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ep.7 見守り続ける男。

僕には兄貴のように慕っている人がいる。生意気なことを言っても許してくれる寛大な人。実兄と同い年なのは何か縁があるのかも知れない。ちなみにこの思いは一方的なものなので本人は「なんの話?」って言うと思う。

K兄さんの本職はライターだけれど、カメラマンとして写真を撮ることもある。僕が知っている中では最高レベルの両刀使いだ。あ、バイセクシャルて意味ではないです、念のため。

出会いは平山相太が無双した2004年の高校サッカー選手権の国立だった。落ち着いた優しそうな人。それが第一印象だ。これをキッカケで仲良くさせてもらうようになり、しばらくしてから「かわいい子いるよ」と誘われて、セパタクローの取材をするようになった。

大宮アルディージャのオフィシャルライターでもあるK兄さんは、まだロクに仕事もなかった僕をクラブにカメラマンとして紹介してくれた。なぜそこまで良くしてくれたのかは分からないけれど、決して足を向けて寝てはいけない存在だと感謝しています。ありがとうございますッ

K兄さんは読ませる文章がとても上手だ。落ち着いた文体と行間から滲みでる優しさで構成されるノンフィクションが僕は大好きだ。

一番の思い出はアジア大会だ。2010年の広州大会から3大会連続で宿をシェアしたりして一緒に取材している。僕にとってのアジア大会は色々な競技をまとめて撮影できる大会で、K兄さんは生業にしているバレーボールをメインに取材する大会だ。ここだけ見ると大会中はあまり接点がないようだけれど、僕たちはセパタクローで繋がっている。

僕たちはオフィシャルカメラマンではないけれど、アジア大会では、どちらかが現場に入るようにしている。これを暗黙の了解にしたのはK兄さんだ。お互いに都合が悪いとき率先してスケジュール調整している姿をみて、僕もなるべくいけるように心がけるようになった。それでもお互いに仕事の都合でどうしても穴が空いてしまうこともある。

それが日本セパタクローがその30年の歴史で初めて決勝に進んだ試合だった。

2018年インドネシア大会のセパタクローはパレンバン島でおこなわれていた。新種目にエントリーした日本代表は自分たちでもざわつくような快進撃をはじめ、気がついたら決勝に駒を進めていた。

金メダルまであと1勝。

そんな歴史的な試合を前に僕は別の仕事でイタリアに移動していたので撮影不可能。K兄さんもバレーボール取材でジャカルタにいたから、普通に考えたら難しい。

しかし、決勝の朝、K兄さんは会場にいた。
朝一の飛行機に飛び乗りパレンバンに戻ったのだ。

「I'm back」

本当はカッコよく登場するつもりだったらしいけれど、会場入り前の選手に見つかってしまうあたりが人柄をよく表している。でも、やる時はやる男であることを証明した。本当にカッコいいと思う。

K兄さんにとってのセパタクローがどんな存在なのかはわからないけれど、同級生が代表選手だったことがキッカケだと聞いたことがある。それから20年近く取材を続け、そんなに古くからセパタクローを記録し続けているのはK兄さんだけだ。

メジャースポーツの取材を続けている人は多い。しかし、他に伝える人がいない競技だからこそ、フリーランスである僕らが取材をする意味がある。そして、見守り続けることの大切さ。

そのことを教えてくれたのはK兄さんだ。

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