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『鬼滅の刃』大ヒットの秘密に迫る! その(1)

昨今の『鬼滅の刃』ブームには眼を見張るものがあります。

コミックス各巻は本屋さんで全巻ほぼ完売で入荷未定、グッズはバカ売れ、そして劇場版『鬼滅の刃』の興行収入は現時点で233億円超と報道されています(2020.11.18現在)。

留まることを知らない『鬼滅の刃』ブームですが、筆者はTVアニメもリアルタイムで見ていて、面白いジャンプ作品、そしてアニメ化を手掛けるのがufotableということで放映前から非常に期待し、放映中は毎週大いに楽しんで観ていました。しかし、同作がここまでヒットするとは正直夢にも思いませんでした。よもや、よもや、です。

ということで、今回は『鬼滅の刃』人気に便乗して……いや、ゲフン、ゲフン……、胸を借りて、そのヒットの秘密に迫ってみたいと思います。

※ネタバレには十分注意していますが、以降の記事では、ある程度原作、映画の内容について言及している部分がありますので、未読、未見の方はご注意ください。

『鬼滅の刃』ヒットの秘密は「押さえるところをしっかり押さえている」ことにあり!

巷でよく『鬼滅の刃』のヒットの秘密として挙げられる要因は、「舞台が大正時代の日本」とか「敵が日本の『鬼』であること」、「武器が刀」「目的は鬼退治」といった「日本人に馴染みやすい題材、モチーフ」が描かれているからだという意見が大勢を占めるかと思います。もちろんこれらの魅力的なモチーフがヒットの要因の一つであることは確かです。

また劇場版の大ヒットには、「コロナ禍の状況」だったことが少なからず影響しているとも思います。
それまで自粛自粛で溜まっていたものが一気に噴出、爆発した結果が、この映画のダイナミックで圧倒的な内容とも重なり、ヒットになったという見方もできなくはないでしょう。
実際、そうしてブームになったから、観てみようかな? と思って劇場に足を運んだ方も多かったと思います。そうして実際に映画を観てみたら、評判通りの文句なしの大傑作で、非常に満足された方がほとんどだったのではないでしょうか。
それに、親子で楽しめる映画は、子供料金+親の料金がセットで入ってきます。普段、アニメ映画などを見ない方々も、今回劇場に多くいらっしゃいました。筆者が観た公開初週時でも、親子連れ、若いファン、大人のファンに加えて、60代以上の男性がいらっしゃったことが印象深かかったです。

しかし筆者は、そういった表面的な、外面的なことではなく、もっと作品の根っこの部分で同作がヒットした要因が存在していると考えています。

その要因とは、エンタメ作品として、少年マンガとして、物語として、「押さえるべき基本をしっかりと押さえている」こと、そしてメディアミックスとしてそんな「素晴らしい原作を最大限尊重して、原作の本質、持ち味をアニメ媒体で表現することに全集中した」ことです。

どういうことかというと、『鬼滅の刃』のヒットは何も特別なものではなく、当然の結果だったということです。
作品の基本として押さえるべき部分をしっかり押さえてつくられている
がゆえに安心して楽しめる面白さを持っていた、ということなのです。
(後からなら何とでもいえますが)だから、同作はたとえコロナ禍がなかったとしても、かなりのヒットを飛ばしていたと思います。

そんな『鬼滅の刃』が持っている「押さえるべき基本」とは、次のような要素です。

1.少年主人公は何かしらの「悲劇」を背負っている。
2.主人公が「明確で、強力かつ、読者の共感を得やすい目的、行動の動機」を持っている。
3.「原初的な欲求」を満たす要素が作品にある。
4.主人公が「読者の共感を得やすい人物像」であり、人間としての優しさを備えている。
5.主人公はどんな状況でも絶対にブレず、またこの主人公しかいえないセリフ、できない行動を取っている。
6.「主要キャラ3人(炭治郎、善逸、伊之助)のキャラ設定」がそれぞれ魅力的で特徴が被っておらず、その「配置バランス」が取れている。
7.ヒロイン(禰豆子)がこれまでにない「ヒロイン像」を持っている。
8.敵が単なる「悪者」ではない。
9.魅力的な「謎」の要素がある。
10.「しっかりした大人」が描かれている。

一つひとつ、考えてみたいと思います。

1.少年主人公は何かしらの「悲劇」を背負っている。

物語の世界では、少年の主人公は何かしらの「悲劇」を背負っていると相場が決まっております。

たとえば映画『天空の城ラピュタ』の少年パズーは「両親が他界し、たった一人で生活している、しかも父親は嘘つき、詐欺師という汚名を受けて亡くなった」という悲劇を背負っています。映画『もののけ姫』のアシタカは、村を守るために祟り神の呪いを身に受け、それがもとで村から追放され、許嫁とも二度と会えなくなり、命が蝕まれてしまうという悲劇を背負っています。

なぜ、物語では少年が悲劇を背負っていることが多いのかというと、悲劇がなければ少年は冒険に旅立とうとしないからです。

悲劇というものは、人に大きな影響を与えます。場合によっては一つの悲劇がその人の人生を大きく変えてしまうこともあります。
少年にとって悲劇とは、自分に責任があるわけではないのに、自分の軽率な行動の結果というわけではないのに、自分に非がないのにもかかわらず有無を言わさずに降り掛かる厄災、凶事、破滅という「不条理」なのです。
なぜ自分がそんな目に合わないといけないのか、少年はそんな過酷な不条理を経験し、悲劇の影響を感じながら、それを越えるために自分の足で人生を歩み出すのです。

