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心臓を捧げます。


最近の土日休みといえば、ベッドの上でアニメ版『進撃の巨人』を観ていることが多い。


というのも、大学の卒業を控えた3月の春休みに、ゼミの友人から「今、一番アツいのは『進撃の巨人』だよ!」とゴリ推しされたのだ。


どちらかというと私はスポーツ漫画の方が好きで、最近だと『ハイキュー!!』を最終巻まで読み切った。古舘先生が選ぶセリフや言葉はどれも胸に刺さり、何度も何度も涙した。いつか、私も古舘先生のように「言葉で人の心を動かせる人になりたい」と本気で思った。雲の上の存在すぎて、言葉にするだけ恥ずかしいけどね・・・




けど、「時間もあるし、たまには友人のスキに触れてみよう」ということで、『進撃の巨人』を観ることにした。


第一話を観たのが、2021年3月30日。すーぐに後悔した。そりゃしますよね、後悔。


だってこんなに面白いんですもん。なんでもっと早く友人の言うことを聞かなかったのか、という一つ目の後悔。そして、社会人生活が始まる2日前に観始めてしまったという二つ目の後悔。


「時間ならいくらでもあったじゃん!」そう心の中で叫んだ。


でも、まずは、こんなにも素敵な作品を教えてくれた友人に「ありがとう」と伝えたい。


次に、学生時代が終了する間近に観始めた自分に「馬鹿野郎」と伝えたい。

「馬鹿野郎!!!!!!」


最後に、作者である諌山先生に「私の日常にワクワクをくださり、ありがとうございます」と伝えたい。




4月25日。やっとNetflixで配信されている分を観終わった。


『進撃の巨人』というアニメを観ていくに連れて、私の中で生まれる疑問は様々だった。


「壁の外にある世界はどうなっているんだろう」

「なんで巨人が生まれたんだろう」

「エレンの家の地下室にある秘密ってなんだろう」


なんで?なんで?と感じてしまうから次が気になるし、疑問は沼への入り口だった。


あるとき、私が『進撃の巨人』を観続ける理由は、この”なんで?”の答えを知ることにあるんだと気がついた。


その気づきは私の想像を広げ、こんなことを思うようになった。


「私たち人間が生きる世界とエレンたちの生きる世界は似てるよな〜」


国を跨ぐ争いや人種間の争い、終わらない復讐に対する報復。エレンたちの生きる世界は、私たちが生きる現実世界の縮図であり、投影図なのではないか。


それだけじゃない。壁の内で、巨人の襲来を待ち構え、国の統制と訓練を重ねる兵士の人々。調査兵団は、世界の秘密と人類の平和を求め、壁の外へ歩み出す。


でもそこは、巨人の巣窟。国のために、人類のために戦う兵士たちは、なにも、自らの意思を持たないわけではない。


きっと思っているはずだ。「壁の外の世界はどうなっているんだろう」と。


その答えを知ることなく、最後は、国と人類のために死んでゆく。


「あー、私たちと同じなんだ」と思った。


「この広い宇宙の外側ってどうなっているんだろう」

「海に底ってあるのかな」

「どうやって人間って生まれたんだろ」


大人になっても変わらないことって、未知への探究心かもしれない。


私たちはこの世界の誰かが、いつの日か、自分が死ぬまでには、たくさんの不思議を解明してくれないかな、と願う傍観者だけど、気になるものは気になる。


だからこそ、巨人の秘密を知ることなく、死にゆく兵士に感情移入してしまう。



私に与えられた使命は、死んでいった兵士のためにも、巨人の秘密を、世界の行末を見届けることなのではないか。そんなことを、一人で思っていた。


アニメの世界のキャラクターと心が繋がるなんてはじめてだ。


面白いな〜。


亡き兵士のため、使命を果たすため、


私は、心臓を捧げる。


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