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『日本沈没2020』が示した希望について

【『日本沈没2020』/湯浅政明監督】

絶望に次ぐ、絶望に次ぐ、絶望。

目を覆いたくなるような天変地異の連続。加速する恐怖と疑心。真っ向からぶつかり合う人間たちの悪意。そして、容赦なく訪れる死。

ディザスタームービーの金字塔『日本沈没』の現代版リメイク作品である今作が描き出す絶望は、そう、あまりにも無慈悲で、轟かしい。

何度も何度も停止ボタンを押してしまいそうになった。トラウマ必死の人体破壊シーンが続く怒涛の展開に、何度も何度も心が折れそうになった。

それでも、僕が最後まで今作の世界を生き抜くことができたのは、絶望の景色の中に、僅かながらにも光輝くものを見い出せたから。

それは、些細な優しさであったり、どうしようもなく溢れる本音であったり、切ない嘘であったりする。丁寧に掬い取らなければ無化されてしまうフラジャイルな心象要素が、絶望の世界の中で懸命に、鮮やかに煌めき続けていたのだ。

それだけが、この作品の推進力になり得ていたのだと思う。

絶望の「先」に、希望があるのではない。全ては表裏一体なのだ。人が尊厳と他者への敬意を持って生き続けようとする限り、必ずそこに希望はある。たとえ綺麗事だと言われようとも、これは否定しようのない事実だ。アニメーションにしか表現できない、圧倒的な真実なのだ。

特に圧巻だったのが終盤のあるシーン。

非日常の風景の中に、通奏低音として響き続ける希望の「ビート」。それに合わせて、絶望の淵に追いやられた主人公たちが、魂の「リリック」をフリースタイルラップするシーンに、僕は強く心を震わせられてしまった。(本シーンは、KEN THE 390による監修)


それにしても、湯浅政明監督は本当に凄い。

『夜は短し歩けよ乙女』(2017)、『DEVILMAN crybaby』(2018)、『映像研には手を出すな!』(2020)と、このたった数年で驚異の新作を次々と手掛け続ける彼の手腕は、今回も鮮烈に冴えわたっている。

マッドでファンシーでありながら妙にリアルな映像演出は、今作においても健在だ。そしてやはり、湯浅監督が得意とする「水」にまつわる全てのシーンは、どれも既視感を許さないものばかり。『夜明け告げるルーのうた』(2017)、『きみと、波にのれたら』(2019)における技術的挑戦が、ここに一つの結実を見せていると言える。特に今回はディザスター作品だからだろう、狂気に満ちた「水」の描写が、とにかく怖い。

また、今回彼が挑戦した「日本が沈む」という表現テーマは、2020年の日本が置かれた状況に重ね合わせることで、二重にも三重にも意味合いが増していく。

もっと言えば、本来であれば今作は、東京オリンピックの開催に合わせて配信される予定だったはずだ。その意味で、新型コロナウイルスの感染爆発という「未曾有の危機」に直面する僕たちが、この『日本沈没2020』から受け取る示唆は、あまりにも多く、深い。

ネタバレでも何でもないだろうから書いてしまうが、今作において、(文字通り)日本は沈む。その先に、僕たち・私たちに待ち受けている未来とは、いったいどのようなものなのか。

全10話を通して、湯浅政明監督が紡ぎ続ける「希望」のメッセージを、今こそ、どうか受け取って欲しい。

最後まで観れば、このメッセージが、国境や国籍、時代を超越する普遍的なものであることを感じ取れるはずだ。




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