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テレビゲームと育ってきた

私は今年で36歳になります。生まれたのは1984年。ファミコンのドラゴンクエスト3が1988年です。子供の頃このカセットの箱の絵がすごく好きで、従兄弟の兄ちゃんに貰って毎日見ていました。今思っても中・初期の鳥山明感が出てますね。

ドラクエを初めてまともにプレイしたのは6だったと思います。初めて親に買ってもらったドラクエで、じっくりやり込みました。その後5→4→3と遡っていく感じです。先も紹介しましたが、とにかく鳥山明の絵が好きで「絵を見たいがために」攻略本を買っていました。今でいうネタバレプレイですね。

これはFFでも同じです。

初めてプレイしたのは6で、7→5→4と通過します。こちらも「天野喜孝」の絵が大好きで、攻略本だけ買っていました。今でも画集を買っています。

さて、ゲームを覚えたのは保育所に通っている頃だったと思います。流石に5歳でドラクエは難しく、基本的にはマリオブラザーズばかりプレイしていました。

とはいえ据え置きゲームは「買ってもらって無いといえばウソ」なのですが、殆どは友人の家でみんなでプレイしていましたね。ロックマンなんかは難しいけど、なんとかクリアできるレベルの難易度で、クリア後のパスワードを絵に書いてみんなにわたしていました。

ロックマンはゲームのBGMが素晴らしいですよね。8bit音源だけどメロディラインがしっかりしているし、違和感なくループできるように作っている。当時はそこまで思っていなかったですけど、このコンポーザーチームが後に僕がドハマリする「BeatMania」に繋がっていくというのは、一種の感銘を覚えます。

小学校2年位でスーパーファミコンが発売され、スーパーマリオワールドやアクトレイザー、シムシティ、マリオカートなど遊ぶ幅が急に広がりました。その中でも思い出といえば「桃太郎電鉄3」でしょうか。初めてキングボンビーが出ました。そしてよく友人と喧嘩しました。

(良いサムネイルがなかったのでDXに変更しました)

もう一つパワフルプロ野球3も外せません。このタイトルから「サクセスモード」が加わり、高校球児をプロ野球選手に育てることが可能になりました。ほかにもシナリオモードが難しく、新庄剛志以外の全員が絶不調という「裏天王山」は虎党パワプロファンならおなじみですね。

1円て。それだけ出回っていたということです。

先にドラクエを紹介しましたが、初めてプレイしたRPGは「クロノ・トリガー」です。言うまでもないですが、当時小学校3・4年でこのタイトルがジャンプでアナウンスされたときの衝撃たるや今でも新鮮です(当時ジャンプ全盛期)。同時にVジャンプなんて発売されましたし、攻略本は手に入らず、そのおかげもあって相当やり込みました。

去年末頃になって、元ジャンプの編集者として著名な「鳥嶋和彦氏」のインタビューを見る機会を得たのですが「先に鳥山明に『ウケそうな絵』を書いてもらった」「その絵を基にストーリを繋いでいった」という話を聞いて、つい先日に衝撃を受けました。10歳前後という超がつくほど愚直な時期にプレイできてよかったです。

テレビゲーム自体はその後、少し離れることになります。自分の部屋にテレビを置かなかったことと、野球部が忙しかったこと、パソコンを買ってもらったことに由来します。丁度その頃、頻繁にゲームセンターに通っていました。そう、前述ですが「BeatMania」です。音楽のかっこよさに衝撃でした。そりゃそうです、幼少の頃に染み付いたメロディラインを作った人たちが、音楽を全面に打ち出してゲームを作ってるんですから。

今のものと当時のものはぜんぜん違うと思いますが、丁度「パラパラ」と呼ばれるダンスブームがあり、その音楽などもゲーム内で再現されていました。小室哲哉を始めとする「FUNK」「ユーロビート」と呼ばれるものですね。バンドで言えばキーボーディスト全盛の時代です。私も買ってもらったPCにシーケンサー入れて、適当な音源を自分で作って作曲の真似事をやっていました。

丁度その頃インターネットが普及始まり、同時にインターネット上で「BeatManiaを再現したい」という有志が作った「BM98」というものが始まりました。これはプラットフォームだけで、実態としてはインターネットに参加する音楽家たちが自分で作曲した音楽をBeatManiaライクに表現できるというものでした。プロも素人も関係なく、いろんな楽曲が溢れていた。私も夜な夜なダウンロードしてはプレイしていました。その界隈には音楽のランキングサイトなんてのも出来ていましたね。

