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おばあちゃんが亡くなってから、半年。そして、おじいちゃんは、


おばあちゃんとおじいちゃんは自宅で洋服直し屋を営んでいた。


色んな人たちから頼まれていた。私の記憶だと、よく学生服を直していた。若い頃は日付が変わるまで働くこともあったらしい。


おばあちゃんとおじいちゃん。24時間、365日、毎日毎日一緒に働いて、それを何十年も続けていた。


今になって冷静に考えてみると、凄いことなんだと思う。


もちろん、時には喧嘩もしていたらしい。

「時にはって...」


私は毎日おばあちゃんの家に行っていたからわかるけど、喧嘩は日常茶飯事だったと思う。私の基準では...


お母さんが言っていたんだけど、大喧嘩しておばあちゃんが荷物を持って家を飛び出したこともあるらしい。


けど、私が知る限り、そこまで大きな喧嘩ではなく、ちょっとした言い合いみたいな感じ。


仕事のことでも、生活の中で生まれる不満のことでも言い合いはしていたけど、すぐに仲直りしていた。


17時頃になると、おじいちゃんは居間にテレビを観に行って、一服をする。おばあちゃんは大好きな柿の種とサブレと和菓子、あと熱いお茶を淹れて、居間で一服をする。


この時間になれば二人の中は元通り。魔法の時間だ。私もそこに入れてもらって、大相撲を一緒に観ていた。


私が小学生の頃から熱いお茶を好み、「若いのに渋いね」とよく言われていた理由は、おばあちゃんたちと一服をする時間があったからだ。



おばあちゃんが癌になって亡くなるまで、おじいちゃんはそれまでと変わらず、おばあちゃんと一緒にいた。闘病生活を支え、ときには喧嘩をしてしまうこともあったみたい。


お母さんは私に「おじいはおばあちゃんにひどいこと言うから嫌い」と言っていた。


でも、私は80過ぎのおじいちゃんを責めて欲しくないと思った。決して体力があるわけでもないのに、毎日必死に看病してくれていた。おばあちゃんが亡くなってしまう前の1週間なんて、睡眠時間は一日2時間程度だったはずだ。


おじいちゃんまで倒れてしまう。そう心配していた。



おばあちゃんが亡くなってから、おじいちゃんにはお礼をした。


「おばあちゃんのこと、ありがとう」


おじいちゃんがずっとおばあちゃんの近くにいて、看病し続けてくれたから、私も少しだけ長く、おばあちゃんといることができた。




大きな家にたった一人、おじいちゃんは住んでいる。最初は落ち込んで、毎日泣いていた。半年経った今でも毎日泣いている。


でも、少しずつ元気も出てきたように感じる。お母さんが時々ご飯を作って、おじいちゃんの家に持っていく。私と弟はおじいちゃんの家に行って、勉強をする。叔父さんは毎週土日におじいちゃんの家に行って、ご飯を作っている。



最近では私がよく遊びに行っている。大学は東京だったけど、偶然、就職先が地元になって、おじいちゃんの家にいく機会が増えた。


でも、今日ふと思ったのは、私がおじいちゃんと一緒にいられる時間が、あとどれくらいあるだろうかってこと。


数年後には東京へ戻って、自分のやりたいことに本気で挑戦したい。そうすると、滅多に地元へ帰ってこれなくなるから、おじいちゃんと会える時間も限られてくる。


考えたくないことだけど、考えれば、もっと一日一日を大切に過ごせると思う。


向き合いたくない事実と向き合うことって大事だ。おばあちゃんのことでそれを学んだ。できることはできるときにしてあげないとダメなんだって。言えることは言えるときに言わないとダメなんだって。



だから、今月の仕事休みにおじいちゃんを鰻のお店に連れて行こうと思う。そういえば、おじいちゃんの好物は鰻だった。


そして、おじいちゃんと、貴重な日々を過ごし、生きる喜びをたくさん与えていきたい。


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