやそこに描かれた「物語」から、僕は少なからぬ意味での現在性を感じた。あまりにも多くの「現在」が、ほとんどは残念な意味で、東京に26年・・・いやきっとそれ以上の時間をものともせず、居座り続けているのだ。

僕も東京での「アンダーグラウンド」経験者である。すなわち、地下鉄通勤の経験者である。僕が通っていたのは池尻大橋~神保町だったから、都下でもトップレベルに混雑する路線と言って差し支えないだろう。田園都市線を東京側に進む際の最終駅である渋谷の一つ手前が池尻大橋駅なのだが、これがもうなかなかに殺人的な混みようである。半蔵門線に入り青山一丁目駅あたりを越えるとすこし落ち着いてくるのだけれど、そのわずかにみえる区間で僕は一日の体力の4割くらいを消費してしまう。

東京での地下鉄通勤は、それ自体が殺人だ。短期的な意味でもあの圧迫空間で死を真近に感じることがあるし、実際のところ僕は長期的な意味でどんどん「死んで」いった。生きること死ぬことの狭間が曖昧になるような感覚があって、人が車輪のついた電気仕掛けの鉄の箱に寿司詰め(バッテラみたいにパンパンの)にされて運搬されることの異常性に対して、ますます鈍感になっていった。そうしなければ、東京で仕事なんてできないのだ。

2020年以降COVID-19の影響でテレワーク(リモートワーク)が推進されているからこの点は緩和されたのかと思いきや、東京にいる人々の悲鳴を聞く限りそうでもないらしい。もっとも僕は2019年3月から宮崎県の椎葉村という日本三大秘境の地に住み始めたから、そうした惨状が続いているということについては、インターネットやSNSを通じてまるで遠い国の戦争のように見聞きするほかないのだけれど。

東京での地下鉄通勤は、まさに戦争なのだ。それと同時に日常でもある。僕が2018年に経験した池尻大橋~神保町の地下鉄通勤のそうした様相と、1995年の様相はあまり変わらないように思う。そしてそのように通勤をする「サラリーマン根性」というか「仕事には這ってでも行く」という根性は、まさにピタリと同じというくらいに変化していないのでないだろうか。『アンダーグラウンド』から引用できる次のような文章たちは、そんなことを物語っている。

「こんなに体が震えていて(小宮山注:サリンの影響で)は明日は仕事にならないかもしれないので、ぶるぶると震えながら荷物の整理をしました」
「会社に着きますと、置いてあるバッファリンを飲んで、三〇分たつとまた少し落ちついてくる。その繰り返しです」
「みんなせっぱ詰まっているから、痴漢をしているような余裕もないですね」
「『ああ嫌だな、今日は行きたくないな』と思いながらも、それでも体の方は自然に会社に向かっている」

2021年の今、コロナウィルスに感染するかもしれないと思いながら他人と肩を寄せ合い・・・いや、押し付けられあいながら会社に行かなければならない人々がいる。そんな人々と、上記のように1995年の人々が「アンダーグラウンド」での時間について述懐する内容があまりに大きく重なってしまう。コロナという脅威がありながら「これはもしかするとおかしいんじゃないか」と思いながらも、会社には行かざるをえない。場合によっては死の危険を冒してまで、彼ら彼女らは地下鉄に乗っている。そんな、東京アンダーグラウンドにおける「現在性」が浮かんでくる。

私たちは一切の変化を経られていないのだ。その点は『アンダーグラウンド』の巻末文章である「目じるしのない悪夢」のなかで村上が日本の閉塞的で責任回避型の社会体質について「帝国陸軍の体質とたいして変わってはいない」と述べた状況が、残念ながら漫然と続いてしまっていると言わざるをえないだろう。

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村上小説には頻繁に「地下世界」が出てくる(Cf. 『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』、『ねじまき鳥クロニクル』等)が、彼が地下鉄サリン事件について詳細な聞き込みをしながら書いた『アンダーグラウンド』の題名には、それ以上の意味が込められている。

