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「伝統」はご飯になるのか。

私は「伝統」という言葉が嫌いだ。
小さな頃から「伝統があるんだから継げよ」とか「伝統で飯が食えるからいいよな」とか言われてきたからだ。

だから昔から「伝統だけで飯は食えないし、食えないものを継げよって言うなよ」って思ってた。

今もその気持ちは変わらない。

ただ、伝統は武器ではあると思う。道具とも言うべきかな。使うべきときに使えるように磨いておくようなイメージがある。

普段は、伝統とかを意識することなく、いいものを作ろうと考えている。売れるためには、どうしたらいいかなーと考えている。

ただたまに、お客さんに、240年続いているとか、明治時代からある人形だとかの様々なストーリーをお話すると、とても喜ばれる。

そういうストーリーの観点では、伝統や歴史は、あるだけで面白い感じになる。

たとえば、私が新しく考えた人形よりも、100年前のひいおじいちゃんが考案した人形が、いまも作られているほうが、なんか面白味がある。

そういった点で、私は「伝統」を利用させていただいている。

だから、伝統は道具だと思っている。
けど、いくら伝統という道具を備えたといえども、うちのジャンルは「郷土玩具」、非必需品なのだ。

だから、いくら歴史があっても、時代に即してなかったり可愛くなかったり面白くなかったら、買われない。

これは、伝統工芸全般にいえることなのかもしれない。

伝統だけで、飯は食えない。
必要とされて買いたいと思われないと、飯は食えないのだ。

そのためには、常に頭を働かせる。
もちろん、伝統を繋いでくれたご先祖さまや、周りの人の感謝も忘れてはならない。




いつもありがとうございます^^