この悲劇は、物語的には「欠落」として機能していきます。つまり、満たされてない要素であり、主人公はそれを充足させようとするのです。
何不自由なく生活している少年は、危険を犯してまで冒険に旅立とうとは思いません。家でぬくぬく生活している方が安全でいいからです。
しかし、悲劇としての「欠落」を持っていれば、それを満たすために、得るために、たとえ危険があっても冒険へと旅立つのです。

また、物語的には悲劇は「アンチ」としても機能していきます。
「アンチ」とは、「後に起きることと反対のことがまず描かれる」という作劇のテクニックで、「今日は平和だなぁ」という時に限って事件が発生し、「こんな弱いチームに負けるわけないよ」という時に限ってその弱いチームに負けてしまうのです。
つまり、少年が物語の中で活躍し、困難に挑戦し、それを乗り越え、大きな目標を達成するには、まずその後の活躍とは反対の「悲惨な出来事、状況、悲劇」といったものを背負う必要があるのです。

翻って本作の主人公竈門炭治郎を見てみると、「鬼に家族全員を惨殺された」というこの上ない悲劇を背負っています。さらに、生き残った妹の禰豆子は「鬼」にされてしまい、炭治郎は人に危害を加える前に鬼と化した禰豆子を殺さなければならないのです。
この悲劇は炭治郎の持っているものを全て奪います。それによって炭治郎は今までのようには生きることができなくなり、その代わりに悲劇によって「新たな目的」が生まれ、新しい人生を送り、多くの活躍をすることになるのです。

2.主人公が「明確で、強力かつ、読者の共感を得やすい目的、行動の動機」を持っている。

物語の主人公は明確で、強力かつ、読者の共感を得られるような行動の目的、動機を持っていることが必要不可欠です。

物語の主人公というものは、目的がなければ行動することができず行動しなければ物語の中で存在することができません。
その他大勢のモブキャラと主人公のもっとも大きな違いは、物語の中で行動する人物かどうかです。
以下の記事で述べたように、主人公には明確でシンプルな、ハッキリとした目的があり、その目的を達成するために主体的に動いていかなければならないのです。

そして、その目的は「強力なもの」であればあるほど、より強く主人公を動かす原動力となってくれます。

そして、もっとも大切な点が、主人公の持つ目的は「読者の共感を得られるもの」でなければならないことです。

自分の欲望を満たすため、人を貶めるためといった自分さえ良ければ他人はどうなっても構わないというような自己中心的な目的、動機では、読者は主人公を応援することはできませんし、そんな主人公がどうなるかについてなどまったく興味を持つこともないのです。「勝手にやってれば」といって、読者はページを閉じてしまうでしょう。

しかし、主人公が誰かのために、困っている人を助け、救うためといった「他者のため」、あるいは大きな困難を乗り越えるため、大きなことに挑戦するといった「価値あるチャレンジ」のために、そのような目的、動機で行動するならば、読者はそんな主人公に共感し、応援したくなるのです。そして、そんな主人公の行動がうまくいくかどうかをハラハラドキドキしながら見守っていくのです。

本作での主人公炭治郎の目的は何かというと、「鬼となった禰豆子を人間に戻す、そのための方法を探す」という自分以外の人のため、その人を救うためという目的、行動の動機が設定されています。しかもそれは「大切な妹を救うのため」というこの世でもっとも大きく、強力な動機の一つが設定されています。炭治郎はその目的のために、何が何でも、必死になって主体的に行動していくのです。

さらに炭治郎は修行を積んで鬼と敵対し、人間を鬼から守るために鬼を狩る組織「鬼殺隊」の一員となり鬼の脅威から市井の人々を守るために、鬼と戦っていくのです。

だからこそ、多くの読者は炭治郎を応援し、目が離せなくなるのです。

3.「原初的な欲求」を満たす要素が作品にある。

以下の記事でも述べましたように、

作品が多くの人に受け入れられるかどうか、ヒットするかどうかの鍵を握っているのは、人間にとっての「原初的な欲求」を満たす要素が作品にあることです。

人間には、誰もが持っている、以下のような「原初的な欲求、動機」というものがあります。

・「死にたくない(生き延びたい)」
・「素敵な異性と結ばれたい」
・「喜び、楽しみ、幸福を得たい」
・「苦痛を避けたい」
・「大切な人を守りたい、助けたい、幸せにしたい」

これらは、どんな国、文化圏でも、どんな年齢、性別、生活状況でも理解し、共感できる欲求、動機です。

そして、『鬼滅の刃』では、これらの原初的な欲求の要素が作品に盛り込まれています。

先に述べましたが、主人公炭治郎は妹を救い、人々を守るという「大切な人を守りたい、助けたい、幸せにしたい」という原初的な動機で鬼と戦っていきます。

ストーリーの主な内容は鬼との戦いであり、その戦いではたくさんの命の危険があり、命を落とす隊員も多数います。たとえ「柱」と呼ばれる鬼殺隊最強のメンバーたちであっても、強力な鬼との戦いで命を落とすことがあります。そんな死線をくぐり抜ける、死と隣り合わせの状況、また鬼に襲われ命を奪われる人々など、「死にたくない(生き延びたい)」という読者の生存欲求に強く訴える要素が作品にあります。

「苦痛を避けたい」という感情は誰にでもありますが、同時に人間は大切の人のためならたとえ苦痛を味わうことになっても、その人のために行動する場合があります。
主人公炭治郎は、自分が傷つき、苦痛を味わい、逃げ出したくなるような状況でも、人々を守るため、禰豆子や仲間を守るために果敢に敵に立ち向かっていきます。
そんな炭治郎の姿に、読者の「苦痛を避けたい」という感情と、それでも苦痛を受けながらも戦う読者が持つ勇気の両方を刺激するのです。

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『鬼滅の刃』大ヒットの秘密に迫る! その(2)に続く。

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