村上春樹の言う「アンダーグラウンド」。それはサリン事件を見聞きした人々が感じる「後味の悪さ」を引き起こす要因であり、誰しもが抱きうるものである。「アンダーグラウンド」とは人々が直視することを避け、意識的・無意識的に現実から遠ざけている「自分自身の内なる影の部分」であると村上は語る。つまり、オウム真理教という団体が極めて悪質で異質な存在であるにもかかわらず「それは決して自らに内在する(しうる)ものではない」と言い切ることができないという意味において、人々は誰しもがアンダーグラウンドを抱えているという意味あいである。

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僕達は生きている。生きているということは過去から未来へと向かう時間軸を一方向へ向かって突き進んでいるということであり、それは言うまでもなく過去から未来へ、左から右へという不可逆の営為である。その「時間性」、すなわち「昨日の次には今日があり、今日の次には明日がある」という単純な「事実」を担保するのが「記憶」である。記憶があるからこそ人は「生きる」ことができる。

しかしながら村上が『アンダーグラウンド』中の「目じるしのない悪夢」(今日僕はほとんどの文字をこの巻末文を語ることに費やしている)のなかで説明した「生きる」という営為は、上記のような記憶の在り方に「?」を突き付けるものである。村上は、記憶について次のように語っている。

「我々は自分の体験の記憶を多かれ少なかれ物語化するのだ」

つまり、村上は「記憶は変容しうる」と言っていると考えて差し支えない。ただしこのことを「人は嘘をつく」とか「記憶は不確かである」という単純な結論とするのは拙速である。村上はこの「物語化」を「人間のごく自然な機能」であるとし、そうして物語化された後に語られた記憶のことを「『別のかたち』をとった、ひとつの紛れもない真実」であると言う。

僕は『アンダーグラウンド』を読んだ実感として、そのように村上が言う「物語化」を経た記憶(に基づいた記録)こそが「紛れもない真実」であるのだと感じている。よく「歴史は真実か」という議論がなされるが、僕がそれに対して答えるとするならば「歴史はいつだって『真実』だ」ということになるだろう。記憶の曖昧さや多数の証言が引き起こす齟齬が詰まった物語だけが、その時を生きた人々の混乱や熱や、様々な事象や感情がないまぜになった「整然たるカオスとしての真実」として認められうるのだ。よく言われるところの「小さな主語の歴史」こそが「真実」であるということである。

実際のところ『アンダーグラウンド』に収録された地下鉄サリン事件の被害者の方々の証言には、多分に齟齬や曖昧さが含まれている。しかし事実とはそういうものではないだろうか。普段何の気なしに(まさに無心で)乗っている地下鉄の空気が普段と違うといって、酔っ払いかもしれない他人が駅のホームで倒れているからといって、それを「大量殺人」と認めることができるまでには何過程もの思考と判断が必要である。そしてそれに気づいた時、人々の五感は揺さぶられ、認知は浮つき、言語と認識には乖離が生まれる。そのリアルなタイムラグと混乱と人間乃至社会システムの脆弱性、それによって引き起こされるやるせなさこそ『アンダーグラウンド』があぶり出した「真実の物語」である。

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僕は『アンダーグラウンド』を読み、それをコロナ禍にある2021年の日本や自分自身が地下鉄通勤をしていた2018年の東京と重ね合わせ比較し、ひとつの「物語」として咀嚼した。それもまた僕にとっての真実である。

一方で村上春樹はまさに自分自身の物語としての『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の「やみくろ」を引き合いに出しながら、オウム真理教団はそれらを深い闇の世界に解き放った者であるとした。それもまた、村上にとっての真実である。

この「物語化による真実」こそが『アンダーグラウンド』を読むうえで、そして生きていくうえで肝要なのだと思う。僕達は人間のごく自然な機能として物語化を図り、その結果としての真実を信じながら生きている。実際のところそうすることでしか、確かな生き方などできないのだ。