大学生になってからはほとんどゲームをしなくなりました。唯一、高校時代からの友人と遊ぶときはNintendo64マリオカートマリオゴルフ、スマッシュブラザーズなんかで遊んでいました。ちなみに僕はヨッシーとルイージ使いです。

あとは大学時代に社会人の女性と付き合っていたのですが「みんなのゴルフ」で毎回負け、悔しくて夜な夜な特訓したこともあります。

その当時に発売された「桃太郎電鉄USA」もよく遊んでいました。こちらは私が圧勝していたのですが、あるとき私が寝ている間にすべての物件を売られ、思いっきり喧嘩に発展。別れ話にまで突入したこともあります。

桃鉄はゲームもさることながら地域のことも知れるので、大変勉強になります。勝間和代さんは子供にお金の使い方を教えるためにプレイしているのだとか。すごい。USA版が出たときも「地理を覚える楽しさ」でプレイしていました。

時は流れ昨年の2019年、会社のバイトの大学生からプレイステーション3を譲ってもらったことによって、10年ぶりくらいに据え置きゲームに手を出しました。実はこれまでプレイステーションを所有したことはありませんでした。そんな中初めて手を付けたのは、むかしニコニコ動画の実況プレイでよく見ていた「地球防衛軍4」です。

地球を侵略する宇宙人と、彼らが地球で繁殖させた巨大な虫をライフルやバズーカで撃ち落とすというゲームです。最近プレイが終わりましたが結構古いタイトルですけど、なかなかボリュームもあって面白かったです。もともと「Simple2000」という2000円で買えるプレステタイトル集の中の一つだったのですが、人気故に独立。しかし虫が苦手な人には無理だと思います。

次に、プレイステーション1で中学校の頃に友人宅でハマっていた「アーマード・コア」です。それの4を買いました。

当時のことは覚えていないのですが、アーマード・コア4はとにかく機体操作のスピードが速い。装備次第ではカメラが一瞬着いてこれなくなるほど速いです。ようやく最近操作に慣れて、結構ハマってプレイしています。上記の4はクリアしたのでFor Answerという続編をプレイしています。

それに加えて、今は「ダークソウル2」をプレイしています。アーマードコアと同じ会社「フロムソフトウェア」ですね。とにかく難易度が高く、トライアンドエラーを繰り返すゲームの代名詞とも言えます。

いわゆる「名作」というものをプレイしてみようということで、色んなゲームを中古で買い漁っています。一点「ペルソナ4もオススメですよ」と友人からアドバイスいただいて調べたのですが、学園モノということで、流石に36のオッサンには無理でした。浄化されそうです。

一般論ではなく、自分の人生や体験、そしてこれからを考える意味で、ゲームというのは子供の頃から触れ続けた素晴らしいコンテンツであり、それを解明していくことは私にとって「モノづくりやマーケティングの教科書にもなりえた」と言えます。

私のモノづくりの基礎には「横井軍平さん」を挙げさせてください。任天堂の開発部長だった人で「スペック指向開発を否定」しつづけロースペック路線を貫き「ゲームボーイ」を普及させました。

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最近ゲームボーイを買って懐かしく遊んでいるのですが、面白さって決してスペックではありませんね。「何処が面白いのか」を考えさせてくれる品々がたくさんあります。

ついでにバーチャルボーイも買いました。

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30年前に任天堂から発売されたVRゲームです。マリオテニスなんかは難しくて今でも面白いですよ。こういう「むかしは買えなかったものを今買える」というのは感慨深いものでもありますし、当時気が付かなかったことをたくさん思い出させてくれます。今の我々世代が当時作っていたんですからね。

時代の流れは止められないですが、だからこそ過去は未来になりつつあります。クロノトリガーはきっと良い意味で「レガシー」「ロスト・テクノロジー」になっていくでしょうし、それで良いと思います。僕がドラクエを遡ってプレイしたように、これからのゲーム世代も「気がついた人だけ」が遡って過去の遺物をプレイするのでしょう。

それはそれで、一つのゲームの世界観のような気がします。楽しく生きなきゃですね。

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