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ep.3 転機。

僕がサッカーに興味を持ったキッカケは、同世代の方も同じだと思うけれど、ドーハの悲劇とジョホールバルの歓喜だった。日本代表のヒリつくような試合と劇的な展開、そして、それを伝える原稿に痺れまくっていた。この頃の夢はノンフィクションライターだった。

2001年4月。僕はバイク雑誌を手掛ける出版社に入社した。スポーツ誌を志望したけれど叶わず、それならばせめて編集能力だけでも身につけようと思ったのだ。

僕が次のステップについて考えるようになったのは、2002年2月だった。1年も保たなかったのか? と思うかも知れないけど、この会社は孫悟空もびっくりする精神と時の部屋構造だったので、、以下自粛。

悩むようになったのは、気がついたらソルトレークシティ五輪が閉幕していて、このままでは日韓ワールドカップも同じようになると焦ったからだ。そこでデスクのS山さんに相談した。いつもなら軽快にからかわれるシーンだけれど、このときは真剣に答えてくれた。

「たかすクンはバイクじゃなくて、自分のバイクが好きなだけやろ? バイク雑誌の編集者はバイク自体を好きじゃないと務まらんよ。たかすクンがサッカー好きなのは伝わってくるから、好きなことした方がいいんちゃう?」

この会社を辞めるときは逃げ出すんじゃなくて、やりたいことを見つけてからにしようと決めていたから、S山さんのこの言葉を聞いて決心がついた。

ちなみにライターじゃなくて、カメラマンに趣旨替えしたのは編集長の影響だった。学生時代に一眼レフを持ち、Oくんの影響でミニラボでバイトしていたこともあって、僕は事あるごとに「写真好きなんですよ」とペラペラのことを言っていた。あるとき編集長のS原さんに怒られた。バイクの置き撮り写真の仕上がりをチェックしてもらっているときのことだ。

「たかすクンはさ、写真が好きとか言ってる割に雑だよね」

よく見るとタバコの吸殻やゴミが写り込んでいたのだ。それまでは写真は難しいから仕事にはできないと思っていたけれど、そのときは35ミリフイルムの1ミリにも満たないモノにまで気を配らなきゃいけないのか、、「なんだかカッコいい!」と妙に関心した。

会社を辞するとき、なんの職種を目指すのか考えた。一年弱のキャリアだったけれど編集者に向いていないことは理解した。当時、僕の知識で現場にでる仕事はライターかカメラマン、あとはテレビクルーだけだった。「テレビはフ◯テレビとか無理だろー」と選択肢にも入れず、ライターはそもそも夏目漱石をまともに読んだこともない人間がライターとか無理だろと悟った。いや、今、思うと頭が沸いていたとしか思えない。そして、残ったのがカメラマンだった。

どうしてもスポーツの現場に出たかった僕は写真の道を志すことにした。

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