縁起物から仏教を感じる
私は、一般的に「縁起物」と呼ばれる人形を作っています。達磨や招き猫などのイメージですね。
そもそも「縁起」とはなんなのでしょう。
「縁起」が悪いともいうし。「縁起」が良いとも言います。
調べてみると元々「縁起」は仏教用語であり、釈迦の悟りの内容を表す言葉です。
「縁起」の意味を単純化すると、
過去の経験→現在の行動→未来の自分 や
原因→条件→結果 と表されます。
これは因果関係という意味に近いです。
マサチューセッツ大学医学部准教授のジャドソン氏によると、この「縁起」は依存症などの脳の報酬学習のモデルに近く、現在の行動が良い習慣だったり、悪い習慣を作りだすという脳のメカニズムを釈迦は教えたのでは、ということです。
私が思うに、現在が良いサイクル(縁起)なのか、悪いサイクル(縁起)なのか。それが「縁起が良い・悪い」という言葉に繋がったのだと思います。
上記の意味から「縁起物」を捉え直すと。
例えば、商売繁盛のために縁起物を買い、店先に飾ったその縁起物を見るたびに、自分がその目標に沿った行動を取れているかを確認する。
そのようなことが縁起物の本当の役割なのだと思います。
確かに縁起物の代表格である達磨は、願い事をして左目を描いて、願いが叶ったら右目を描きますね。
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