ep.9 フリーランスの流儀。
2005年3月。僕はテヘランにいた。ドイツW杯を目指すジーコジャパンにとってはアウェイの初戦。対戦相手は強豪イラン。つまり、このシリーズで最も難しい試合を取材するためだった。
テヘランのアザディ・スタジアムは女人禁制(当時)。10万の野郎どもが集まる世界一圧が強いスタジアム。
その圧力の前にジーコジャパンは屈してしまった。
実はこの試合の前にあるトラブルがあった。同行していたカメラマンさんが、試合の前日にADカードをどこかに落としてしまったのだ。普段は何事にも動ない人だったけれど、このときばかりはかなり焦っていた。日本ならいざしらずテヘランで落とし物、、ちょっと絶望的な展開だった。
失意のままホテルに戻り重い空気のまま部屋で休んでいると、同業者の先輩が部屋を訪ねてきてくれた。細かい経緯はもう忘れてしまったけれど、なんとADが発見されて、試合前に受け取りにいけとのことだった。
実は僕たちが右往左往しているとき、別の場所でちょっとした事件がおこっていた。現地の関係者が日本人のADを拾って、それを日本人関係者にみせて回っていたらしい。それこそ同行カメラマンさんのADだったのだ。
その話を聞きつけた先輩がADの引き渡しを求めると、拾い主は本人に手渡すと譲らなかったらしい。イランという特殊な環境と英語を通してのやり取りは疑心暗鬼を生み、何か見返りを要求されるのではないかと心配した先輩が僕たちの宿を探して、わざわざ伝言を届けてくれたのだ。
試合当日の午前中に指定のホテルへ赴いた同行カメラマンさんは、特に見返りを要求されることもなく無事にADを返してもらえた。拾い主が手渡しを主張したのは、確実にADを返したいと考えた彼なりの配慮だったようだ。
当時はLINEやFacebookなんてなかったし、日本の携帯電話を海外で使う人も少なかったから、急に現地で連絡を取り合うことが難しい時代だった。そんな中で後輩のために部屋を探すのは簡単なことではない。しかも、大切な試合の前日だ。後輩を想っての先輩方の行動には素直に感動した。
普段、必要以上に馴れ合うことはないけれど、トラブルに見舞われた仲間がいれば協力を惜しまない。それが長い年月の中で、苦楽を共にしながらフリーランスの権利を勝ち取ってきた男たちの流儀なのかも知れない。
このとき、僕はまだフリーになる前だったけれど、とても大切なことを教えてもらった気がする。そして、その仲間の一員になりたいと思った。
ちなみにこのときADを落としてしまった原因は、ADとストラップを結ぶ留め金が粗悪だったからなのだけれど、それ以降、同行カメラマンさんはADを手に入れたら必ずその部分をテープで補強している。あの事件以降も何度となく同行させてもらっているけれど、ADを受け取ると僕は必ず言う。
「あ、僕もテープもらっていいですか?」
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