しかしいつの時代にも、そのごく自然な機能を果たすことができずにいる人々がいる。つまり「物語化できない」まま、世の中にあるものをあるがままに受け止めようとし過ぎている人々のことである。こう言ってしまうとどこか実直で真面目なようにも聞こえるのだが「物語化できない」とは要するに、自らの物語を描くだけの「自我」がないということである。自我がないということは世の中の事象を物語化する材料も主体もないということである。

そしてそうした「物語のない」人々に甘言を与え、都合の良い物語を大量生産しようと試みた(そしてある部分では「成功」した)のがオウム真理教団であり麻原彰晃であるというわけだ。単純に言えば、彼らは「信じるもの」を与えた。僕たちが自然と「自らの物語」を真実として受け入れているのに対して、麻原を信じた人たちは「オウムの物語」に自らを同化させることでしか真実たるものを見つけきれなかったのだ。その結果オウムの物語は増幅し、もはや歯止めの効かない重みをもち自ら崩落しながら、周囲にある多くのものごとを損ねていった。

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僕は小学校の頃、死刑制度の是非について討論する授業があったことを覚えている。今でもよく覚えている。あれはたしか小学校3年生のときだったから、1999年・・・地下鉄サリン事件が起きて4年程経った時代だったろう。

わずか9歳の子どもたちが、教師の言うままに「死刑になる人はそれだけのことをした人です」と考えるようになり「地下鉄サリン事件を起こした麻原彰晃は死刑になるべきです」と口々に叫んでいた。ある女の子なんかは「麻原彰晃は何人も人を殺したのに牢屋の中でお金も払わず生きていておかしいよ!みんなもそう思わんといかんよ!」と泣きながら喚いていた。周りにいた気弱そうな男の子が何人かそろって、何か荘厳な数学の公式についてでも考え抜いた後のような顔をして何度もうなずいていたのを覚えている。それは討論というよりは伝達であり、対話というよりは復唱であった。

教室は教師の言うままに「麻原彰晃は人殺し」一色となり、もちろんみんなが彼を死刑にしたがった。その教室の中で「本当にそうだろうか」という違和感を抱いていた子どもは僕だけではなかっただろう。もしかすると、全員がそのように考えていた・・・のだといいのだけれど、そうであればオウム真理教団など生まれなかったのかもしれない。あの教室では、教義も哲学もない子どもたちに・・・物語化するだけの自我がまだ芽生え切っていない子どもたちに、ある種のプロパガンダとしての「正義の振りかざし方」が詰め込まれていた。その方法や構造が、悪そのものであるオウム真理教団のそれと何ら変わらないということに気づいていた人間は、教師を含めてもほんの数人だったのかもしれない。

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こういう文章を書いたときに「じゃあオウムが正しいのか」などと言いだす人がいるかもしれないが、それこそまさに自我がなく物語化をできない人なのだろうと思う。僕の文章を読めてもいなければ、自分自身の頭で考えることもできていない。僕が言いたいのは、決してそんなことではない。

そして僕が残念に思っているのは、現在もなお色んな面で「オウム的」なものが蔓延っているということである。程度の差というか深刻さの違いこそあれ、アムウェイや新興宗教、数限りない修習講座に浅薄な就活対策・・・そのどれもが「自我をもたず物語化できない」人間を陥れるための罠である。

もう一度別方向の視点から繰り返すが 、僕は「アムウェイの鍋は悪い」とか「宗教はよくない」ということを言っているのではない。問題は構造でありシステムであり、それを主体として体現し客対として観察する自我の問題なのだ。そこに自我はあるのか・・・それこそがこうした諸問題の根源なのである。

今こそ「物語る」ための自我が必要である。それにはエーリッヒ・フロムが言うように、修練が必要なのかもしれない。それはきっと、よい文章を読みよい音楽を聴くということであるはずだ。

ここまでお読みになったあなたもこんな駄文など読んでいないで、家にある積読を切り崩し時代の洗礼を受けた良書にふれてはいかがだろうか。そうした地道な修練でしか、人生の壊滅を防ぐ手立てはないのだから。もし僕の文章に価値があるとしたら、その手助けの一端となれたことでしかありえないだろう。

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